第33話 犯人


「よう鷺澤、もう起きていいのかー?」


 受話器から飛び出してきたのは聞き間違えるはずもないお気楽なオタク教師、山下の声だった。


「って、なんで先生が朱美と一緒にいるんですか?」

「いやあ実は今三人で学校にいるんだよ」

「三人?」

「ああ、ロベルトの奴が日本の文化について教えて欲しいって言うんだけど今日俺宿直だからなー、学校で夜を徹して日本のオタク文化を教授してやろうと思ってな」


 その先は言われなくても予想ができた。


「っで、朱美がおもしろそうだから自分も混ざると言ったんですね?」

「なんだ分かってるじゃん」

「あったりまえですよ先生、ボクとヨッシ―は以心伝心なんですから」


 嬉々として断言する朱美の声と山下のバカ笑いが入り混じる、おそらくは現在の時間軸上で一番鬱陶しいであろう受話器に義徒は顔をしかめてから、ハタと顔を険しくした。


「ちょっと待ってくださいッ! ロベルト先生と一緒なんですか?」


 冷たい、嫌な感触が背筋を上ってくる。


「当たり前だろ、なんだ鷺澤、お前も来たいのか?」


 悪寒が背筋から頭へと抜けていった。


 高校生と二十代前半の新卒教師、被害者の対象になりえるかつ誰もいない学校、そしてロベルトのほうから誘った……義徒は直感で叫んだ。


「すぐにロベルト先生から離れてくださいッ!」


 返事は聞かずに受話器を置いて義徒は窓に向かって駆けた。


 あとはまさしく以心伝心、緊急事態だと悟って三人はどこから取り出したのか、ファムは黒い、上下一そろいの服、アリアは赤い上着、ティアは黒い靴を投げ渡した。


 魔術的な防御力を持った装備は体に押し当てるだけで義徒の部屋着とすり替わり、床に投げ出された部屋着の代わりに三人の投げた戦闘着が義徒の身を包んだ。


 義徒と同時に三人も窓から飛び出し、ティアが問う。


「場所は?」

「学校ッ!」


 単語だけの短い指令にティアの霊力が猛る。


 四人の体は空高く舞い上がると音速に迫る速度で空間を貫き、学校へと直進した。


 風の精霊たるティアの力で空気抵抗をゼロにしていなければ轟音が眼下の街に響いたことだろう。





 学校までは数秒でたどり着き、これまたティアの力でなんの衝撃も受けずに校門に着地すると玄関は当然閉まっていて入れなかった。


 だが水の精霊たるアリアにはそんなことは関係ない、総身を液体状にして戸の隙間から侵入し、内側からカギを開け、義徒達はなんの問題も無く校内に入れた。


 宿直室までは義徒の脚力なら三秒もかからないが、行くまでもなく、朱美と山下は玄関から一〇メートルと離れていない場所に立っていた。


「あれ、ヨッシ―なんでここにいるの? さっき家に電話してから一分も経ってないよ、車に乗ってきたの?」


 二人が無事だとわかり、安堵の溜息を漏らしつつ、どこの世界に音速で走る車があるんだと心の中で指摘して義徒はまくしたてる。


「いいから二人は早く帰ってくれ! それと朱美は先生に家まで送ってもらうこと!」

「おいおい鷺澤、先生は今日宿直だから学校にいなくちゃならないんだが……」

「ボクもどうせならヨッシ―に送って欲しい」

「最近物騒だから帰れったら帰れ! ロベルト先生には俺から言っとくから、じゃあな!」


 安穏とした二人をその場に置き去りにして義徒は朱美と山下に見つからないよう霊体化したティア達と一緒に人間程度の脚力で宿直室に向かった。


 暗い廊下に差し込む一筋の光は紛れもなく宿直室から漏れる電灯の明りに他ならなかった。


 義徒は意を決して宿直室の戸に手をかけたが、そこで中から誰の気配もないことに気付く。


「ッッ!?」


 気付かれたと焦り、戸を開けて中に飛び込むと、ロベルトはそこにいた。


 やや拍子抜けではあるが、椅子に座り、義徒に背を向けてテレビの前にいるのは肩幅の広い金髪の男性、付き合いはそんなに長くは無いが、それがイギリスからはるばるやってきたロベルト教師であるのは明白である、だが……


「先生?」


 義徒は眉をひそめ呟いた。


 戸を開けても、そして今近づいても、ロベルトは一向に反応を示さない、そもそも彼がいたならどうして人の気配がしなかったのか、答えは単純明快、つまりロベルトは……


「あの……」


 義徒の手がロベルトの肩に触れると、それだけで弛緩しきった肉体は崩れる積み木のように椅子から落ちて床に仰向けになって倒れた。


 ロベルトの顔が浮かべていた表情は、喜怒哀楽のどれでもない、死相である。


 つまり……ロベルトは、すでに死んでいたのだ。


 何故? と心中で誰かに問う。


 ともかく義徒の、アロンはロベルトになりすましている、という推理は間違っていたことになる。


 では彼を殺したのは誰か、この学校にまだアロンがいるのだろうか、朱美と山下が玄関へ行き、一人になったロベルト先生を襲い……


 新たな疑問が生まれる。何故アロンは山下と朱美を見逃したのか、彼の実力ならば三人が宿直室にいる時にまとめて殺してしまえばよかったはずだ。


 ……否、何故山下と朱美は玄関にいた?


 その時、霊体になっているティアが義徒の肩を叩き、窓の外を指差した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る