第2話 侯爵家の敵

 魔法学校は王宮の隣にある。というのも、国の主要産業である魔法具の製作技術は厳重に管理されており、学校も国家機関の一部という扱いになっているからだ。王宮に近い方から教授たちの研究棟、校舎と並んでおり、さらにその外側に二つの寮があった。一つは特別推薦を受けて入学する平民のためのもの。もう一つはバーンイトークからの留学生用だ。留学生は今のところ、バーンイトーク王国からしか受け入れていない。


 その留学生寮からぼんやりと外を眺めていたエルメインは、妹を抱えて歩いてくる親友の姿を見て部屋から飛び出した。


「どうしたんだ、ネリア! 何があった?」


 妹と同じ金糸の髪はきらきらと輝いているが、表情は心配で曇っている。


 カエル顔の遺伝子に呪われ続ける侯爵家で、エルメインは初の例外として生まれた。母譲りの繊細な美貌に恵まれ、見るなり令嬢たちが放心してため息をつくほどの美男子である。


 しかし本人は、何故妹ではなく自分がこの顔を受け継いだのかと悩み、代わってやりたいと本気で思うくらいには妹LOVEであった。シスコンという呼称はエルメインにとっては誉め言葉である。


 コーネリアはゼアンの腕から下ろされて兄を振り返った。


「お兄様、わたくしは大丈夫です」

「大丈夫じゃないだろう! おい、ゼアン!」

「例の王子に会った」

「……あの野郎! 王宮での挨拶をすっぽかして学校に逃げ込んでいたのか!」


 コーネリアが留学してきたので、エルメインは妹とゼアンを連れてヘーズトニア王へ挨拶に行った。婚約者のケスハーンもそこにいてしかるべきだったが、王が申し訳なさそうに急用で留守にしていると説明していた。


 その後でコーネリアとゼアンは学校の見学に行ったのだが、そこでケスハーンと鉢合わせしたのである。


「暴言を吐かれて動けなくなったみたいだ」


 ゼアンが言うと、エルメインは眉を跳ね上げた。


「あいつまた……!」


 エルメインは婚約式のことを思い出した。コーネリアが人形のように真っ白な顔で、母に抱えられて帰ってきたあの日。あれからケスハーン王子は侯爵家にとって許さざる敵となったのだ。





 この婚約が結ばれた背景には、複雑な国際情勢と馬鹿馬鹿しい個人の都合があった。


 ことの始まりは、ヘーズトニアが長年同盟関係を結んでいたワイラ王国が弱体化したことだ。


 隣同士であるこの二国は、ワイラが魔獣の討伐と素材の提供を行い、ヘーズトニアが対魔獣用の魔法具を融通するという、持ちつ持たれつの関係を続けてきた。


 しかしここ最近ワイラは魔獣被害の増大で国力を落とし、ヘーズトニアへの素材供給も安定しなくなった。魔法具の作成には魔獣素材が欠かせない。主力産業を守るため、ヘーズトニアはバーンイトーク王国へ魔獣素材の取引を打診した。


 つまり、最初は単に貿易交渉でしかなかった。だが途中で何故かヘーズトニアから、王子ケスハーンとモーサバー侯爵令嬢コーネリアの婚約の話が持ち上がり、貿易交渉に絡めて強硬に押してきたのだ。


 当時コーネリアはまだ五歳。バーンイトーク側は首を捻った。もちろん侯爵令嬢であるし、傍系とはいえ王家の血も引いている姫だ。身分に問題はないが、ただそれだけ。侯爵家は宰相を務める優秀な家系だが、代々カエル顔で知られており娘も例外ではない。小さな顔に不釣り合いに大きな目と口。父はカエル侯爵、娘はカエル姫と陰で揶揄されており、コーネリアをわざわざ指名する理由がわからなかった。


 しかしヘーズトニアは、魔法学校へ留学生を受け入れるという手札まで切ってきた。一部ではあるが、ずっと秘匿してきた魔法具技術を教えるというのだ。バーンイトーク上層部も驚き、そうまでするならと婚約を受け入れる方向で話が進んだ。


 条約は無事締結され、同じ日にバーンイトークで婚約式が行われることになった。ところがコーネリアを見た途端、ケスハーンは暴言を吐いた。


「騙された! こんなカエル顔の醜女しこめなどいらんわ! 汚らわしい!」


 ケスハーンはそのまま会場を出て、翌日さっさと帰国してしまった。後日、真相を知った侯爵一家は激怒する。


 侯爵夫人は事前交渉のタイミングで、使節の一人としてヘーズトニアを訪問したことがあった。その時夫人の美貌に魅了されたケスハーンが、「あの白い女神が欲しい」と駄々をこねたのだという。周囲はあれこれ言い聞かせたが、御年七歳の王子殿下はお気に入りの玩具に執着するノリで頑として譲らなかった。


 王の姪である侯爵夫人は”王国の白薔薇”と呼ばれた絶世の美女だった。しかし欲しいから寄こせと言える相手ではない。というわけで、妥協案として出されたのが娘のコーネリアとの婚約だったのだ。バーンイトークの素材が上質だったこともあって、縁を結ぶのも悪くないとヘーズトニア王もそれを認めた。


 ヘーズトニア側は美女の娘なら美少女に違いないと思い込んでおり、バーンイトークが不審に思って何度も確認したことも、出し惜しみしていると深読みされていたらしい。


 妻に懸想され、代わりに娘を寄越せと要求され、しまいに醜いからいらないと拒否された侯爵は怒髪天を衝いた。夫と娘をこよなく愛する夫人も、父を尊敬し妹を可愛がるエルメインも同様だ。


 即刻婚約などなかったことにしようとしたが、貿易条約の一部に含まれていたせいでそこだけなしにはできない。条約の見直しとなれば、言い出した側が損をする。破棄したいのはケスハーンも同じだが、一度は息子の我儘を聞いたヘーズトニア王も二度は許さなかった。


 そんなわけで、互いに破棄したい婚約は今でも継続しているのだった。

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