第2話 嫁に貰う気はあるようだな?

 竜の国として知られているメルトシア王国。その王都リグレスには、国を守る三つの組織がある。


 ひとつはくれないの騎士団。王族の身辺警護や街の警備を主な任務とし、戦いにおいては剣と盾で敵を撃破する近距離攻撃部隊だ。

 もうひとつはしろがねの魔術師団。魔力量の多い者たちの集まりで、戦いだけではなく生活にも役立つ魔法を日々研究している頭脳派集団。

 そして人々の羨望を集めるのは、あおの竜騎士団だ。剣技に加えて魔法の心得も必要で、何より竜に認められなくてはその背に乗ることも出来ない。そのため、竜騎士は「選ばれた者」という認識が民衆の中にも広く伝わっていた。



 ***



「これでひとまずは大丈夫だろう」


 不慮の事故によって出来てしまった頬の傷には、少し大げさとも思えるほどの大きなガーゼが貼られてしまった。


 王城の別棟にある騎士たちの宿舎、その一角に医療棟がある。フィオナを手当てしてくれたのは、エルミーナという女医だった。

 胸元まである見事なブロンドと、抜群のプロポーション。纏う白衣は違った意味で彼女によく似合い、申し訳ないが医術師というよりは夜の酒場で男たちを魅了する踊り子や歌姫の方が似合っている。

 けれど腕は確かのようで、フィオナを連れてきたヴィクトールも彼女には絶対の信頼を置いているように見えた。


「傷は残らないとは思うが、念のため完治するまで通うといい。一般人がここを利用することはほとんどないが、ヴィクトールが負わせた怪我なら問題はない。請求書もアイツの給料から差し引いてやるから安心して治療に専念しろ」


 妖艶な見た目とは裏腹にその言動は男勝りで、まさにクールビューティーという言葉が似合う女性だ。眼鏡の奥の濃い緑色の瞳も、知的な感じがして格好いい。フィオナにはないものを全部持っていて、会ったばかりだというのに憧れに近い気持ちを抱いてしまった。


「あ、いえ。傷は私の不注意で……」

「そばにいたのに止められなかったのはアイツの失態だ。何、心配ない。団長やってるくらいだから、金はたんまり持ってるだろう」

「そういうわけには……」

「いいから甘えておけ。アイツだってそのつもりで連れて来たんだろうからな」


 いくら竜騎士の団長といえども、さすがにフィオナのくしゃみは止められないだろう。後でヴィクトール本人にことわりを入れようと、フィオナはこの場では大人しく口を噤むことにした。


 そのヴィクトールは、今ここにはいない。フィオナの治療をエルミーナに頼んでから、「あとで戻る」と言い残して部屋を去って行ったきりだ。どこに行ったのかはわからないが、一緒に連れて行かれた白い子竜のことを考えると少しだけ不安な気持ちになってしまった。


 フィオナ自身、竜を触ったのも、間近で見たのも初めてだった。竜騎士が乗る飛竜を遠目で見たことはあるが、竜は元々神聖な国獣であり、フィオナのような一般市民が竜に触れ合うことはほとんどない。竜に関する知識も広く浅いものしか知らなかったが、そんなフィオナでもあの子竜が珍しい竜であることはわかった。


 一般的に飛竜といえば緑竜を指す。竜騎士団の団長だけが、特別な竜――上位種の蒼竜に乗ることができるのだ。王都の上空で見かけるのはこの二種類の飛竜で、他の竜は今までに一度も見たことがない。

 そこに来て、あの子竜だ。青い目に白い羽毛で覆われた竜などはじめて見る。フィオナ以上にヴィクトールの方が驚いていたので、たぶん彼も初めて目にした竜なのだろう。

 あの竜が危険かどうかもわからなかったが、王都に戻る間ずっと腕の中で大人しくしていた様子を思い出すと、フィオナの頬は自然を緩んでしまうのだった。


「エルミーナ。手当は済んだのか?」


 軽いノックのあと部屋に入ってきた青年がヴィクトールだと気付くのに、フィオナは数秒時間がかかってしまった。それもそのはずである。イスタの村から王都までずっと被っていた兜を脱いだヴィクトールは、想像していたよりもずっと若い青年の姿だったのだ。


 十九のフィオナとたいして変わらないか、少し年上くらいだろうか。いや、竜騎士団の団長を務めるくらいだから、もしかしてただの童顔で三十歳くらいなのかもしれない。落ち着いたダークブラウンの短髪と、宵闇を思わせる深い紺色の瞳が彼の泰然とした態度に拍車をかけているようでもあった。


「お前が守れなかった傷の手当てなら、とっくに済んでいるぞ」


 皮肉たっぷりの言葉にも動じず、むしろその通りだと言わんばかりに、ヴィクトールが苦しげに眉を寄せて俯く。


「返す言葉もない。世話をかけた」

「こんなに愛らしい娘を、まさかお前がキズ物にするとはな。責任を取って嫁に貰ってやれ」


 思わぬ方向に逸れた話題に、ヴィクトールとフィオナが二人揃って噎せてしまった。さすがに冗談だということはわかっていたのだが、予想以上にヴィクトールが顔を真っ赤にして狼狽えるので、フィオナの顔も意図せず同じ色に染まっていく。


「そ、それとこれとは話がっ、違……わないでもないが! そういうものは男女間の合意で行うものだろう。彼女の意思を無視するのは、よくないと思う」

「ほう? 嫁に貰う気はあるようだな?」

「そういうことを言ったわけではない! からかわないでくれ」


 にやにやと笑うエルミーナを睨んでいるものの、おもしろいくらいに赤く染まった顔では何の牽制にもなりはしない。本人もそれを自覚しているのか、それ以上エルミーナに反論することはやめたようだ。わしゃわしゃと前髪を乱雑に掻くと、深呼吸で気持ちを落ち着けてからフィオナの方を振り返った。


「えぇと……フィオナ、だったか。その……傷は痛まないか?」

「あ、はい。こんなに立派なところで手当てして頂いてありがとうございました」

「完治するまでエルミーナに診てもらうよう取り計らった。君の医療棟への立ち入りは許可されたので、遠慮せず治療に専念してくれ」


 そう言ったヴィクトールの肩越しで、エルミーナが「ほらな?」とウインクするのが見えた。

 イスタの村でも思ったが、どうやらヴィクトールは実直すぎる男のようだ。生真面目で不器用で、堅物かと思えば少女のように顔を赤らめて恥じらう一面もある。エルミーナが彼をからかうのも、わかるような気がした。


「それで疲れているところ悪いが、もう少し時間をもらえるだろうか?」

「え? はい、それは構いませんけど」

「すまない。では、私についてきてくれ」



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