第40話 中の名

 強さを見せてくれと、証明してくれと言った。でも本当は逃げてくれたってよかった。全力でと言ったのも、わずかでも彼の生存確率を上げられるならと考えたからだ。


 彼が傷つくくらいなら、命を落とすくらいなら、どんなに不名誉でも犠牲が出ようともその方がましだった。


 だいたいどうして他国のためにゼアンが命を懸けなければならないのか。討伐を依頼したヘーズトニア王にも、反対しない兄にも、ほいほいとあんな怪物に向かって行った本人にも腹が立った。


 普通の貴族女性は魔獣について「恐ろしい怪物」くらいの知識しかない。しかしヘーズトニアに限って言えば貴族の嗜みとして魔法具の知識を習うので、基礎知識として魔獣についてもある程度学んでいる。留学生のコーネリアもしかり。


 あくまで机上の知識でしかないが、角が五本というのは想像を絶する強さだということはわかる。飛竜ドラゴンでさえ四本角なのだ。つまりそれよりも強いということ。飛竜でも巷では伝説級の化け物なのに、レガリクスはそれを上回る。


 コーネリアは心配でならなかった。勝利なんかいらないから無事に帰ってきて、とそればかりを考えていた。


 しかし。


「……え……」


 王宮は他よりやや高い位置にある。なのでエントランスから物見塔の残骸や魔法学校まで見渡すことができるのだが、研究棟から離れてゼアンへ向かって行ったレガリクスは、食い殺すどころか逆に傷を負わされてガラガラガラとうるさく鱗を鳴らしていた。


 思ったほど強い魔獣ではなかった? いや、そんなはずはない。塔をバラバラにし、魔法を使って王宮の建物を焼いている。ケスハーンの魔法具もまったく効かなかったのだ。


 なのにゼアンはそんな巨大な怪物と真正面からやり合って一歩も引かない。


 強いとは思っていた。しかしゼアンはコーネリアの前では暴力的な面を一切見せたことがない。校舎の三階まで余裕でジャンプしようと、週末に魔獣討伐のため国境まで往復してこようと、具体的な事例を見たことがなかったため実感がなかったのだ。


「あんなに……?」


 比類なき力は何倍も大きい魔獣を受け止め、押し返す。それはいつもコーネリアを優しく抱き上げてくれた腕だ。風のような素早さは魔獣の攻撃を掠らせもしない。一緒にダンスのステップを踏んだ足だ。距離があって表情は見えないが、きっと兄と悪だくみをしていた時に見たような笑みを浮かべているのだろう。


 ヘーズトニアが世界に誇る対魔獣用兵器が傷一つつけられなかった魔獣を、たった一人で追い込んでいくその力。


 心臓が強い拍動を伝えてくる。体が熱を帯びる。


 「君に勝利を捧げよう」と言った声を思い出すと、背中がゾクゾクした。


「わたくし、あれほどの方に想っていただいたのですね……!」


 コーネリアに恐怖されることを恐れていたゼアン。そんな心配はいらないのだ。強い男を嫌う女はいない。嫌われるのは強さと暴力を勘違いしているからだ。ゼアンはそこを間違ったりしない。だってその強さはコーネリアを守るためのものなのだから。


 歓喜がコーネリアの体を震わせる。恋愛小説など目ではない。今そこで怪物を討つのは、コーネリアのために戦う彼女だけの英雄。


 王や貴族たち、学生も使用人も、驚嘆の声を上げ一合ごとに息を呑む。一歩も引かず魔獣に痛撃を与えていくゼアンに、人々の興奮が高まっていく。


「魔法が来る!」


 そう誰かが叫んだ。傷を負ったレガリクスが魔力を高め、虹色の光輝が強くなる。さっきのように炎が襲ってくるのだろうか。でも――。


「大丈夫。きっと……」


 何とかしてしまいそうな気がした。ゼアンが負ける姿などもう思い浮かばない。


「……お前もそう思う?」


 声に目を向けると、すぐ横でエルメインがくすりと笑った。


「大丈夫さ。だってあいつは……」


 エルメインはコーネリアの耳元に口を寄せて囁いた。


「ゼアン・レガリクス・アンサトだから」




 アンサト家の男子にはちょっと変わった風習がある。成人の時に、己が倒した中で最も強い魔獣の名をミドルネームとするのだ。おそらくは辺境という危険な土地で、領主一族の強さを端的に領民に知らしめる意味があったのだろう。


 成人年齢にちょっとだけ足りないゼアンは、まだその「中の名」を名乗ったことはない。だが名乗る予定の名はもう決まっている。


「三年前、お前の同類に出会ったよ」


 高まっていく魔力光を見ながら、ゼアンは笑う。


 強くなろうともがいていた頃。単独で魔境をうろついていた時だ。フラリビスのように見える塊に氷狼が襲い掛かるのを見た。そして虹色の殻を破って、五本の角が姿を現すのを。


「あの時は三日もかかった。おかげで手の内はよく知ってる」


 氷狼の放った魔法はことごとく無効化され、抵抗虚しく食い散らされた。そして隠れ潜んでいたゼアンもすでに捕捉されていて、止む無く応戦することになった。今よりもっと小さい体で、もっと小さい普通の剣で、攻撃を避けながら一撃離脱を繰り返した。当時はわずかでもダメージを積み重ねることしか活路がなかったのだ。


 初めての敵、一瞬も気の抜けない長期戦。敵に思うように手が届かないもどかしさにじりじりと焼かれながら、ゼアンは諦めず粘り続けた。何故なら魔境ここにいるのは手段を得るためで、目的はまだ先にあったからだ。道半ばで脱落できるわけはない。三日三晩戦い続け、その経験はゼアンの実力を大きく引き上げた。


 今、コーネリアがこの戦いを見ている。ずっと求めていた目的がすぐそこにある。完全勝利以外の選択肢はない。


「今はこれもあるしな!」


 蒼天に帯のように舞う白い鎖剣チェーンソード。巨大な敵と戦うためにゼアンが求めた巨大な武器。両手持ちの長い柄を、今は片手で操っている。


 カッと開いたレガリクスの口から、物見塔を破壊した光球が吐き出される。それはゼアンに届く前に鎖剣に貫かれてシャボン玉のように割れ消えた。爆発も熱もない。ふわりと光が広がっただけだ。


「いくらでも撃って来い。全部叩き落してやる」


 レガリクスはその挑発に目の赤色を濃くして鱗を光らせた。

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