現代召喚術士はシルフ、ウンディーネ、ノームの三大美少女精霊と事件を解決する
鏡銀鉢
第1話 召喚術士2066年
二〇六六年、日本……
「じゃーねー、ヨッシー」
「じゃーな」
四月終盤の陽光の下で、幼馴染の明るい声に義徒も手を振って応える。
岡崎(おかざき)朱美(あけみ)の背中を見送って、義徒は自分の家の方角へ歩みを進める。
学校の都合で今日は午前授業となっているため、道々には散歩や買い物帰りの人達が見受けられる。
ここ数年の間に日本では急速に殺人事件や失踪事件、施設の崩壊などが目立つが、どれも犯行は夜に限定されているので、人々が日の光に守られている限られた平和を満喫しているようにも感じられた。
しかし、ここ秋南(あきな)市で昼でもなお怪しく、人通りがまったく無いと言ってよい地がある。
人気の多い街からやや離れた丘の上、何故かその付近には一年中、濃い霧が発生しており薄暗い。
その上、オカルトマニアですら理由はわからないが近づく気が湧かず、仮に誰かが迷いこんでもすぐに入ってきた道に戻ってしまう。
マスコミもその丘を記事にしようとはしないし、科学者達も霧の原因を調べようとはしない。
とにかく、とびきりの怪奇スポットであるにも関わらず、誰も興味を示さず、あるのが当然のように誰もが認識しているのだ。
だが中肉中背、髪は長めで童顔眼鏡、勉強スポーツ共に中の上、二週間前の自己紹介でクラスのみんなに言った趣味はテレビゲームの超平凡人鷺澤(さぎさわ)義徒(よしと)はその中を慣れた足取りで進み、ひび割れた道路や朽ちかけた標識、道の両端を覆う木々に目もくれず。
自宅を目指した。
丘を登り始めて十分後、いきなり霧のない、明るい空間に出た。
眼前には広大な敷地を囲った高い壁、鉄柵の門は義徒が近づいただけで自動的に開き整備の行き届いた美しい庭が迎えてくれる。
その庭を飾る花の香りに包まれて義徒の靴は規則正しい足音を鳴らす。
前方五〇メートルにはここが日本であることを疑いたくなるほど豪奢な洋館が誇らしげに義徒の帰宅を待っている。
この建物だけを見れば、どこぞの貴族様が住んでいるのだと誰もが思うだろうが、残念ながらここに住んでいるのは貴族などというスマートな輩ではない。
それに洋館の背後に隠れて見えないが、この裏には別の建物が立っている。
それはここが日本である事を疑うのではなく、本当に二十一世紀かと、土地ではなく年代を疑いたくなるほど風情のある武家屋敷だ。
この二つの屋敷は渡り廊下で繋がっているが、その渡り廊下も左右半分ずつ和風と洋風の造りになっている。
五〇〇年以上前からある本来の家が武家屋敷で、洋館のほうは明治時代になってから義徒の七代前の先祖が外国文化がおもしろいからと無理矢理建てたらしい。
外壁の周りを囲む沈鬱とした霧の世界とは違い、華やかな空間を抜けて洋館の入り口に近づくと、これまた自動ドアでもないのに勝手にノブが回って開く。
「お帰りなさい、義人君」
視線を上げると玄関ホールのテラスから水色の髪と瞳を持ったメイド姿の少女がトンと軽く床を蹴って玄関まで飛んでくる。
フワフワの髪とスカートをなびかせながら空中を滑るように下りてきた少女に義徒はなんの驚きも見せずに返答した。
「ただいまティア」
笑顔で出迎えてくれたティアに義徒は笑顔で返す。
明らかに人外の、だが現代のカラーコンタクトや染髪料でも出せそうにないほど自然な空の色を持った髪と瞳、そして人ならざる雰囲気とどの人種ともつかない顔立ちの美しさは人間が出せる領域を越えている。
そのとおり、空を舞うメイド、ティアは人間ではない、彼女こそ風を司る誇り高き四大精霊の一人、シルフである。
義徒の住む鷺澤(さぎさわ)家は魔道協会から秋南市の管理者(セカンドオーナー)の役職を賜っている魔道の名門中の名門である。
特に召喚術に優れ、通称、初代様と言われる鷺澤(さぎさわ)時則(ときのり)は死後数百年経った今でも史上最強の召喚術師として魔道の歴史に深く名を刻んでいる。
その証の一つがティアの存在である。
召喚術師は契約した精霊に己の魔力を食べさせ、その見返りとして召喚に応じてもらい、一時的に精霊という超常の存在の力を借りられる。
だと言うのに時則は人間の身でありながらその圧倒的な力と格の高さで精霊を配下として加え、共同生活をするに至ったのだ。
偉大なる時則への忠節は彼の死後も途絶えることはなく、人間など見下して当然の精霊達は未だ鷺澤家に仕えているのだ。
「じゃあすぐにトレーニングに移るからアリアを……」
「うがいと手洗いが先です、それに今日はこれからお母様を空港まで送る予定ですよ」
にっこり笑ったまま注意を促すティアに義徒は息をついた。
「そういえばそうだったな、でもすぐに行くんだから、うがい手洗いは……」
