カエル姫の婚約破棄を巡る留学生活

踊堂 柑

第1話 カエル姫の留学

「コーネリア、いや”カエル姫”! お前のような醜い女は我が妃にふさわしくない! 我の愛はすべてこのカヤミラのものだ!」


 ここはヘーズトニア魔法王国の王都にある魔法学校。その玄関ホールで怒鳴り声を上げたのは、この国の王子であるケスハーン。赤みの強い茶色の髪と浅黒い肌を持つ大柄な青年だ。王子らしく容姿は整っているが、態度にも表情にも傲慢さが覗く。


 ケスハーンの背後では王子を後押しするように、側近候補という名の取り巻きが威圧的な壁を作っていた。


 今は新年度を控えた休暇中だが、研究室や図書館を利用しようという勉強熱心な生徒がそれなりにいる。騒ぎに気付いた彼らは、一体何事かと廊下やドアからこっそり見守っていた。


「まあ、ケスハーン様。そのように堂々とおっしゃっては……恥ずかしゅうございますわ」


 ケスハーンの腕に抱き着いて、ピンク髪の女が口角を上げた。王子の言う最愛のカヤミラである。薄絹を重ねた異国風のドレスを着ており、出るところは出て引っ込むところは引っ込んだ蠱惑的な美女だ。


 二人に相対するのは小柄な金髪の少女だった。整えられた髪と上品なドレスは、こちらもまたヘーズトニアではなく異国のものだ。立ち居振る舞いから身分のある令嬢とわかるが、大きな分厚い眼鏡をかけ、厚化粧のため表情はよく見えない。背筋こそ伸ばしているが、その体はわずかに震えていた。


「そうでございますか。しかしわたくしとケスハーン殿下の婚約は、国同士の約定。わたくしの一存でなかったことにはできません」


 か細いがはっきりとコーネリアはそう言った。ヘーズトニアの第一王子であるケスハーンと、バーンイトーク王国の侯爵令嬢であるコーネリア・モーサバーの婚約は、家同士ではなく国同士の間で決まったものであった。


 ケスハーンが忌々しげに鼻にしわを寄せる。


「ふん、生意気な! いずれお前との婚約など破棄してやる! 見苦しい姿を我に見せるな!」


 ケスハーンは受付の前に置かれていた呼び出し用のベルをつかむと、コーネリアに向かって投げつけた。コーネリアが反射的に身をすくめる。ベルはコーネリアに当たることも外れて落ちることもなく、一人の少年の手に受け止められていた。


 コーネリアをかばうように立っているのは、黒髪に紫の目をした少年だった。衣装の雰囲気がコーネリアのものと似ている。すらりとした体躯を持ち、見守っていた女生徒たちがはっとするほど凛々しく整った容貌をしていた。


「何だ、貴様は?」


 明らかに王子に逆らうような行動に、ケスハーンは目を細めた。少年は一礼して答える。


「バーンイトーク王国の辺境伯、アンサト家のゼアンと申します。こちらではモーサバー侯爵令嬢の護衛を務める身なれば、今のような行動は控えてくださいますよう」

「は? ……辺境伯?」


 ヘーズトニアにはない聞き慣れない称号にケスハーンは眉を寄せ、それから鼻で笑った。


「へき地に追いやられた貧乏貴族の小倅か。我に意見するなど百年早いわ! とっとと故郷へ帰れ、山猿め!」


 言い捨てるとケスハーンはくるりと背を向けた。腕にぶら下がったままのカヤミラも見下すように笑って、ケスハーンに歩調を合わせて歩き出した。大勢の取り巻きたちがそれを追いかけて行く。


 呆気に取られて見ていた生徒たちも、王子の退場と共にそそくさと引っ込んだ。


 ほっと息をついてコーネリアが見ると、ゼアンはベルを元あった場所に戻したところだった。目が合うとゼアンは微笑む。それからケスハーンが消えた廊下を向くと、その笑みが少しばかり剣呑なものへと変わった。


「なるほど、聞いた通りの奴だ。敵だな」

「ゼアン様」


 コーネリアは小さくたしなめる。思っていても口に出すべきではない。ゼアンは軽く肩をすくめた。


「ごめん、ネリア。とりあえず今日はもう帰ろう」

「はい……あ……」


 コーネリアは歩き出そうとしたが、足が震えて動けなかった。対峙していた時は必死で気が付かなかった。大柄なケスハーンに上から怒鳴られ、物を投げられて体が委縮してしまったのだ。


「ネリア?」

「ごめんなさい……足が」


 説明する前に察したのか、ゼアンは目を細めてコーネリアを横抱きに抱え上げた。


「相変わらず軽いね」


 コーネリアの顔色は化粧で見えないが、みるみる耳が真っ赤に染まる。


「ゼアン様……っ」

「大丈夫。可愛いネリアを落っことしたりしないから」


 ゼアンはコーネリアに囁くと、一陣の風のようにその場から消えた。

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