第27話 囁く覚悟
留学生寮ではエルメインが雑務に追われていた。
「うーん。ネリアとゼアンはこのまま卒業までヘーズトニアに残るのか? それとも留学生は一旦帰国することになるのか?」
こればかりは本国とヘーズトニアの話し合いの結果による。来月には使者がやってきて会談が持たれる予定だが、それまでは今まで通りに動くしかなさそうだ。留学生代表と寮長の引継ぎは一旦保留だ。
今年度の授業も一段落して学校は長期休暇に入った。研究熱心な生徒は自主的に研究室に通ったりするが、大体はのんびりと羽を休めている。コーネリアは最近第二王子と側妃のマナー教育を頼まれて離宮に通っている。聞くところでは授業は穏やかな雰囲気で進んでいるようだ。
ヘーズトニア王はルイリッヒがケスハーンのようにコーネリアに執着することを心配したらしい。次代の王としてバーンイトークに知り合いを持つ利点も考えただろうが、資質を確認する意味もあったようだ。幸いルイリッヒはコーネリアを「遠くから見る高嶺の花」と受け取ったらしく、憧れの目は向けてもそれ以上を望む気はないらしい。国王は安堵したようで、エルメインにわざわざ「今度は大丈夫」と念押ししてきた。
もうコーネリアをカエル姫と呼ぶ者はいない。誰からともなく妖精姫という新たな仇名が広まり、賞賛が侮蔑に取って代わった。変わらずコーネリアと共にいる最強の番犬は、いるだけで余計な虫を寄せ付けない。魔法学校の学生たちから噂が広まったらしく、命が惜しければ妖精姫には近づくなというのが常識だ。安心は安心だが、まだ何も決まっていないのにと思うともやもやする。
「ネリアを守ってきたのは僕なのに……っ!」
「往生際が悪うございますよ、坊ちゃま」
「……うがあ――っ」
ニコラに突っ込まれてエルメインはうめき声を上げた。
「卒業パーティは僕がネリアをエスコートするから! 絶対これは譲らない!」
一年生と二年生がどうなるかはわからないが、エルメインの卒業は決まっている。毎年王宮で祝いのパーティが開かれ、魔法学校の学生はそれに参加することになっているのだ。
残り少ない機会を逃す気はない。エルメインは微笑ましく笑うニコラに、兄妹で対になる衣装の手配を頼むのだった。
☆
王宮の自室でケスハーンは呆然と日々を過ごしていた。卒業も間近だというのに、謹慎を命じられて学校にも行けない。カヤミラも側近も引き離されて、今まで顔も知らなかった侍従が数人、身の回りの世話をしている。
「お前は王太子にはなれない」
そう怒鳴った父の声がいつまでも耳の奥に残っている。
ケスハーンはずっと当たり前のように、自分が王になるのだと信じていた。正妃が産んだ第一王子。同盟国ワイラの支持もある。父の代理で公務に出たことだってある。何の懸念があろうか。
なのに突然足元は粉々になり、先の見えない暗闇に落とされた。これから自分はどうしたらいいのかわからない。ソファで膝を抱えて丸くなる。
ふと扉の前で言い争う声に、ケスハーンは顔を上げた。
「殿下は謹慎中です! 陛下は誰も入れるなと……」
「無礼者、下がれ!
間もなく扉が開き、侍女を連れて入ってきたのは豪奢なドレスを纏った王妃だった。
「母上! カヤミラ!」
母に従う侍女の中に愛しいカヤミラがいる。死人のようだったケスハーンの顔に生気が戻った。
「この愚か者がッ!」
王妃は近づくなりケスハーンの頬を張った。ぱあん、といい音が室内に響く。
「黙っていても玉座に座れるというのに、バーンイトークの女などにうつつを抜かして!」
山岳の多いワイラは、常々恵まれたバーンイトークの土地を狙って紛争を繰り返してきた。バーンイトークは都度それを退け続け、全面戦争こそないが互いに立派な仮想敵国筆頭である。ワイラの女である王妃もバーンイトークにいい感情を持ってはいなかった。息子がそれで王座を逃したとなれば尚更だ。
「陛下はルイリッヒを後継者にすると決めました。卒業パーティで同時にそのことも発表なさるおつもりよ」
「……そう、ですか……」
また
「それだけ? お前は唯々諾々とそれを受け入れるつもりなの!?」
「……でも、父上の決定なのでしょう?」
突き付けられた扇から目を逸らしてケスハーンはぼそぼそと言った。王妃の形相がさらに険しくなった。
「……陛下は、ルイリッヒにコーネリアとお茶会をさせているわ」
ぴくりと肩を震わせこちらを振り返ったケスハーンに、王妃は扇の影で唇を噛む。黙って控えたままのカヤミラは目を逸らした。
「そ、それは……」
「仲良くさせたいのでしょう。求められればカヤミラも王子付きに差し出すことになるかもね」
「そんな!?」
カヤミラは部屋に入ってからずっとケスハーンと目を合わせようとしない。もしかしたらもうそんな話が来ているのではとケスハーンは焦る。婚約に支障が出た場合、それを兄弟が引き継ぐというのも時々ある話だ。
今まで取るに足らないと思っていたルイリッヒが、自分の代わりにすべてを手に入れる。王冠も、カヤミラも、まだ見たことのないあの可憐な少女の笑顔も。自分のものになるはずだったのに全部奪われた。そう思うと昏い感情が心を埋め尽くしていく。
「母上……」
「何かしら?」
「ワイラ王国はまだ我の味方でしょうか?」
王妃はぱちんと音を立てて扇を閉じ、息子の顔を見直した。
「それはお前次第だわ」
ソファから見上げてくる息子を見下ろして、王妃は言った。
「誇り高きワイラとヘーズトニア。二つの王家の血を引く王子なら、それにふさわしい覚悟をお見せ。そうすれば母も故国もお前に力を貸しましょう」
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