脱がす脱がさない(41話その後②)

「ゴルドレン! お前、フィオナに余計なことを吹き込んだだろう!」


 爽やかな秋晴れの朝。

 訓練場の隅で、ヴィクトールはゴルドレインに詰め寄っていた。


 緩く波打つ金髪をポニーテールにしたゴルドレインは、泣きぼくろのある左目をぱちんと閉じて、いたずらっぽくウインクしてみせる。今日もメイクはばっちりなので、知らない者からすれば背の高い男女が向かい合って内緒話をしているように見えるだろう。

 しかしゴルドレインはれっきとした男であり、かつ蒼の竜騎士団の副団長を務めるほどの豪腕だ。女性だと思って襲いかかった敵を投げ飛ばしたり、女性だと思って痴漢してきた男の男を蹴り上げたりと、色んな意味で彼に泣かされた者は多い。


「あら、なぁに? 朝っぱらから元気ねぇ」

「なぁに、じゃない! お前のせいでフィオナに誤解されたじゃないか!」

「誤解? 何のこと? 言いがかりはやめてちょうだい」


 赤い唇を尖らせたゴルドレインは、ポニーテールの髪の先を指にくるくると巻き付けて遊んでいる。


「とぼけるな。フィオナに言っただろう! 男が服を贈る意味をっ」

「あぁ、そのこと」


 そう言えばそんなこともあったな……くらいの軽い相づちを打って、ゴルドレインはどこ吹く風と聞き流しながら今度は枝毛を探し始めた。


「ああいうことをフィオナに吹き込むのはやめてくれ。彼女は純粋だから真に受けて、しばらくドレスを着てくれなかったんだぞ」


 やっと袖を通してくれたミントグリーンのドレスは、ヴィクトールが想像していた以上にフィオナに似合っていて、正直理性が半分以上吹き飛んだ感はある。

 自分が選んだドレスが似合っている、と言うことにも優越感を覚えたし、人形のように愛らしいフィオナを誰にも見せたくないとも思った。頑丈なガラスケースに閉じ込めて、部屋に飾ってずっと眺めていたい気持ちになったことは心に秘めている。


 最近はもう愛おしさが止めどなく溢れてしまい、自分でも感情を持て余しているくらいだ。そこにフィオナがヴィクトールの選んだドレスを着て、「ドレスは脱がせるため」と口にするものだから、分かっていても「ドレスを脱がせて」欲しいのだと都合のいい解釈をして、自己嫌悪に陥ってしまった。


「でもアナタだって本音は脱がしたいんでしょう?」

「脱がしたいのは山々だが……っ! 違う、そうじゃない! そういう営みは夫婦になってからだ!」

「ホントにアナタって、自分を戒めるのが好きなのね。でもほどほどにしておかないと本番で抑えがきかなくなって、逆にフィオナちゃんに引かれるかもよ?」

「それは困る!」

「ハジメテみたいにがっつかれても、フィオナちゃん困るでしょう? アタシでよければいつでも相手してあげるんだけど……ね?」


 人差し指でつぅーっと胸元を撫でられ、別の意味でヴィクトールの背筋が凍った。ズサァーッと逃げるように後ずさりしたヴィクトールを見て、ゴルドレインは意味深に妖艶な笑みを浮かべている。

 まるで獲物を狙う蛇だ。爽やかな朝日の下だというのにそこだけ秘された夜が訪れたようで、何なら薔薇まで見えた気がしてヴィクトールは軽く頭を振って意識を引き戻した。


「そんなに逃げられると、さすがのアタシも傷付くわぁ」

「お前のは冗談にもならん。間違ってもフィオナの前で同じことをするなよ」

「安定のフィオナちゃん一筋で清々しいわね。……それで、結局のところどうしたのよ?」

「何がだ?」

「脱がしたの?」

「脱がしてないっ!」


 声を被せて全力で否定すると、ゴルドレインがおもしろくなさそうに目を細めた。


「これでもアナタのことを心配してるのよ? 我慢強いのは褒めてあげるけど、少しくらい発散させておかないと色々とキツいでしょ」

「自分の体は自分がよく分かっている。心配せずとも大丈夫だ」

「あら、そう?」

「それにフィオナがくれたブランケットに二人で包まれているだけでも、じゅうぶん幸せなひとときだった。肌を重ねることだけがすべてはないということを、身をもって実感したような気がする」


