第19話 離間の計:急

 大まかな領内の被害を確認したゼアンは、まず辺境伯領で使っているという魔獣除けの香を提供してきた。


「暴れ回っているのは一本角ばかりのようなので、これで村や町の防衛には足りるでしょう。どうぞ領内に配ってください。効果はほぼ一日続きます」


 魔獣除けの魔法具と似た効果だが、そんな消耗品があるなど伯爵は聞いたこともなかった。だが試してみると有用性は間違いがなかった。効果範囲には魔獣が現れなくなったのである。防壁のない町や村も、これで守れるようになった。ロルシ伯爵はゼアンの話を素直に聞くようになった。


「次は討伐の準備です。そうですね……このあたりに兵を展開していただければ」


 ゼアンは地図の一点を指差す。森に近い開けた場所で、確かに戦いやすそうだ。


「我々は待っているだけでいいのか?」

「私が集めてきます。一網打尽にしましょう」

「集める? 一人でか?」

「ええ。慣れていますので」

「しかし危険では……」

「大丈夫ですよ。雑魚ですから」


 さらっと言い放ったゼアンは館を出て、すぐにどこかへ消えてしまった。


 ロルシ伯爵は言われた通り兵士を並べてゼアンを待った。ジラティも今後必要な経験になるかもしれないと父のそばに控えることになった。


 そしてゼアンが予告した時刻。地響きのような音が迫ってきて、待機していた全員がぎょっとして武器に手をかけた。指定した場所の真ん中に、どこからかゼアンが姿を現した。


「来ます」


 森から、平原から続々と魔獣が集まってくる。狼、猪、猿もいた。いずれも赤い目を爛々と光らせている。百を優に越える数が、殺意をみなぎらせて一直線に迫って来た。獣の雄叫びが砲火のように圧を叩きつけてくる。


 その中央にいるのはひときわ巨大な猪の魔獣だった。馬車よりも大きく、何件もの家を住人ごと踏み潰した――生き残った村人がそう証言した個体だ。実際見るまでは恐怖による誇大妄想だと考えていたが、今はそれが真実だったと飲み込まねばならなかった。あれを倒すには攻城兵器が必要なのではと思える。


 初めて魔獣を見るジラティには、眼前の光景は悪夢そのものだった。巨大猪にこの大群、今ある戦力では到底勝ち目はない。恐怖でジラティの体が強張り、膝が笑って立っていられなくなる。ジラティだけでなく全員が足がすくんで動けなかった。これほどの魔獣が領内に潜んでいたのかと思うと背筋が凍った。


「ば……抜剣ッ!」


 騎士の一人が我に返って叫んだ。戦わなければ死ぬ。決死の覚悟を決めた兵たちが動こうとした時。


 戦場の真ん中で魔獣の群れを睥睨していたゼアンが剣を抜いた。片手剣にしてはやや長い。白い剣身は虹色の光を帯び、ギザギザの刃を持つ両刃の鋸のようにも見えた。


 ゼアンは突進してくる魔獣に向かって水平に腕を振った。


「なっ……?」


 一瞬後、魔獣の首が飛んだ。一つではなく、複数だ。血飛沫が舞う間にも次の首が飛ぶ。ゼアンが剣を振る度に、何匹もの魔獣が成す術もなく屠られ倒れていく。右から、左からと飛び掛かってくる狼を両断し、頭の上へ飛び降りてくる猿を叩き落す。ゼアンを中心にぽっかりと空間が空き、周囲には屍が積み重なっていった。


「何が起きているんだ……」


 明らかに剣の長さに見合わない距離まで殺戮の手は及んでいた。だが誰もどうしてそうなるのか理解できない。振りが早すぎて剣筋が見えないのだ。


 あっという間に魔獣の数は減り、景色がすっきりした頃、屍を蹴立てて巨大猪が突っ込んできた。口からはみ出た太い牙が真っ直ぐゼアンを狙っていた。


 ゼアンはちらと背後に目をやり、ロルシ伯爵と兵の位置を確認する。それから迫る巨大猪に向き直り、喉元に向けて拳をアッパー気味にぶちあげた。


 フゴォ! と悲鳴を上げて巨大猪が高々と宙に浮いた。衝撃でへし折れた牙が吹っ飛び、運の悪い狼を地面に串刺しにする。首から落ちてきた巨大猪は地面を揺らして倒れ、それっきり動かなくなった。


「「「はああっ!?」」」


 合唱のように伯爵もジラティも、兵士たちもが叫んだ。ゼアンは華奢とまではいわないが、すらりとした体つきをしている。それが片手で自分の何倍もある魔獣を吹き飛ばし、一撃でその命を刈り取ったのだ。


 その後は残敵処理になり、ロルシ伯爵の想定よりもはるかに短時間で戦闘は終わった。結局、ゼアンの後ろには魔獣の死体は四体しかなかった。ロルシ伯爵の手勢が総がかりで討ち取ったが、どう見ても領兵の面子のためにわざと通したとしか思えない。


 恐る恐る謝礼について尋ねた伯爵に、ゼアンは笑って言った。


「友人を助けただけですから、お気遣いは無用です。そうですね……魔獣を一匹いただけますか。あとは魔法具の作成実習に使うので、素材をいくらか譲っていただければ」


 素材は足元にいくらでも転がっている。もちろんロルシ伯爵は可能な限りそれらを留学生寮に送ると約束した。そしてゼアンは巨大猪を担いで帰って行ったのである。


 そんな現実離れした光景に、ジラティは背筋を伝う汗が止まらなかった。父は要求されてもいない礼金をいくら積むか騎士隊長と議論している。


 ゼアン・アンサトを絶対に敵に回してはならない。ロルシ伯爵家は全員胸にそう刻んだ。





「わかった。確か今夜王国派のパーティがあったはずだ。エルメイン殿と直接話をしよう。お前も殿下とは距離を置いていい」


 屋敷に戻って今日聞いたことを報告すると、父はそう言った。ジラティはほっと息をつく。


 どうやらゼアンは暴行されたにもかかわらず抵抗しなかったらしい。当然だ。あの力を人に向けたら誰も生き残れない。彼が理性的な人間であることに心の底から感謝する。


 でもそれは、あくまで彼の寛容あればこそ。今はケスハーンたちが竜の逆鱗に触れないことを祈るだけだ。


「彼は我が領の恩人だからな。襲撃計画があると伝えておくか」


 落ち着かない様子でそんなことを呟く父に、引きつった笑いでジラティもうなづいた。

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