竜騎士さまとはじめるモフモフ子竜の世話係【コミカライズ配信中】
紫月音湖*竜騎士さま~コミカライズ配信中
第1章 子竜のお世話、はじめます!
第1話 すみまふぇっ……っくしゅん!
「本当に助かりました。馬車に乗り遅れちゃって困ってたんです」
干し草を乗せた荷台に腰掛けて、フィオナはホッと一息ついた。イスタ村から隣町ターシェンへ向かう荷馬車の上である。フィオナの他には男が三人、干し草の塊を囲んで座っていた。
「なんで乗せたんだよ」
「女がいた方がカモフラージュになるかと……」
男たちの不穏な囁きが、ガタゴトと揺れる馬車の音に紛れて聞こえてくる。フィオナはといえば、バッグから取り出したクッキーを「乗せてくれたお礼に」と言って男たちに配っているくらいだから、彼らの言葉は耳に入っていないのだろう。なぜか緊張した空気が漂う荷台の上、ひとりだけ楽しげに鼻歌を歌いながらクッキーを頬張っている。
「あ、良かったら御者さんもどうぞ」
自分たちだけ食べていては申し訳ないと、フィオナが荷台の上を四つん這いで前に進んだ時だった。ガタンッと大きく馬車が揺れ、フィオナは干し草の上に勢いよく倒れ込んでしまった。
「きゃっ!」
フィオナが倒れたことで、荷台の上に干し草が散らばった。ぶわぁっと舞う干し草の向こうで、男たちがぎょっと目を剥いてフィオナを凝視している。
「ごっ、ごめんなさい!」
慌てて起こした体は全身干し草まみれだ。頭から突っ込んだので、フィオナの桃色の髪の毛にもまばらに干し草が生えてしまっている。
鼻がむずむずしてくすぐったい。くしゃみが出る前に顔に纏わり付いた干し草を払おうとして、フィオナはそこで気が付いた。
柔らかい干し草に埋もれた両手が、硬く冷たい何かに触れていた。
フィオナの広げた両手よりも少し大きく、撫でると表面に細い溝が幾つも入っていることがわかる。何だろうかと思うよりも体の方が先に動き、フィオナは手に触れている「それ」を干し草の中から引きずり出した。
「……たまご?」
それは夜よりも濃い、漆黒の卵。鱗に似た溝はあるが、表面はまるで鏡のようだ。覗き込むフィオナの顔を写し取ったかと思うと、その背後に広がる夕焼け空の向こう――一番星とは違う青い煌めきを反射した。
その瞬間、ふっと空が翳る。次いで低音の咆哮が響き、同時に暴風とも呼べる凄まじい風が馬車を襲った。
「きゃあっ!」
竜巻のように巻き上がる風に煽られて、荷馬車の上から干し草が吹き飛んだ。その下から現れたのは、たくさんの卵だ。フィオナが手にした黒い卵と色は違うが、似たような大きさの卵が、少なくとも十個以上は転がっている。
干し草の下に隠されていた大量の卵に驚くフィオナとは反対に、男たちが驚愕して見上げているのは空の方だった。釣られてフィオナも顔を上げると、斜陽に彩られたオレンジ色の空に大きな黒い影が飛んで来るのが見える。
「くそっ! 蒼のヤツらだ」
「ここは見通しが良すぎる。馬で逃げるぞ!」
混乱するフィオナをよそに、男たちの行動は素早かった。いつの間にか荷車から馬が取り外されており、御者までが男のひとりを乗せて街道の向こうに逃げ去っていく。
「卵はどうする!?」
「逃げる方が先だ! 相手は竜騎士だぞ。早くしないと追いつかれる……」
男の声を遮って、再び咆哮が響き渡った。重厚感のある羽ばたき音が聞こえたかと思うと、こちらに向かって滑空する巨大な影がフィオナの視界にいっぱいに広がった。
竜だ。そう思った瞬間、フィオナは慌てて身を屈めた。その頭上を物凄い勢いで巨大な竜が通り過ぎ、次いで何か重いものが落下した衝撃に馬車が大きく上下に揺れた。小柄なフィオナは一瞬本当に浮いてしまったが、
「ヴィクトール……ティルヴァーンっ!」
そう叫んだ男が、あっという間に組み伏せられる。竜から荷台に飛び降りた男の、流れるような一連の動作にフィオナは目が離せなかった。
重たそうな鎧を纏っているのに動きは軽やかで無駄がない。着地すると同時に男のひとりを足払いして転倒させ、背中を踏み付けにしたまま抜いた剣を突きつけて動きを牽制する。
時間にしておよそ十秒足らず。二人いた密猟者の男は逃げる間もなく、数の有利さえ失って窮地に追い込まれていた。
「竜の卵はメルトシア王国の管理下にある。個人が乱獲することは許されていない」
ヴィクトールと呼ばれた男が、フィオナの方を振り返った。正しくは、フィオナの前にいた密猟者の男にだ。頭をすっぽりと覆う兜のせいで顔は全く見えないが、射抜くような鋭い視線だけはありありと伝わってくる。
逆光に翳る鎧は漆黒。まるで夜の化身のように見えて仕方がない。
暗く、静かで、恐ろしい。けれど彼の右手に握られた剣、その青空を溶かしたような剣身の輝きは目を奪うほどに清浄で、フィオナはこんな状況であるというのに男の姿に見惚れてしまった。
だが、その一瞬の隙が仇となった。
「動くなっ! この女がどうなってもいいのか!?」
「きゃっ」
荷台の隅で固まっていたフィオナはあっけなく人質にされ、お下げにした三つ編みの片方を乱暴に引っ掴まれてしまった。更に首にまでナイフを突き付けられ、ひゅっと呑んだ息を最後に声すら奪われてしまう。
痛みと恐怖に身を竦ませたフィオナは、そこで自分がまだ黒い卵を持っていたことに気が付いた。
