第38話 力の論理

 連れ戻されたケスハーンとカヤミラは、大きな怪我がないのを確認された後即刻手枷をはめられた。ヘーズトニア王は何とも言えない表情で助け出された息子を見下ろす。


「父上」

「あれがワイラのしたことだ。己の愚かさを自覚しろ。ゼアン殿とエルメイン殿がいなければお前はあそこで潰されていたのだ」


 物見塔を破壊している巨大な魔獣に、ケスハーンががっくりと肩を落とす。自分が王になろうとして安易にワイラを頼った結果だ。きょろきょろと周囲を見回して、味方は誰もいないと悟る。


 命の危機を経験し、守るべき対象を自覚したケスハーンは、やっと他者を慮る視点を得た。腕組みをしたままのエルメインを見つけて頭を下げる。


「すまん。助けてくれたことに感謝する」


 ケスハーンはそう言ったが、エルメインは冷淡だった。


「礼を言われる筋合いはない。僕は目の前で死なれても気分が悪いから拾っただけだ。お前はこの十年妹を苦しめ続けた挙句、死なせるところだった。許すはずないだろう」


 ケスハーンがたじろぐ。エルメインはもはや王子に対する礼節を捨てている。その態度に、ケスハーンは自分が反逆者で大罪人である事実を突き付けられた。


 そこへゼアンとコーネリアが戻ってきた。コーネリアがゼアンの服をひしとつかんでいるのを見て、先ほどのカヤミラに重ねてしまう。きっちり救い上げたゼアンと、落ちるしかなかった自分。情けなさと敗北感で打ちのめされ、ケスハーンは再び頭を垂れた。


「すまないっ! お前のおかげで我とカヤミラは」

「黙れ」


 エルメインに倍する冷度でゼアンが遮った。


「お前を助けるつもりなどなかった」


 実際にゼアンはコーネリアだけを救って振り返らなかった。自分がいかに無価値な存在に成り下がったのか、否応なしにケスハーンは理解せざるを得なかった。


 沈鬱な空気をぶち壊すように、人垣の中からエマが明るい表情で駆け寄ってきた。


「コーネリア様! ご無事でよかった!」

「エマさん、あなたもよ」


 コーネリアは痛ましそうにエマの顔のあざを撫でた。エマがぽっと頬を染める。


「これくらい平気です」


 エマはてへっと笑い、どうやらいい方に落ち着いたらしい推し二人を満足げに眺めた。


「ゼアン殿」


 国王が近づいてきた。レガリクスは八つ当たりのように体をうねらせて物見塔を粉々にしていた。


「貴殿はあれを……倒せるのか?」


 貴族たちからゼアンによる魔獣討伐の実績を聞いたヘーズトニア王は尋ねた。にわかには信じられないが、先ほどの実力行使を見るに可能性はゼロではないように思えたのだ。


「倒してもよいのですか?」


 言外に王からの依頼にしていいのかと聞いている。王は即答した。


「頼む」


 元凶であるワイラに救援要請するよりは、ゼアンの方がましだ。バーンイトークに負債が積み上がっていく気がするが、背に腹は代えられない。


「条件があります」

「む?」

「もしバーンイトーク側から異議が上がっても、婚約の継続や差し替えは受け入れないという確約をいただきたい」


 何を言われるかと身構えたヘーズトニア王は、内容を聞いてほっとした。


「もちろんだ。今までの詫びも含めて必ずコーネリア嬢を自由の身にすると約束しよう」

「ありがとうございます」


 それで済むならお安いものだ。もとよりケスハーンがこんな状態で婚約などあり得ないし、ルイリッヒに兄の轍を踏ませるつもりもない。ゼアンと直接取引するのだから、貴族たちにしたのと同じようにあくまで個人的な協力ということになる。バーンイトーク本国に借りを作るよりはずっといい。


 いや。


 王は思い直した。これは確実にコーネリアを手に入れるための布石か。ゼアンの色を纏ったコーネリアを見る。これに応えねば男ではないだろう。


「これは……意外と大変な責を負わされてしまったかもしれん」


 おそらくバーンイトークも否とは言わないだろうが、万一アクシデントが起こったらヘーズトニアはゼアンの味方をしなければならない。約束が果たせなかったら地獄を見ることになりそうだ。王は表情を引き締めた。


「物見塔周辺の兵や使用人の退避は済んでいる。学校の敷地内にもう人は残っていない。市街地に出さないようにはできるだろうか?」

「承知しました。校舎はおそらく倒壊することになると思いますが」

「その程度は気にするな。市民の安全にだけは気を配ってほしい」

「心得ております。念のため避難は続けてください」


 短く打ち合わせを終え、ゼアンはエルメインにコーネリアを預けた。そして研究棟に陣取るレガリクスの方へ向かおうとすると、コーネリアがそれを呼び止めた。


「ゼアン様!」


 ゼアンが振り返ると、コーネリアは強い声で訴えた。


「わたくしはあなたを怖いと思ったことは一度もありませんわ。ですからお願いです」

「……何?」


 ゼアンはたじろいだように問い返した。


「どうぞ全力で戦ってくださいまし。わたくしは、そんなことを気にしてあなたが不覚を取る方が恐ろしいです」

「……ごめん」


 コーネリアはまだ怒っていた。勝手な思い込みがどれだけ彼女を傷つけたのかと思うと、謝ることしかできない。しかしコーネリアは容赦がなかった。


「謝罪の言葉ではなく、あなたの強さを証明してください! 大事にしてくださるのは嬉しいですわ。でも、だから、わたくしは何も知らないのです。婚約破棄の件だってお兄様と二人で全部手を回して……あなたがどうして恐れられるのか、何をしたのか実際のことはわかっていないの……!」


 必死さと不安をにじませる彼女に、怒っているのではなく心配しているのだとゼアンは気付いた。今から戦う相手は五本角。最強レベルの魔獣だ。きっとコーネリアにはその強さは計れない。しかしゼアンの実力はそれ以上にわからないのだ。


 今までコーネリアの前では喧嘩のひとつもしてこなかった。ケスハーンを脅したのも殺気を向けた程度で、それも手加減していた。身体能力が高いことはわかっているだろうが、それを敵に向けたらどうなるかを見せたことはない。


 目の前で塔を壊し、魔法具も受け付けない巨蛇。そんな怪物にゼアンの力が本当に通用するのか、コーネリアにはまったく見当もつかないはずだ。


「わたくしを辺境に連れて行くのでしょう? ねえ、お願い。だから本気を見せて。あなたが本当に強いのだとわかれば、わたくしも安心できるのですわ」

「ネリア」


 コーネリアは強い目で見つめつつも声を震わせる。ゼアンは思わず彼女を抱き寄せて、そしてはたと思い当たった。


「あ」


 ――強くなれば大抵の問題は解決する。


 父の言葉がすとんと腑に落ちた。邪魔者を排除できる。守りたいものを守れる。要求だって通せる。何より惚れた女を安心させられる。


 怖がらせると思ったのは勘違いだった。コーネリアがゼアンの無事を心配するのなら、負けることなどないと教えてやればいい。この力を磨いたのは正しい。


「……わかった。約束する。必ず勝利を君に捧げよう。ここで見ていてくれ」


 ゼアンは片膝をついてコーネリアの手に唇を落とした。エマを筆頭にギャラリーの女性が黄色い声を上げてどよめいた。


 形はいかにも守護騎士と貴婦人だったが、考えていることは野蛮で迷いなき力の論理。ゼアンは完膚なきまでにレガリクスを粉砕することを決めた。

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