第37話 紫の告白

 遠目で見ていた王と貴族たち……兵士や学生を含む観客一同は「おお」とか「きゃあ」とか叫びながらその光景を見ていた。


 ゼアンとエルメインが姿を消したあと、レガリクスが物見塔のバルコニーに向かって口を開いた。その口の中で光が収束し、球になる。全員が嫌な予感に震えた。しかしその時。


 どこから飛んできたのかわからない。だがインパクトの瞬間は一般人にも見えた。


 ゼアンがレガリクスの横っ面を蹴り飛ばした。サイズ的に差がありすぎるが、そうとしか思えない絵面と結果だった。レガリクスの首が物見塔とは逆側に倒れていく。


 それによってバルコニーを直撃するはずだった光は逸れ、塔を掠めて上空へ飛んでいった。ゼアン自身はレガリクスを踏み台に反転してくる。そして物見塔の残骸から落ちてくる紫の花を拾い上げた時は、女性陣の黄色い声も含めて大きな歓声が上がった。


 ワンテンポ遅れてエルメインらしき影が別の落下物をキャッチしており、おそらくはケスハーンだと思われた。ドレスらしきものも見えたので、カヤミラも一緒なのだろう。


 あまりのことに声も出ない王は、背後で貴族たちが「やった!」とか「さすがゼアン様だ!」「やってくれると信じていた」などとはしゃいでいるのに気付く。


「お主ら……」


 中庭の事件の時、王はゼアンが先にケスハーンのところへたどり着いていたことは知っている。だがその後次々と問題が発覚したため、破れた窓やどうしてそうなったのかという疑問はすっかり頭から飛んでいた。今初めて、王はゼアンの異常さを目の当たりにしたのである。そしてどうやら、貴族たちはすでにそのことを承知していたらしい。


「どういうことか説明せよ!」


 ヘーズトニア王がヒステリー気味に怒鳴る。クーデター騒ぎ、ワイラ軍の侵攻、五本角の魔獣。一度に起こるには盛りすぎのイベントに、王の平常心はすでに限界突破していた。





 遠のいていた意識が戻って来る。


 心地よいぬくもりと安心、感じる鼓動。目を開けると艶のある黒髪が風に揺れていた。


「……ゼアン様……?」


 背を支える腕に力が込められて、コーネリアは頬に何かが触れるのを感じた。


「ごめん、ネリア。本当にごめん。許して」


 声のか細さにコーネリアは胸をぎゅっと締め付けられる。普段凛々しさの勝るゼアンが、雨に濡れた子犬のように頼りない表情を浮かべている。それでも抱かれた時の安定感はいつも通りで、夢でもなんでもなく、やっと会えたのだと涙がこぼれた。


「許しません! 馬鹿、馬鹿っ! 怖かったのに! 本当に、すごく……!」


 コーネリアはゼアンの首に抱き着いた。体が震えて止まらない。


「人の話も聞かないで、どこかへ行ってしまって……いつまでも帰ってこなくて、心配で! 肝心の時にいなくて! 守ってくださるのではなかったの!?」

「ごめん」

「あなたがいなかったから、わたくし無理矢理連れて行かれてしまったのですよ!」

「ごめんなさい」

「わたくし、あなたに会えないまま死ぬところだったんですのよ……!」


 落下した時コーネリアが恐怖したのはそのことだった。もう二度と会えないのかと息が止まった。さっと青ざめたゼアンがコーネリアを抱きしめる。


「申し訳ありませんでした……」


 互いの髪と頬が触れ合う。このまま震えが止まるまで強く抱いていて欲しかった。泣きじゃくりながらコーネリアはゼアンに怒りをぶつける。


「謝罪ばかりで! 他に言うことはありませんの!? せっかく、お兄様に我儘を言ったドレスですのに!」

「……大人っぽくて綺麗だよ」

「わかりませんの!?」


 ぽかぽかとコーネリアはゼアンの胸を叩いた。ゼアンはバツが悪そうにコーネリアを見つめた。もちろん一目見てわかった。


「……紫」

「あなたがヘタレだからこんなことになったのですわ! どうしてわたくしが自分で用意しなくてはなりませんの!?」

「本当に申し訳ありませんっ!」


 追い詰められた表情でゼアンは頭を下げた。見た時はドキッとしたのだ。紫はゼアンの瞳の色。差し色に使われている黒はゼアンの髪の色。いつもは可愛らしいコーネリアが急に大人びて、まるで儚い幻のように神秘的で、受け止めた時は天女が落ちてきたかと思った。


 パートナーの髪や目の色にドレスの色を合わせるというのは、基本的に相手が婚約者や夫婦など公認の関係である場合だ。普通は男の方から贈るものであり、自前でとなると勘違いしたイタい女になってしまう。そんなことは百も承知のはずのコーネリアが、どうしてこんなドレスを着ていたのか。


 そんなの聞くまでもない。ゼアンのいないパーティで、男たちを牽制するためだ。卒業パーティに参加するような客は、皆ゼアンのことを知っている。紫も黒も、誰の色なのかすぐに察する。


 コーネリアはこの色で周囲に知らしめたのだ。番犬がいない隙に近づいてくるような男に、万が一にもチャンスなどないと。自分はゼアンに守られることを選んだのだと。


「ご心配の通り、わたくしは弱いのです。このドレスに頼らなければならないほどに」

「コーネリア」

「だから、だからわたくしは……」


 ゼアンは遮るようにコーネリアを胸の中へ抱き込んだ。


「お願いだからそれ以上言わないで。俺が、本当にヘタレになっちゃうから」


 抱きしめてコーネリアのこめかみにキスをする。そして言った。


「君を愛している。大切にするから、辺境までついてきてくれるかい?」

「はい、参ります」


 もう一度ぎゅっと抱きしめて、ゼアンはコーネリアを抱え直した。転落した時に靴を落としてしまっているし、それがなくともゼアンにコーネリアを下ろす気はない。


「一旦皆のところまで戻る。それからあれをどうにかしないと」


 ゼアンはコーネリアの安全のため、陰に隠れるように素早くそこから離れた。


 物見塔に集中していたレガリクスは、今の攻撃が何者の仕業なのか知覚できていなかった。威嚇音を派手に鳴らしながらゆるゆると首を立て直す。周囲を見回すが敵の姿はない。巨獣は怒りをぶつけるように物見塔の壁に尻尾を叩きつけた。

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