第24話 望んだ日
阿鼻叫喚の放課後が終わり、留学生たちは寮に帰ってきていた。渦中にあったゼアンとモーサバー兄妹も同様だ。
コーネリアは帰り着くなりニコラに風呂へ連れて行かれ、今は暖かな部屋着にショールを巻いて長椅子でクッションに埋もれている。化粧は落としたが、急には落ち着かないと眼鏡だけはそのままだ。
「ネリアはいつでも可愛いよ」
コーネリアの頭を撫でながらゼアンが言う。婚約破棄の言質を取ってから、ゼアンは少々壊れ気味だ。今もコーネリアの隣に陣取って、お茶だお菓子だとあれこれ世話を焼いている。
「疲れたら寄り掛かっていいよ。眠ったらベッドに運んであげるし。でも今はネリアの側にいたいんだ」
「ゼアン様」
「駄目?」
「じゃあ、失礼して……」
頬を赤くしながらもコーネリアがゼアンの肩に体重を預ける。ゼアンはニコニコしながらコーネリアの方へ首を傾けた。番の小鳥のように寄り添う二人に、エルメインが片眉を上げる。
「あー、ネリア。まだ正式に破棄されたわけじゃないんだし、淑女としてそれはよくないと思うんだ」
「ごめんなさい、お兄様」
コーネリアが体を起こし、ゼアンがエルメインをにらむ。しれっとそれをスルーして、エルメインはソファの逆隣で手を広げた。
「でもほら、十年来の悲願を達成したんだ。兄の僕ならいくら甘えてもいいからね。さあ、おいで妹よ!」
コーネリアがちょっと申し訳なさそうな顔をして振り向いたので、ゼアンはそっと肩を押した。コーネリアはエルメインの腕の中へ倒れ込む。
「お兄様……うっ……」
エルメインに抱きしめられて実感が湧いてきたのか、コーネリアが嗚咽を漏らした。
「わたくし、本当に……もう、お嫁に行かなくても……」
「うん。さすがにもう婚約の継続なんてできないよ。よかったね、ネリア」
「お兄様と……っ、ゼアン様のおかげで……」
「うんうん。お前も頑張った。よく耐えたね」
エルメインの目尻にも涙が浮かぶ。無理やり決まった婚約で、妹は蔑ろにされ、不幸になるとわかり切っている結婚を拒むこともできなかった。幼い頃の無力も怒りも、やっと報われた。
力強い腕が回されて、エルメインははっと目を上げる。向こう側から、ゼアンが抱き合う兄妹を丸ごと抱きしめていた。
「ゼアン」
「うん」
「お前がいてくれてよかった」
エルメインは万感の思いを込めてそう言った。ゼアンは黙って微笑み、腕に力を込めた。
「やっぱり妄言を吐いたのですか。まあでも婚約破棄に同意いただけたのなら、どうでも良いことですわね」
ニコラは泣き疲れて眠ってしまったコーネリアの顔を優しく拭き清めながら言った。
本当なら寝室に運ぶところだが、コーネリアはエルメインにしがみついたままだったので、しばらくこのままにすることにした。どうせ身内ばかり――ゼアンはもう身内の範疇にいる――だ。
「母上の指示?」
エルメインが問うと、ニコラはうなづいた。
娘の容姿が成長するにつれ整っていくことに、侯爵夫人は気付いていた。喜ぶべきことではあるが、彼女は当然危惧した。ケスハーンが知ったら手の平を返すに違いない。そうなったら婚約破棄が難しくなる。
だから隠していた。あんな男に嫁入りさせる気など侯爵家の誰にもなかった。使用人も同じである。
「でもこれで、堂々とお嬢様を飾り立てられますわ」
「やっと皆ネリアの可愛さを理解したんだな」
真面目腐った表情でゼアンが言った。兄の自分でさえ驚いたのに、ゼアンはコーネリアの素顔を見ても驚かなかった。どうやら常人と違う知覚を持つ辺境民は、化粧を見通す看破能力があるらしい。
「いや、ゼアンのあれは昔からか……」
父に瓜二つだった子供の頃から、ずっとコーネリアを可愛いと言い続けてきたゼアン。家族でさえ一般の美的判断を否定できなかったのに、やはりどこか見る基準が違ったのだろう。
条約が絡むため外交官を交えた話し合いの後、婚約は正式に破棄される。どっちが言い出すかというチキンレースはもう終わりだ。
そして呪いの解けたカエル姫の争奪戦が始まるだろう。とはいえ今コーネリアの寝顔を幸せそうに覗き込んでいる男が、ぶっちぎりでさらっていくに違いない。
「今度はお前が敵か」
ゼアンはきょとんと首を傾げた。
「エルとは戦わないぞ。勝てる気がしないし」
「よく言う」
「俺はエルの言う通りに動いただけだからな」
確かに図面を引いたのはエルメインだ。状況を利用してケスハーンから支援者を切り離し、相手の攻撃をことごとくかわしてマイナスをプラスに変え、自滅を招いた。しかしそれも盤面をぶっ壊すような
「まあいいや。ネリアは簡単には渡さないからな」
負けが確定している勝負だが、兄の意地としてエルメインはゼアンに宣戦布告する。ゼアンは笑ってうなづいた。
コーネリアを抱いてソファで脱力したエルメインは、王冠を被った好々爺の顔をした古狸を思い浮かべた。
「これはこれで陛下に試されてたってことかな」
「そうなのか?」
「うん。多分。僕の考えだけど」
留学して魔法具を学ぶうちに思ったのだ。本当にバーンイトークは魔法具を必要としているのかと。
魔獣対策として発明された魔法具は、攻撃用や防御用、何にせよ兵器運用が前提だ。だがバーンイトークには辺境がある。農民ですら畑を荒らす
そんな戦力があり、魔獣食という手段もある。兵器としての魔法具はさほど重要ではないのだ。
婚約したコーネリアは幼く、婚姻までは十分に時間がある。王はそれまでの間に留学生に技術を学ばせ、明かりや連絡、事務などの一般向け魔法具を発展させようと考えたのではないか。実際帰国した学生の発明はそういったものばかりだ。
それならヘーズトニアが秘匿している兵器用の高度な技術がなくとも、基礎だけで十分足りるのだ。いずれ輸出品にするとしてもヘーズトニアとは住みわけができ、今まで使い道のなかった辺境領の素材も生かせる。
最悪の場合条約が破棄されても構わない。そんな心算を腹に収めたまま、送り出した孫と姪の子供たちが一体何をやらかすかと、わくわくしながら報告を待っている王の姿が容易く想像できる。
「まあネリアは自由になるんだし、俺はそれでいいよ」
「まあそうだな。一件落着ってことで」
どうにか守り切った宝物を間に挟み、二人は並んでソファで目を閉じた。
実はまだ落着しないことをエルメインは知らない。兄は妹のために全力で第一王子の力を削ぎにいった。そのために打った一手が、忘れた頃に効果を発揮していたのだ。
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