第29話 憂える恐怖

「説明してもらおうか!」


 エルメインに胸倉をつかまれてゼアンは目を逸らした。夕食後、部屋にエルメインが突撃してきて外に連れ出されたのだ。


 寮の裏手、窓のない壁の前で詰め寄られて、ゼアンはとぼけた。


「何をだ?」

「ネリアに何か言っただろう! 帰ってきてからずっと塞ぎ込んでるんだ!」

「……しばらくすれば落ち着くよ」

「やっぱり心当たりがあるんじゃないか! 一体何を言った!?」


 エルメインは怒っているが、長い目で見ればきっとコーネリアのためになる。そう思ったからゼアンは口にした。


「……ネリアは自由になったんだから、可能性を狭めないでほしいって……」

「っざけんなっ!」


 エルメインの拳でゼアンは吹っ飛んだ。手の甲で口元を拭いながら起き上がる。ケスハーンの側近に殴られてもどうもなかったが、今ので少し口の中を切ったようだ。


「それは他の男を視野に入れろってことか!?」

「……焼肉の効果は出てるみたいだな」

「うるさい! 何で今になって急に手を離すんだよっ!?」


 コーネリアとゼアンが互いに好意を持っているのは、子供の頃から疑いようがなかった。婚約が決まっていたから話題にすることはなかったが、あんな砂糖を振りまくような態度で隠せるわけがない。


 ゼアンは迷いもせずコーネリアの留学についてきたし、婚約破棄の企みにも全力で手を貸してくれた。だから王が承諾した時、これで妹は幸せになれるとほっとした。バーンイトークの最強がずっとコーネリアを守ってくれると、そう思ったのに。


「お前だから納得したんだぞ、僕は! なのに何でそんなこと言ったんだ! ネリアを嫌いになったのか!」

「そんなわけがあるかッ!」


 振り向いたゼアンと勢い余って額がぶつかる。ガチンと派手な音がしたが、どちらも目を逸らすことなくにらみ合った。


「俺だって……だって、ネリアを苦しめたくないんだよ!」


 ゼアンが吐き出した本音に、エルメインは目を見開いた。


「今までネリアを救わなきゃって、何とかして婚約を破棄させなきゃってそればかり考えてた! それが叶って、これからどうするかって考えたら初めて気付いたんだ。俺がネリアを望んだらどうなるかって!」

「どうなるって、年齢も身分も何の問題もないだろう」


 エルメインには、ゼアンの側で笑うコーネリアの顔しか浮かばない。苦しめたくないなんて、ゼアンが言う意味がわからなかった。そんなエルメインにゼアンは怒りの表情を向けた。


「俺は辺境伯になるんだぞ。辺境がどういう場所かわかってるのか? すぐ隣の魔境から魔獣がいくらでも湧いてくるんだ。夜中でも魔獣の襲撃があれば迎撃に出る。辺境民は強いっていうが、そうじゃないと生き残れない。そんな危険な場所なんだ!」


 怒鳴られて、エルメインは息を呑んだ。知識としては知っていたはずなのだ。だがそれを自分たちのこととして受け止めることができていなかった。


「だが、お前の母君だって王都育ちだろう?」

「母上は女だてらに騎士として剣を振り回していたお方だぞ。ネリアと一緒にするな」


 白薔薇と並ぶ王国の赤薔薇。そう呼ばれたもう一輪の薔薇は「自分より弱い男に興味はない」と公言してはばからなかった。ゆえに白薔薇ほど求婚者は現れなかったが、ゼアンによく似た面差しの凛とした美女である。輿入れ後には夫と共に魔獣討伐に赴き、飛竜を駆って王都実家を訪れるような女傑であった。


「ネリアはあんなにちっちゃくて可愛いんだぞ! 馬鹿王子にもあんなに怯えていたのに、そんなの無理に決まってるだろ! 館から一歩も出られなくなってしまう!」


 生粋の貴族令嬢として育てられたコーネリアは、当然ながら武の心得などない。辺境では館の外には常に魔獣の危険が付きまとう。


 もちろん護衛はつくだろうし、町中で見つかるのは魔獣といっても辺境の民なら自衛できる程度の小物だ。だがそれは生まれ育った環境で慣れているから。魔獣を食らい、魔獣と暮らす生活。コーネリアがそんな日常を受け入れ、順応できるだろうか。


「……父上も同じことを考えて、でも母上なら大丈夫だって求婚したんだ。でもネリアは……」


 悄然と肩を落とすゼアンに、エルメインはなおも食い下がった。


「でも、お前ならネリアを守れるんじゃないのか?」


 そう言うとゼアンは力なく笑った。


「……ああ。何が来ても絶対守る。そのつもりでいた」

「じゃあ……」

「でもさ。お前も見ただろう? 俺が魔獣討伐に行った貴族たち……」

「えっ?」


 何の関係があるのかとエルメインは眉をひそめた。


「彼らにとって俺は恐怖の対象なんだ」

「それはっ……!」


 ワイラ派の結束を崩すためにゼアンに暴れてもらった。大国が強大な軍備で脅すのと理屈は同じだ。それは十分な成功を収め、ケスハーンの支持層は瓦解した。


 その折れた連中が、ゼアンを鬼神の如く恐れているのは事実。普段のゼアンは物静かで他人に暴力を振るったりはしない。それでも中庭でゼアンの足元にひれ伏した生徒が一体何人いただろう。


 エルメインはゼアンに負わせたものに気付いて唇を噛む。ゼアンがいるならコーネリアに余計な男は寄ってこない。そう単純に喜んでいたが、それだけゼアンが恐れられていることの証左であった。


「そういう作戦だったから別にそれはどうでもいい。でも、もしネリアにあんな風に見られたら、俺は……」


 エルメインだってゼアンの全力を見たことはない。だが辺境はヘーズトニアの国境の魔獣など足元にも及ばない凶悪な敵が出現する土地だ。その分戦いだって苛烈になるだろう。ゼアンはその先頭に立って兵を率いる立場だ。鬼神の貌になったゼアンをコーネリアがどう思うかはエルメインにもわからない。


「守りたいのに怖がらせたら意味ないだろ? ……それに、ネリアは綺麗なものに囲まれているのが似合ってるような気がして」


 自嘲の笑みを浮かべるゼアンに、エルメインは何を言うこともできなかった。

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