第32話 転覆 1

 会場は王宮の大広間。貴族の子弟が通う魔法学校の卒業パーティだ。父兄も参加し、夜会に劣らぬ盛況を見せていた。


「本当にお美しい」

「あなたのように可憐な方は見たことがない」

「今度招待状をお送りします。是非……」


 次から次へと貴族男性がやって来て、コーネリアを褒めそやし甘い言葉を囁く。だがその熱量とは逆に、コーネリアの心は冷めていった。この間までケスハーンの言葉尻に乗って、カエル姫と嘲っていた者ほど熱心なのがいっそ笑えてくる。


 兄は気付いているだろうが、コーネリアは身についた社交術でそつなく対応していった。


「お兄様の苦労がよくわかりました」

「ははは……」


 合間に小声で言うと、エルメインは乾いた笑い声を上げた。今日はコーネリアの人気に押されているが、普段は令嬢たちが同じようにエルメインに集るのだ。


「中にはちゃんと誠意をもって挨拶に来る方たちもいる。見分けるのはお前の方が上手かもしれないが」

「お兄様には及びませんわ」


 エルメインと二人で寄って来る貴族たちを捌き続け、一段落した頃にエマがやってきた。貴族ではない彼女は、入場の時に形だけ男子生徒のエスコートを借りて今は一人だ。


「ゼアン様は……?」


 心配そうに尋ねるエマに、コーネリアは首を振った。


「そんな……何かあったんでしょうか」


 さすがにエマもこの晴れの場にゼアンが来ないのはおかしいと思っていた。共に手を携えコーネリアを守ってきた同志、親友のエルメインの卒業記念なのだ。


「あったとしてもわたくしたちには何もできませんわ」

「コーネリア様怒ってます?」

「少し」

「いやいやいや」


 めちゃ怒ってますやん、とはエマも言えずに飲み込んだ。さっきから見ていたが、淑女の仮面が完璧すぎて余計怖い。


「こんな場にわたくしを一人で放り出す方なんて知りません……!」

「あー、ネリア。その……」

「何か深い事情があるかもしれませんし!」


 エルメインとエマがなだめていると、大広間に音楽が流れ始めた。先触れの侍従が現れ、会場の注目を浴びながらヘーズトニア王と側妃、ルイリッヒ王子が奥の壇上に姿を見せる。


「諸君! 卒業おめでとう!」


 王はひとしきり卒業生に祝辞を述べ、それから表情を改めた。ルイリッヒを隣に呼び寄せる。


「来年度よりこのルイリッヒも魔法学校へ入学する。先輩となる諸君にはよき導きを期待したい。そしてこの場でもう一つ皆に発表することがある。王太子はこの……」


 その発言を遮るように、広間の大扉が開いた。


「父上! そんなことは言わせませんぞ!」


 ケスハーンと王妃が兵士の一団を引き連れてパーティ会場に入ってきた。王妃と共にいるのは強硬なワイラ派の貴族たち。地理的にワイラに近いのではなく、政治的にワイラに近い中央の貴族だ。


 すぐさま会場警備の兵士たちが駆けつけ、物々しい雰囲気に女性が悲鳴を上げた。パーティの参加者たちは入口とは反対側へと固まる。


「ヘーズトニアの王になるのは我だ! ルイリッヒではない!」


 久しぶりに公衆の前に出たケスハーンは、眉間にしわを寄せて目の下には薄っすら隈が見えた。剣を抜き、壇上の王に向ける。


「父上。その王冠を脱いでもらいましょうか。それは我のものだ!」


 国王は側妃とルイリッヒを背後に下げ、ケスハーンを見下ろした。


「意味を理解して言っておるのか、ケスハーン」

「もちろんです。もとよりそれは我が継ぐはずだったもの。少々早くなったとて問題はありません!」


 王はケスハーンの背後に立つ王妃に射抜くような視線を向けた。


「……妃よ。お前の差し金か」

「ケスハーンが望んだのですわ。わらわは可愛い息子の望みをかなえたいだけ」

「よく言うわ! お前はヘーズトニアをワイラに売り渡す気であろう!」

「何をおっしゃいますか。ケスハーンは正真正銘あなた様の子。正統なるヘーズトニアの王位継承者でございますわ!」

「そんな言い訳が通ると思うてかッ!」


 政略で迎えた妻は、大国の王女らしい高圧的な女だった。愛はなかったが男子を授かり、正妃として尊重してきたつもりだ。だが彼女の心はあくまでワイラにあり、ヘーズトニアの妃にはなり切れなかったらしい。


「者ども、反逆者を捕らえよ!」


 王の声に威嚇にとどまっていた騎士や兵士が武器を構えた。


「多勢に無勢、大人しく投降すれば情けもあろう! 無駄な抵抗はよせ!」


 降伏勧告を聞いて王妃が高々と笑い声を上げる。


「準備もなくこんなことをすると思いまして? 陛下こそわきまえなさいませ!」


 そこへ駆け込んできたのは一人の騎士だ。王と王妃がにらみ合う現場に飛び込んでしまい、ぎょっとした顔になったが、事情がよくわからないままに彼は役目を果たそうとした。


「ロルシ伯爵より急報! ワイラ軍が国境を越え侵入したとのことです!」


 大広間がどよめいた。


「母上?」

「ええ、ケスハーン。そなたに助力するため、間もなくワイラの軍がここへやってくるのですわ」


 国境のロルシ伯爵がどのタイミングで使いを出したのかはわからない。だがワイラ軍がなりふり構わず王都を目指していれば、時間の猶予はあまりない。


「くっ、それまでに鎮圧して備えれば……」

「それは甘いお考えですわ」


 王妃の合図で配下の兵士たちが構えたのは、剣ではなく対魔獣用の攻撃用魔法具だった。

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