第31話 それぞれの不安

 ゼアンは寮を出て国境付近をうろついていた。ついでに適当に魔獣を狩る。頼まれたわけではないが、学校で知り合いも増えた。他国であるから防衛に動いている兵たちには見つからないよう、彼らが見落としている魔獣を倒し、死骸の始末までがルーティンだ。


 頭上に急降下してくる大型の鳥に向かって、腕を振り下ろす。手の中にあった武器は一直線にまだ上空にいた怪鳥を貫いた。そのまま鳥を手元に回収し、武器を背のケースに収める。


 普段腰に下げている剣は実は予備の武器だ。今背にあるのはぱっと見には武器には見えないシロモノ。少々扱いが難しいため、勘を鈍らせないためにもどこかで振り回したい気分だったのだ。ヘーズトニア国内には対空武器になる魔法具が足りていない。鳥型は丁度いい獲物だった。


 食料にする分の肉を確保し、残りは廃棄する。辺境なら羽や爪もむしるところだが、ここにいるのは自分一人。使う当てがない。死体を放置すると他の魔物を呼び寄せる可能性があるので、そこはきっちり始末しておく。


 間もなく日が落ちるので、ゼアンは今日の寝床を探して山野を駆けた。


 辺境で最初に叩き込まれるのは生きる方法だ。魔獣討伐で山中行軍などいつものこと。魔境でもない場所など体一つでどうにでもなる。適当な場所に落ち着き、焚き火の側に座った。今日はここで野宿だ。


 コーネリアが婚約したと知った頃も、こんな風に一人で山籠もりをしていた覚えがある。


 まだ幼くて自分の感情を自覚することもできず、ただコーネリアがどこかへ行ってしまう、もう会えなくなってしまうと思って辛かった。国で決まったことで、何の約束もしていない自分が口を出す筋合いもない。ただただ拒絶の気持ちだけが大きくなって、どうしたらいいかわからず自分を持て余した。


 それを父に見抜かれ、思い悩んでいたゼアンは心情を吐露した。すると。


「幸せになってほしいのならできることは少ない。だが幸せにしたいのなら、強くなることだ――そうすれば大抵のことは解決する」


 豪放磊落を絵に描いたような父はそう言ってからからと笑った。ゼアンはその言葉を頼みに一人で魔境にまで足を踏み入れて魔獣と戦い続けた。おかげで誰からも次の辺境伯と認められる実力を身につけた。しかし。


「解決しません、父上」


 膝を抱えてゼアンは恨みがましく呟いた。


 自分の実力を邪魔に思う日が来るとは思わなかった。エルメインのような本当の貴公子だったらよかったのだろうか。だが辺境に生まれたゼアンには武力を捨てる選択肢はない。それにコーネリアを救うのにこの力が役立ったのも事実。


 あり合わせでスープを作り、骨付きのまま肉を炙ってかじりつく。ふとゼアンは手を止めた。


「……ネリアには似合わないよな……」


 小さく切って口に入れてやった肉を、美味しいと喜んでいた姿を思い出す。魔獣肉を嫌がらずに食べてくれたのが嬉しかった。あの時にはもう心のどこかで、コーネリアを辺境へ連れて帰りたいと思っていたのだ。


 平穏な山は考え事ができる時間が多くて困る。大きく息を吐いてゼアンは食事に集中することにした。





 卒業パーティの日がやってきた。


「何やってんだよ、あの馬鹿は……」


 朝一でゼアンの部屋を見に行ったエルメインは、頭を搔きむしりながら戻ってきた。


「まだお戻りではないのですか?」

「気配がない。いくら何でも今日は参加するだろうと思ってたのに」

「ゼアン様……」


 目を伏せたコーネリアの肩にエルメインが手を置いた。


「コーネリア。いつだって僕はお前の味方だ。何としてでもあいつを捕まえて連れてくる。だから……」

「お兄様」


 コーネリアは兄を見上げて微笑んだ。


「今日はせっかくのパーティですわ。お兄様の卒業のお祝いをさせてくださいませ。ゼアン様のことはそのあとで」

「……ああ、わかった。準備しよう」


 兄妹はそれぞれの部屋に戻って礼装に着替える。ニコラはコーネリアの髪を結い、化粧を施してドレスの着替えを手伝った。


「今日は眼鏡はいりません」

「さようでございますか」


 ニコラは差し出した眼鏡を下げ、目を細めた。素顔を暴かれた後もずっと使っていた眼鏡だが、ついに今日お役御免になるようだ。


「お綺麗でございますよ、お嬢様」

「ありがとう、ニコラ。お兄様の方も見てあげて。今日はお兄様は主役の一人なのですもの」

「かしこまりました」


 ニコラは一礼してエルメインの部屋へ向かう。


 一人になるとコーネリアはドレスの袖をめくって、そこに隠れたブレスレットを眺める。小さな白い花は、いつもと変わらず揺れている。


 ずっとゼアンと話がしたいと思っていた。今日こそは会えると思っていたのに、彼は現れない。


 一応行き先はメモに残されていて、国境沿いで魔獣を狩っているのはわかっている。しかしゼアンが不覚を取ったとは思いたくない。そして親友の卒業パーティをすっぽかすほど不義理なはずもなく、庭園で話した時のようなもやもやする不安が胸をよぎる。


「一体どうなさっているのかしら……」


 会いたい、と強く思う。以前は半年やそこら会わなくても普通だった。その頃はもっと淡い思いだった。留学してゼアンが側にいることが当たり前になって、その日常がなくなってしまったから余計に気持ちが募る。


「ネリア」


 ドアがノックされて、エルメインの呼ぶ声がした。


「今参りますわ」


 コーネリアが部屋を出ると、白い礼服のエルメインがそこに立っていた。それはご令嬢たちが夢見る王子様そのものだが、見慣れているコーネリアにとってはいつも通りだ。


「完璧ですわ、お兄様。きっと皆見惚れます」

「お前も綺麗だよ、コーネリア。よく似合ってる」


 兄が褒めてくれたが、一番見てほしい相手はいない。コーネリアは微笑んだが、その表情に一抹の陰が落ちるのを隠すことはできなかった。

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