第18話 離間の計:破

「やあ、十日ぶりか? どうだった、実家の方は」


 久しぶりに登校してきたジラティ・ロルシ伯爵令息に男子生徒は声をかけた。同級生の彼は緊急の用件で実家に呼び戻され、ずっと学校を休んでいたのだ。


 ロルシ伯爵は国境沿いに領地を持つワイラ派の貴族だ。距離が近いためワイラとも直接取引があり、ジラティは入学当時からケスハーンの取り巻きの一人でもあった。


 一瞬びくりとしたジラティは、すぐ笑顔で答えた。


「ああ、問題は解決したよ。後始末でちょっと遅くなっただけだ。心配させて悪かった」

「そりゃよかった。お前がいない間に面白いことがあったぜ」

「そうなのか?」

「放課後いつもの談話室に来てくれ。そこで話そう」

「あ、うん。わかった」


 放課後、男子生徒とジラティは連れ立って集合場所へ向かう。間もなくメンバーが集まり、ケスハーンとカヤミラが現れた。


「諸君、知っての通り二日前からあの二人が学校に戻ってきた。我は非常に不快だ」


 そう言いながらケスハーンの顔はにやけている。


「というわけで、もう一度思い知らせてやろうと思う。どうだ?」


 一同はその声に気炎を上げた。ジラティが何のことかと同級生に助けを求める。それに気づいた取り巻きたちが口々に説明する。


「カエル姫の護衛さ」

「ゼアンとかいう貧乏貴族の顔だけ野郎だよ」

「そうか、君はあの時いなかったな。あいつはカヤミラ嬢の父を陥れた男の息子だそうだ。だから我々で制裁を加えてやったのだ」

「護衛なんて口ばかりの軟弱者だ。腰の剣も偽物だしな!」


 それを聞いたジラティの顔から血の気が引いたが、誰も気づかない。


「何が命の危機は感じない、だ」

「抵抗もできずにボコボコにされてたじゃないか」

「ああ。それで俺たちを恐れたのか、一週間ほど顔を出さなかったのさ」

「一週間……?」

「そうだ。なのに懲りずにまた登校してきたから……今度はお前も来るよな?」

「す、すみません! 無理です!」


 ジラティは真っ青になって首を振った。


「僕、荒っぽいことは駄目なんです! 臆病者でとても殿下のお役には立てそうにありません! どうか哀れと思って見捨ててください!」


 悲鳴のようにそう叫んだあと、ジラティはケスハーンに一礼して脱兎のごとく駆け去った。


「一体どうしたんだ……?」


 突然の奇行に一同は呆気に取られ、首を捻りながら顔を見合わせた。





 無理! 絶対無理! 殿下たちは知らないのか!? 剣だって偽物なんかじゃない。あれは恐ろしい凶器だ!


 ジラティはカバンを引っつかんで談話室を飛び出した。第一王子の覚えがよければ出世できる。父も自分もそう思って今までケスハーンにすり寄っていた。


 だが今回ばかりは駄目だ。ヘーズトニアに魔獣が侵入するようになってから、ワイラ派は周囲と溝ができている。だから情報が滞っているのだろう。


 ゼアンを襲うなんてとんでもない。一緒にいたら自分も敵と見做される。それだけは避けねばならない。二度と王子のそばに戻る気はないが、きっと父も同意してくれるはずだ。


「そうだ……早く父上にも報告しないと……去就を決めないと巻き添えになるかもしれない……」


 早急に情勢を確認しようと父も一緒に王都に戻ってきている。ジラティは慌てて馬車に飛び乗り、屋敷へと急がせた。





 十日前、ジラティが呼び戻されたのは領地が魔獣に襲われたからだった。父は手勢を引き連れて現場に向かい、ジラティも館で情報の整理や物資の手配を手伝うことになった。


 状況はよくなかった。大型の個体に率いられた猪の群れや、何体もの狼が好き勝手に領内の村々を襲った。神出鬼没の魔獣に領内を荒らされて、ロルシ伯爵は苦悩する。領地全体を守るには人手が足りず、町の防壁もいざ魔獣が来るとあっさりと破壊されてしまう。


 最弱の魔獣でも一体倒すのに複数の騎士が必要だ。魔力を持つ魔獣は人間よりはるかに強くてしぶとい。攻撃用の魔法具があればまだ対抗しようもあるが、伯爵家にもそんなに数はなかった。魔法具は高価なものだし、最近まで必要もなかったのだ。


 しかし今は、国境に近い貴族は魔獣を警戒して自領の守りを固めている。どこも助けてくれそうにはなかった。そして国に助けを求めるのは最終手段だ。領地も守れない領主と判断されたら進退にかかわる。


 困り果てたロルシ伯爵は、モーサバー侯爵令息が魔獣被害を解決してくれるという噂を聞き、藁にも縋る思いで連絡を取った。そしてやってきたのがゼアンだった。


「貴様のような若造一人でどうするというのだ!?」


 ゼアンが単身と知って、領地のために敵対勢力ともいえるエルメインに屈した伯爵は激怒した。


「アンサト家は魔獣退治が専門です。十分お役に立ってみせますよ。それにバーンイトークの軍が王の了承もなくヘーズトニアに入れるわけがありません。そもそも王には知られたくないのでは?」

「……っく!」

「一人だからこそバレても問題にならないのですよ。あくまで友誼によっての助力と言い張れますから。王に内緒で兵を引き入れて、反乱を疑われても困るでしょう?」


 淡々とそう説明するゼアンは、ジラティより年下とは思えない落ち着きがあった。


「……たかが一人、いてもいなくても変わらんわ! 好きにしろ!」

「では早速」


 半ば自棄で参戦を受け入れたロルシ伯爵は、その後のゼアンの活躍に態度を百八十度転換することになる。ほんの三日。たったそれだけで、ゼアンはロルシ伯爵領の魔獣を全滅させたのである。

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