第25話 壊したくない花

 ケスハーンは無期限の謹慎処分になった。取り巻きたちも同様だが、嵌めた自覚のあるエルメインとゼアンは穏当な処分で許した。抗議文を握りつぶした校長はいい大人でもあるし、ヘーズトニアの法に任せてある。なので詳細は知らないが、彼も更迭されて学校を去り、元副校長が昇進して後始末に走り回っていた。


 薄化粧になったコーネリアは、まだ心許ないからと眼鏡だけを残して学校に通っている。カエル姫だの醜女だのと嘲る根拠を失った生徒たちは静かになった。そもそもの発信元のケスハーンがいなくなり、カヤミラも学校に来る理由を失って姿を消した。魔法学校は平常な状態を取り戻したのである。


 ただ、事件の影響は確実に残っていた。


「あの時ゼアン様は三階の研究室にいたって聞いたんだが」

「大理石の像が一瞬で粉々になるなんて」

「国境の領地ではいとも簡単に魔獣を殺戮していたそうだ」

「見た目は紳士だけど、本性は野獣だったりして」

「野獣ならいいがあれは魔獣……」


 カエル姫の陰口よりもさらにひそやかに、だが常人を越えたゼアンの耳には届いてしまう。


 ゼアンが並外れた戦闘力を持つことは、魔獣討伐に向かった領地の貴族たちには知られていた。しかし今まで暗黙の了解的に誰もそのことには触れなかった。援助に行ったのはワイラ派の貴族が多かったし、バーンイトークに助けられたというのは立場的に外聞が悪い。身内からの非難を逃れるためにも口をつぐみ、同じ境遇の者だけで愚痴るのが精一杯だった。


 だが中庭でゼアンは力の片鱗を見せてしまった。どうやってあの場に現れたのかは見えなくても、一瞬で噴水が破壊されケスハーンが気圧されたのは見ている。その上に何人もの生徒が慈悲を乞うたのだから、その異常さは衆目の知るところになってしまった。そこから魔獣討伐の時の暴れっぷりが伝わり、距離を置かれるようになってしまったのだ。


 そのこと自体はゼアンはあまり気にしていない。彼らとはおそらく留学中だけの付き合いだ。問題は別のところにある。


 初めて辺境を出て王都に向かった時、付き添いの母は噛んで含めるようにゼアンに言い聞かせた。


「王都の人たちは辺境ほど強くないの。ですからお前は絶対に暴力を振るってはいけませんよ」


 ゼアンはすぐにそのことを理解した。自分が容易く飛び越えられる池の真ん中でコーネリアが帰れないと泣いていて、勘違いして殴り掛かって来たエルメインは止まっているに等しい速さでしかなかったから。


 だからゼアンは、特にコーネリアを壊れ物のように思っていた。小さくて細くて可愛らしくて、大事にしなければ壊れてしまうのではないかと怖かった。そんな彼女がゼアンに安心しきって笑いかける。それはゼアンの胸を達成感と満足感で一杯にした。


 それが愛おしさに変わるのに時間はかからなかった。しかしその意味を理解した時は、すでにコーネリアの婚約は調っていてゼアンの手は届かなくなっていた。


 だから婚約を破棄させようとするエルメインの企みに一も二もなく乗った。コーネリアを守りたい一心で己の力を使った。人を傷つけないという一線だけは保ったままで。しかし。


「コーネリア嬢。迎えに参りました」


 帰宅時間が迫り、ゼアンはコーネリアのいる談話室の扉をノックする。扉を開くと生徒たちの歓談の声がぴたりと止んだ。


「ゼアン様」


 振り返ってにっこりと微笑むコーネリア。だが周囲の生徒たちは一瞬怯えの色を浮かべた。そしてそれを誤魔化すように口々に退去の挨拶をするのが最近通例になっている。


「まあ、もうこんな時間」

「楽しくてつい話し込んでしまいましたわ」

「僕らもそろそろ帰らないと」

「またお誘いしますね」


 外部と接触が多い領主の嫡男として厳しく自制心をしつけられたゼアンは、その程度で揺れたりはしない。知らぬ振りで挨拶を返すと、生徒たちは三々五々談話室を後にし、寮とは反対方向へ去って行った。


 可憐な素顔を知られたコーネリアには大勢が注目している。エルメインが薔薇ならコーネリアは茉莉花ジャスミン。愛らしく薫り高い花だと評価はうなぎのぼりだ。しかし近づこうとする者はゼアンが側にいるのを見て逃げていく。


 悪い虫がつかなくていいとエルメインは気にもしないが、せっかく価値を認められた彼女の妨げになりはしないだろうか。ゼアンの懸念はそれだった。


 華やかな母や兄の陰に隠れて、コーネリアは今まで取るに足らないものとして扱われてきた。それがやっと明るい場所に出て、憧憬を抱かれる立場になれたのだ。彼女はもっと愛されるべきだ。尊重され、幸せになるべきだと思えてしまう。


「ゼアン様。夕食後に期末試験の勉強をしませんか? わたくし基礎魔獣学がちょっと苦手で」

「ああ、じゃあ一緒にやろうか。俺は歴史がちょっと怪しいかな」

「ヘーズトニアのお勉強なら自信がありますわ。何でも聞いてくださいまし」


 仲良く並んで歩きながら、ゼアンは頭の隅で自分はどうすべきかと考え続ける。


 国王は婚約破棄に同意したが、正式に決まるのは両国の話し合いの後。公的には今も婚約は有効だ。だからコーネリアに傷一つつけたくないゼアンは、今もまだ距離を詰めることができずにいたのである。

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