第13話 陰謀に嵌まる
薄暗い談話室に置かれた豪華なソファで、女が泣いている。もう日は落ちて他に人はいない。ケスハーンは隣に座って、嘆くカヤミラの背をそっと撫でた。
「泣くな、カヤミラ。一体どうした?」
いつもは手入れの行き届いているピンクの髪は、ぐしゃぐしゃに乱れている。ショールに包まってケスハーンを見上げてくるカヤミラは、まるで幽鬼のようだった。ケスハーンは一瞬たじろぐ。
「ケスハーン様ぁ!」
抱き着いてきた柔らかな体はいつも通りの感触で、ケスハーンはほっと息をつく。
「口惜しい! 口惜しいですわ! あんなカエル女に!」
ケスハーンはこれでも卒業を控えた学生だ。学業の都合で愛する女と離れることもある。そして自分が留守の間に、カヤミラとコーネリアの間で何かあったらしい。
「
しゃくりあげながら訴えるカヤミラの言葉は時々聞き取りにくいが、大体のことはわかった。カヤミラの髪が湿り気を帯びている。衣装も朝見た時とは違う。
「あいつに池に落とされたのか」
こくこくとうなづくカヤミラ。そんな事実はないが、主観ではコーネリアのせいで間違いない。
「一人にしてすまなかった。我が不甲斐ないせいで苦労を掛ける。あとちょっとだけ耐えてくれ」
「きっと男爵令嬢ごとき、侍女風情と侮られているのですわ……」
「だからこそ我はお前を側妃にはしたくないのだ」
ケスハーンは今でもカヤミラを正妃にと考えている。コーネリアとの婚約を破棄して、カヤミラを婚約者にし卒業したら結婚。いずれ王位を継いだら彼女は王妃になる。美しいカヤミラの子はきっと可愛い。それがケスハーンの将来計画だった。
「側妃などでは駄目だ。お前の立場が弱すぎるからな」
「妾のことをそこまで……嬉しい!」
ケスハーンが正妃にこだわるのは、母である王妃の顔色ばかりうかがっている側妃と弟を見てきたからだ。
母はワイラの王女で、公式行事でも王の隣で絢爛豪華に咲き誇っている。ヘーズトニア貴族出身の側妃はその権勢に押され、ひたすら目立たぬよう身を縮めているように見えた。弟もいるのかいないのかわからないほど地味だ。
カヤミラとその子をあんな風にはしたくない。コーネリアをお飾りの妃にして寵愛はカヤミラにということも可能だが、身分に伴う権力は天と地ほど違う。
あの謀略に長けた悪女に権力など持たせたらどうなるかわからない。
「あいつを追い出すまでもう少し我慢してくれ」
「妾はケスハーン様をずっとお待ちしておりますわ」
唇が重なる。抱き合ったまましばらく互いの体温で温め合ったあと、カヤミラが心配そうな表情を作った。
「ひとつ、お知らせせねばならないことがあります」
「何だ?」
「あの山猿にはお気をつけくださいませ」
ケスハーンは眉を寄せた。今までずっとコーネリアに注意を払ってきたが、側にいるあの黒髪の護衛は特に目立ったことはしていない。ダンスが上手だったとか、その程度だ。
「実は王妃様から教えていただいたのです。妾の生まれる前の話ですので」
「む?」
「他国のことですので、ケスハーン様は御存じないかもしれません。以前、ワイラの王子がバーンイトークの卑劣な罠にかかって、捕虜にされたことがあるのです」
「なんと? 我の叔父上が?」
ワイラの王子であれば母の弟だ。ケスハーンにとっては叔父になる。
「妾の父もその時共に囚われて……王子を守れなかった責を負って、降爵されたのですわ。その王子を捕らえた者こそアンサト辺境伯。あの山猿の父親です」
「では、奴はお前の仇ではないか! そんな事件がなければお前は侯爵令嬢だったのでは……」
「今更言っても詮無いことですわ」
カヤミラはほろりと涙をこぼす。母の紹介でカヤミラがやって来た時、元は高位貴族だったが事情があって最下位に落とされたのだと聞いた。愛らしく、妖艶で美しいカヤミラにケスハーンはすぐ夢中になったから、身分のことなど気にしていなかったのだが。
「そうと聞けば放っては置けん! 目にもの見せてやる!」
「お待ちください! 妾のことはよいのです! それよりも……」
はやるケスハーンをカヤミラは止めた。
「敵はカエル姫だけではないということですわ」
「っ、そうか! 奴もまた罠を仕掛けている可能性が……」
「ええ。きっとコーネリアと共謀して妾たちを陥れようと暗躍しているに違いありません」
「わかった。奴をどうにかする手を考えよう。我に任せよ。絶対に仇を討ってやる」
ひん曲がった予想が当たっていることもある。ただ獲物は自発的に罠にかかっていた。ちょっと足を引っ掛ける程度の罠で、盛大にすっ転んでいるのである。相手が謀略に長けていると思うなら、ケスハーンとカヤミラはもうちょっと慎重になるべきだった。
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