 ルルのお腹のような手触りのブランケットは気持ちよく、またフィオナが一生懸命選んでくれたプレゼントだということもヴィクトールの心を温かくしてくれた。

 部屋を訪れた時間が少し遅くて招き入れるか迷ったが、破壊力の凄い上目遣いをヴィクトールが拒否できるはずもない。結局招き入れたあとフィオナの首筋の匂いに一瞬我を忘れたが、そこは必死に理性の尻尾を引っ掴んで引き戻した。


 フィオナと、もう一歩進んだ関係になりたいことは否定しない。けれど寄り添い、手を繋いで他愛ない話に笑い合う時間も必要だ。そこでしか得られない安らぎというものが確かにある。

 昨夜二人でブランケットに包まれている時に感じた気持ちは、まさにそういう穏やかな充足感だった。


「ねぇ、ヴィク。フィオナちゃんがアナタにブランケットをプレゼントしたの?」

「あぁ、そうなんだ。花売りをして溜めていた金で買ってくれたんだ。ルルのお腹のような手触りで気持ちが……」

「異性にブランケットを送る意味、アナタ知ってるの?」

「……は?」


 疑問符を浮かべるヴィクトールの瞳には、何やらにやにやと笑うゴルドレインの顔が映っている。何だかあまりいいことを言われないような気がして、ヴィクトールは無意識に身構えてしまった。


「ブランケットって、大きくて体を覆えるでしょう?」

「それがどうかしたか」

「だから一緒に包まれたい。一緒に夜を過ごしたい……って意味なんだけど」

「ごふっ!」


 確かに一緒に羽織ってフィオナの体を包みはした。だがそれだけだ。欲望のオスを抑えた自分をよくやったと褒めてやりたいが、実はそれが間違いだったということか。

 ……とそこまで考えて、ヴィクトールはもげるほどに頭を強く横に振った。

 フィオナに限ってそれはない。そもそも服を贈る意味すら知らなかったほどだ。事情にも疎い方だろう。


「フィオナちゃんも、意外とやるわね」

「いやいやいやいや! そんな意味、私だってはじめて聞いたぞ。ゴルドレイン、お前いま勝手に作っただろう!」

「さぁ、どうかしら? ……でも本当だったらどうするの? せっかくフィオナちゃんが勇気を出して誘ったのに、アナタ指一本触れなかったんでしょう?」

「くちづけはしたぞ!」

「そういうことを言ってるんじゃないわよ……」

「それにフィオナとはちゃんと話して、お互いに納得したんだ。大丈……夫、だろうな? まさかとは思うが、私はフィオナを傷つけてはいないよな?」


 フィオナが誘うことはあり得ないと思う反面、昨夜のことを思うと完全にそうとも断言できない気がしてきた。

 我慢しているヴィクトールの身を案じて、その身を差し出そう(語弊がある)とまでしたのだ。もしもフィオナがそういう意味でブランケットをプレゼントに選び、ヴィクトールの部屋を訪れたのとしたのなら――ヴィクトールはフィオナの思いを踏みにじったことになる。


「心配なら、直接聞いてみたらいいじゃない」

「そんな傷を抉るようなことできるか!」

「あら、その言い方だとフィオナちゃんが誘ったことになるわよ? 本当は誘われたかったんじゃない」

「そういうつもりではない! あぁっ、もうこの話は終わりだ!」


 ぐしゃぐしゃっと頭を掻いて、ヴィクトールが足早に去って行く。その背中は怒っているように見えなくもない。少し虐めすぎただろうかとゴルドレインが反省していると、手に木剣を持って戻ってくるヴィクトールの姿が見えた。


「雑念を追い払うには、身体を動かすのが一番だ。少し相手をしろ」

「えぇー? 朝から汗臭いのはいやよ」

「お前のせいだ。責任を取れ」


 早朝の訓練場に響く、鈍い剣撃の音。ひとつ響くたびに、ひとつ煩悩が消えていく。

 それでもキスしたあとに見せるフィオナの艶めいた顔だけは、どうしてもヴィクトールの頭から消えることはなかった。

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