第23話 逆鱗
静まり返った中庭に、ケスハーンの驚愕の声が響く。
「なっ、山猿……どこから!?」
ゼアンはそんな問いに斟酌せずケスハーンの腕をつかんだ。あまりの痛みにケスハーンが呻く。
「――引きちぎるぞ」
嘘とは思えない殺気と苦痛に、ケスハーンは思わず手を離す。即座にコーネリアを奪い取ったゼアンが飛び退った。軽々と何メートルも跳んだことに驚いた者と驚かない者がいる。驚かない者の顔は絶望に染まっていた。
「ネリア……ネリア、ごめん。離れるべきじゃなかった」
抱きしめたコーネリアの髪を撫で、腕の中に抱え込むようにしてゼアンが囁いた。朦朧としていたコーネリアの意識がはっきりしてくる。拘束されていた手首はすでに自由になっていた。力の入らなかった手が、ゼアンを認識した途端に彼のシャツを握り締める。
「ゼアン……様……?」
「ネリア、もういい。俺が連れて帰る。こんなところにいなくていい」
「でも……条約が……」
「あんなクソジジイは黙らせてやる」
ひそかに物騒な会話が行われていたが、見た目は悲運の姫とそれを救った貴公子。我に返ったケスハーンが、親密な様子に逆上して爆弾を投げ付けた。
「卑しい山猿め! コーネリアは我の妻になる女だ! 木っ端貴族の倅ごときが触れるな!」
「そんなケスハーン様!
横のカヤミラが悲鳴を上げたが、見物人も別の悲鳴を上げた。「何言ってんだコイツ」が三割、「お願いだからやめて」が四割ほど。残りは呆れて声も出ないか恐怖で凍り付いたかだ。
「我は真実の愛を見つけた! 醜いコーネリアの呪いを我が愛が解いたのだ! これを運命と言わずして何と言う! さあ、我が婚約者を返せ!」
カエル顔の呪いを解いたのは侯爵夫人の遺伝子である。ケスハーンの手柄ではない。
「……雑音がうるさいな?」
ゼアンの目が剣呑な色を帯びたのを見て、生徒の一部がわっと地面にひれ伏した。
「お待ちください!」
「ゼアン様! どうかお許しを!」
「お願いですからお慈悲を!」
「どうかお心を鎮めてください!」
口々に懇願する生徒はワイラ国境沿いに領地を持つ貴族の子弟だ。もちろんジラティ・ロルシ伯爵令息もその中にいる。
「何故だ! 這いつくばるのはそいつの方……」
「アンタは王都を灰にしたいのかっ!」
戸惑うケスハーンにジラティが半狂乱で怒鳴り返す。もう無礼がどうとか言っている場合ではない。
見ればすぐわかった。ゼアンの逆鱗はコーネリアだ。今までも色々あったが、直接彼女に危険が及ぶことはなかった。だから見逃されていたのだ。しかしケスハーンはそのデッドラインを越えた。
まだ首がつながっているのだからゼアンはあれでも冷静だ。なのにどうしてどうしてこの王子は崖っぷちから飛び降りようとするのか。ジラティの中でケスハーンを敬う気持ちは綺麗さっぱりなくなった。国を亡ぼすような王について行けるわけがない。
「何をやっているのだ、お前は!」
そこへやって来たのはヘーズトニア王とエルメインだった。
「父上! そこの身の程知らずの山猿が、我のコーネリアに無礼を……」
「無礼は貴様の方だ!」
顔を真っ赤にして王が怒鳴る。階段を下りる間のことは見ていないが、怒鳴り声は耳に届いていた。身勝手な暴言の数々は見過ごせない大問題だ。
「辺境伯は木っ端などではない! 固有の軍を任された国防の要、元帥や大将軍に等しい王の腹心だ! その上ゼアン殿は王位継承権を持つれっきとした王族であるぞ!」
それを聞いた生徒たちは声も表情も失った。ひれ伏していた生徒はさらに地面に頭をこすりつけ、そうでなかった生徒も慌てて跪く。
「そんな馬鹿な!?」
「ゼアン殿の母君はバーンイトークの王女だ。王は国の英雄と愛娘の子を殊の外可愛がり、王族としての籍を与えておられる! 何故お前が知らんのだ!?」
バーンイトーク王はワイラ侵攻事件で辺境伯の武勇に惚れ込み、万夫不当の豪傑の子を
「そ、そんなの聞いておりません!」
「挨拶をすっぽかしたからだ! あとから説明もしただろう!」
「そ、それはまた小言だと思って……」
「聞き流したと言うか! まさか他にもやらかしては……」
エルメインが興奮する王の肩を叩いた。振り向く王の前に書類を突きつける。
「もう遅いです。陛下には届かなかったようですので写しをお見せしましょう」
王は食い入るようにその書面を読んだ。それからガキガキと錆びたブリキ人形のごとく顔を上げる。憤激は頂点に達した。
「貴様らバーンイトークと戦争を始める気かッ!! そこになおれッ!!」
事細かに書かれた暴行事件の抗議文には、現場でゼアンを取り囲んでいた生徒のリストもある。全員がケスハーンの側近であることは明らか。そして先ほど校長が挙動不審になっていたことから、王は息子の関与を察した。
王の怒りに取り巻きたちは地に伏せ首を差し出すしかない。
「陛下。ケスハーン殿下の有責でコーネリア嬢の婚約を破棄させていただきたい。承諾いただけますよね?」
「当然だ」
近づいてきたゼアンに即答して、王は大きく息を吐きだした。
気を失っているのか、華奢な少女はゼアンの腕に抱きかかえられてぐったりしている。水に濡れた儚げな姿は風にも手折られる花のようで、守らねばならないという気を強く起こさせる。生き残りを重視する小国の王は、この可憐さに危険を感じた。
傾国の娘はやはり傾国。
コーネリアが醜女のカエル姫であることに、王はむしろ安堵していた。能力的には完璧で、愛を争って国が乱れることもない。小国には理想的な妃だと思っていた。
しかしこうなってはとっとと手放すべきだ。ワイラのように深入りして国を傾けるようなことがあってはいけない。
今までも予感はあった。無意識に王は判断を下していたのだろう。大国バーンイトークと軍事国家ワイラに挟まれたヘーズトニアは、魔法具技術を武器に外交に手を尽くして平穏を保ってきた。ワイラの価値観を持つケスハーンは致命的にそのセンスがない。
「父上! コーネリアは我の……」
「口を開くな! どれだけ傲慢なことを言っているか自覚があるのか!」
そしてヘーズトニア王は決定的な言葉を口にした。
「そんなだからお前は王太子にはなれないのだ!」
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