「そのつどやらなきゃ駄目ですよ」
可愛い笑顔はそのままに言うものだから、ティアの言葉は変な凄味を帯びて義徒を圧倒し、義徒は何の反論もせずに「はい」と応えて洗面所に向かった。
どうせまた外に出るというのに、うがいと手洗いを済ませた義徒が私服に着替えて玄関へ戻るとすでに待っていた旅支度を整えた母親がこっちに走ってくる。
「よしとー!」
子供のように大声を張り上げて義徒に抱きつき何度も頭を撫でて、母親の鷺澤(さぎさわ)奈美(なみ)は涙を浮かべる。
「じゃあお母さん行ってくるけどちゃんとご飯食べてね、学校行ってね、この家のこと任せるからね」
「お母さん、そんなにしたらお兄ちゃん苦しいよ」
可愛い妹にナイスと親指を立てて顔が青ざめた義徒はようやく開放された。
「ああ、ごめんなさい義徒、お母さんつい取り乱しちゃって」
慌てて謝る、見た目年齢二十代前半、精神年齢十代前半の二児の母は思い出したように娘の美香(みか)に問う。
「美香ちゃん、あれどこだっけ?」
「もう、右のポケットに入れたでしょ?」
小学生に叱られる母親の図に呆れる義徒へ奈美は一本の太い棒を手渡した。
長さは約三〇センチメートル、知識のあるものならばそれが剣のグリップ部分だと気付くだろう。
だが肝心の刀身部分がどこにも見当たらない。
これぞ現代の魔術師が一般人にバレずに持ち運べる魔道具の一つ、具現武装である。
義徒の持つグリップ内部には複雑な魔方陣が刻まれており、義徒が魔力を流し込むと自動的にその魔力から蛇腹剣の刀身を生成してくれる。
「今度のは前のよりも魔力効率が良いから同じ魔力でももっと丈夫で切れ味の良い刀身が作れるわ」
「お母さんと一緒に頑張ったんだからね」
誇らしげに胸を張る妹の頭を撫で、礼を言うと義徒は二人の鞄を持って車へ向かった。
「まったく、昼間じゃなかったらペガサスちゃんの馬車でひとっ飛びなのに」
奈美が空飛ぶ馬車の納められた厩舎(きゅうしゃ)をチラリと見ると、娘の美香が上着のポケットから
一冊の文庫本を取り出しページをめくる。
「魔術的な乗り物、魔道生物及び精霊による街中の飛行は不可視の効果を与えた場合でのみ認めるものとし、これを破った者は……」
「ああもうわかってるから読まないで、お母さんだって魔道六法ぐらい知ってるもん、ただお車運転するよりもペガサスちゃんに頼んだほうが速いなーって思っただけだもん」
「お母さんが自動運転システムの設定方法覚えないからでしょ」
「むぅ、ペガサスちゃんなら面倒なボタン操作なんかしなくっても口で言えば連れてってくれるもん」
主に一般人から魔道を秘匿するために制定された魔道六法を読み上げる娘に頬をふくらませてスネる奈美の姿に呆れつつ、義徒は苦笑した。
「はは、俺が馬車に乗れたらいいんだけど、正直不可視呪文使って乗って行かれたら帰りに俺が困るから」
魔道の世界には不可視の術や人の記憶に残らない術が存在する。
現にこの屋敷も周囲に濃い霧を発生させ、近づくもの全てにこの丘の状態を気にさせずかつ入ろうという気が削がれるという高度な結界を張っているのだから。
とは言っても、母親を空港まで送ってしまえば帰りは召喚術師としては半人前で馬車の扱いも知らない義徒一人、特別急ぐわけでもないのでここは現代人らしく、文明の利器に頼ろうというわけだが、母の奈美はどうも車が好かないようだ。
「ほらお母さん、早くしないと飛行機の時間に間に合わないでしょ、お兄ちゃんも早く車に乗って乗って」
車の窓から顔を出す美香にせかされ義徒と奈美が乗ると、ペガサスよりも遥かに鈍重な最新式のエレクトロニックカーはその高性能ぶりを発揮することなく奈美の運転で空港へとタイヤを走らせた。
今、鷺澤家の現当主である義徒の父、時義(ときよし)は魔道協会本部のあるイギリスに仕事で出張している。
奈美と美香はその手伝いとして行くのだ。
その間は義徒が当主代理として秋南(あきな)市の管理者となる。
とは言っても義徒はまだ今年で十六歳、魔道協会が統括するソルジャー協会から補助として何人かの魔道師が派遣されることになっている。
ソルジャーとはようするに、魔術やモンスター、精霊に悪魔など、一般人の理解を超えた魔道の存在を秘匿し、それらの脅威から人知れず一般人たちを守る戦士のことである。
秋南の地を守る鷺澤家の当主達は代々、このソルジャーとして活躍してきたし、義徒自身も高校入学と同時にソルジャー協会に登録されている。
そして母と妹を乗せた飛行機を見送った義徒は、代理とはいえ名門鷺澤家の当主であるのだが、家に帰るとまず最初にティアにうがい手洗いを言い付けられるだろう。
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