第22話 落雷

 思いもかけず絶好の機会がやってきた。


 授業終わりを待って一年の教室に行くと、コーネリアが一人でクラスの女子と話をしていた。ゼアンの姿はない。エルメインとどこかに行ったようだった。


 ケスハーンとカヤミラは少なくなった取り巻きを連れて教室に踏み込んだ。止めようと動く者はなく、ケスハーンはコーネリアの前まで行く。


「ごきげんよう、ケスハーン殿下」


 コーネリアが立ち上がって挨拶をする。ケスハーンは無言でコーネリアの腕をつかんだ。


「何を……!?」

「黙れ!」

「きゃっ!」


 乱暴に引っ張られてコーネリアが悲鳴を上げた。直接何か言う者はいないが、咎めるような視線がケスハーンに集まる。ケスハーンは気にした様子もなく、コーネリアの腕を背中に回して固定した。いそいそとカヤミラが手首を紐で縛り上げる。


「何をなさいます!」

「殿下! コーネリア様に何をする気ですか!」

「それでは罪人じゃありませんか!」


 さすがに非難が巻き起こった。ケスハーンは怒鳴り返す。


「こいつは罪人も同然だ。いつもいつも我の気分を害し、のうのうと婚約者の座に居座り続ける。どれだけカヤミラを苦しめれば気が済むのだ!」

「そんな無茶苦茶な……」

「黙れ! 不敬だぞ!」


 取り巻きが抗議する生徒たちを怒鳴りつける。周囲を見回して報告した。


「山猿は現れませんね」

「現れなければそれでも良い」


 ゼアンを捕らえられないなら、コーネリアを捕まえればいい。仮にも護衛なら姿を現すだろう。そうすれば逃げ場のない山猿に制裁を加える。出てこなければそのままコーネリアを断罪するだけだ。どちらにしても損はないという計画だった。


 ケスハーンはまるで引っ立てるようにコーネリアを引きずって中庭へ向かう。終業のベルが鳴ったばかりの学校は騒然となった。通りかかった生徒が何事かと振り向き、唖然として動きを止める。何か言おうとして相手がケスハーンと気付いて黙り込む。王子を止められる者がいないまま、ケスハーン一行はコーネリアを連行していった。


 中庭の噴水の前にケスハーンは立った。周囲より少し高い位置にあり、ケスハーンの誕生日にワイラから寄贈されたものだ。大理石でできており、中央には立派な彫刻が立っている。傍らにはカヤミラ。残った側近たちが守護するように周囲を囲む。


「諸君!」


 ケスハーンは気になって集まった生徒に向かって声を上げた。好奇と期待の目を向ける者がいる。憐憫と落胆の表情をする生徒がいる。恐怖を目に浮かべる者もいて、ケスハーンは自分の威光に胸を張る。


「この女は幼い我を騙し、婚約者となった卑劣な毒婦だ! こんな婚約を我は認めない!」


 ケスハーンは後ろ手に縛ったコーネリアの腕をつかんだままさらに続ける。


「此奴はカエル姫と有名な醜い女だ。だからこうして眼鏡と化粧で顔を隠している。証拠を見せよう!」


 今日のケスハーンはいつもにもまして暴力的な空気を醸し出していた。怖いし何をされるのか不安もあったが、最悪の予感にコーネリアは総毛立つ。


「やっ……おやめください!」


 コーネリアは叫んでもがいたが、ケスハーンの力に敵うはずもない。ケスハーンは躊躇なくコーネリアから眼鏡を奪い、その顔を流れ落ちる噴水の水に突っ込んだ。生徒たちから悲鳴が上がる。


 ケスハーンはコーネリアを晒し者にする気なのだ。醜いカエル姫だとこの場にいる者に知らしめるつもりなのだ。


 「可愛いカエル」と言われた思い出が、「醜いカエル」と嘲られた記憶に塗り潰される。コーネリアは絶望と息のできない苦しさで気を失いそうになる


「諸君はあまりのおぞましさに目を背けるような女を王妃と認めるのか? ありえない。国の恥である! 見よ! 今こそ我はコーネリア・モーサバーとの婚約を破棄するッ!」


 ケスハーンがコーネリアを前へ突き出し、髪を引っ張って顔を上げさせた。群衆がはっと息を呑む。


「嘘だろ……」

「あれがカエル姫……?」


 ざわざわとする生徒たちを見ることができずに、コーネリアは精一杯顔を背け目を伏せる。水で濡れた頬に、ほろりと涙が伝った。


 その途端、怒号が上がった。声が重なり、何を言っているのかよくわからない。ただそこに乗った感情は怒りだ。


「ひどい!」

「人でなし!」

「それが王子のすることか!?」

「何が醜いだ、浮気者!」

「あんな可憐な少女をあそこまで貶めるなんて!」

「暴君だわ!」


 何とか聞き取れた時にはコーネリアはショックで呆然としていて、耳には入っても理解はできなかった。ケスハーンは予想もしなかった反応に焦る。


「何を言ってる! この悪女が可憐なわけは……」


 怒鳴りながらコーネリアを振り向かせたケスハーンは固まった。


 白い肌に濡れそぼった金髪が絡み、震える唇だけが朱の色を浮かべている。伏せられた青い目には憂いが満ち、華奢なおとがいから落ちる雫は水か涙か。


「……水の精ニンフ?」


 ケスハーンの口から無意識の声が漏れた。


 母や兄のように繊細で端麗な美貌ではない。しかし魅了され目が離せなくなるのは同じだ。小さな顔の中で大きな目とふっくらした唇が幼さと神秘性を両立している。絶妙なバランスが危うさを感じさせ、まるで妖精のように可憐だ。ただひたすらに愛らしく、庇護欲を掻き立てる少女がそこにいた。


「これが我の婚約者……だと……」

「ちょ、ケスハーン様!?」


 不穏な雰囲気を感じ取ったカヤミラがケスハーンを揺さぶる。そこへ、上から黒い稲妻が落ちてきた。


 破壊音と衝撃に中庭が静まり返る。噴水の中央にあった彫刻が粉々に粉砕され、ケスハーンがモデルと言われる男神の首がごろりと転がった。


 亀裂から水を吐き出す噴水の横で、ゆらりと立ち上がったゼアンが地の底を這うような声で言った。


「ネリアを放せ」

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