「卵を盗むだけでは飽き足らず、か弱き女性にまで手を出すとは、なんと卑劣な……っ。万死に値するぞ!」
「万死って……重すぎだろ! 殺しちゃいねぇし傷だってつけてねぇ!」
「痛がってるだろう! まず髪から手を離せっ。離さないならその手を切り落とす!」
蒼い刃を突き付けるヴィクトールに、密猟者の男もただでは退かない。フィオナの三つ編みをこれ見よがしに強く引っ張って、ナイフの刃を頬にべったりと当てて見せる。
「俺たちをこのまま逃がしてくれれば、この女は傷つけねぇ」
「周りには私の仲間が配置してある。万が一にもお前が逃げられる道はないぞ」
ヴィクトールの言葉通り、馬車の周りには数頭の飛竜が背に騎士を乗せた状態で待機している。街道の向こうから現れた一頭の飛竜の口にはロープが咥えられており、よく見ればその先には逃げた仲間の二人が体を縛られたまま宙吊りでぶらぶらと揺れていた。
「どうだ? これでもまだ逃げるつもりか?」
「……くっ」
「わかったら大人しく罪を受け入れろ。竜の卵を盗んだ罪。か弱い女性を盾にした罪。彼女の髪を引っ張った罪に、刃物を頬に突き付けて脅した罪」
「罪のほとんどが女絡みじゃねぇか!」
「当たり前だ! 一般市民の、ましてやか弱い女性に暴力を振るうなど言語道断! その腐った性根を叩き斬ってやる!」
低く身構えたヴィクトールが、男に向かって今にも飛びかかろうとしたその瞬間。
「す、すみまふぇっ……っくしゅん!」
緊迫した場の空気を一気に乱す、フィオナの気の抜けたくしゃみが響き渡った。それだけならまだ良かったのだが、あろうことかくしゃみした拍子に頬のナイフがフィオナの肌をプツン……と切り裂いてしまったのだ。
「あ」
完全なる事故。一番驚いたのは、ナイフを突き付けている男本人だ。逃げるための人質で、元より傷付ける気も全くなかったのに、まさかフィオナの方から顔を押し付けてくるとは全くの想定外である。
幸いにして傷はそんなに深くないからか、フィオナの方も「やっちゃった」くらいで済ませており、傷よりもくしゃみの方にどうやら恥ずかしがっているようだ。傷から流れ落ちる血が染め上げるように、フィオナの頬がほんのりと朱に染まっていく。
そんな中、ヴィクトールだけがわなわなと怒りに体を震わせていた。
「女性の顔を傷付けるとは何という極悪非道! 地獄に落ちろっ、外道が!」
「待て待て! 今のは完全に俺じゃないだろ!」
「問答無用っ!」
ヴィクトールが剣を構えたところまでは、フィオナにも見えていた。けれども次の瞬間にはもう男は荷馬車の上から吹き飛ばされており、フィオナは軽い衝撃にたたらを踏んでそのまま尻餅をついてしまった。
「すまない。怒りで力の加減がわからなかった」
いつの間にか目の前に来ていたヴィクトールが、フィオナと視線を合わせるように膝を付く。とは言ってもヴィクトールの顔は兜で全く見えないのだが。
「女性に対して何という惨いことを……」
血を流し続ける頬の傷を心配して伸ばされた手が、触れる寸前で引き戻される。
「その、すまない。……無骨者ゆえ、傷を拭うハンカチを持っていない」
引き戻した手をぐっと握りしめて、心底申し訳なさそうに項垂れる。見た目には厳つい鎧を纏っているのに、ハンカチを探してオロオロとする様子はまるで子犬――いや大型犬かもしれない――のようだ。身長も体格も、フィオナよりは随分と大きいのに、そのギャップがおもしろくて思わず笑ってしまう。
「あの、大丈夫です。それに傷は私が……くしゃみしちゃったので」
「城の医術師に診てもらおう。万が一にも傷が残ってしまっては、君に合わせる顔がない」
「えっ!? いや、こんなのすぐに治りますから!」
「いいやダメだ。そんなに血を流しているんだぞ。そのうち貧血が起きるかもしれない」
そんなにヤワじゃないし、これくらいの流血で貧血になっていては、女性はみんな倒れてしまうだろう。根が真面目というか、女性を神聖視しすぎているというか。ちょっと偏ったフェミニストであることは、何となくわかった。
「それにお城だなんて恐れ多いですっ。王都に帰してくれるなら、それで充分ですから」
「君に、何もせずに帰すわけにはいかない」
「言い方! ちょっと誤解を招きますっ」
「君を見ていると目に毒だ。……すまないが、少し無礼を働く」
ふわり――と体が浮いて、あっという間に抱きかかえられていた。
突然の浮遊感に驚いて顔を上げれば、あまりの距離の近さになぜかヴィクトールの方がびくりと体を震わせた。兜を被っているので表情は見えないが、体を支える腕からかすかな緊張感のようなものが伝わってくる。そしてそれは、当然のようにフィオナにも伝染した。
「お、降ろして下さい」
「む……。少し辛抱してくれ」
何だかとても恥ずかしい。馬車の周りには他の竜騎士たちが待機しているこの状況。まるでステージと化した荷台の上で、フィオナはヴィクトールにお姫様抱っこされている。ヴィクトールもなぜか動揺しているようで一向に動こうとしないから、フィオナは抱えられた状態のまま他の竜騎士たちの好奇の視線を一斉に浴びることとなった。
「あの……本当に、恥ずかしいので……。お城に行くなら、もう早く連れて行って下さいっ」
恥ずかしさのあまり、フィオナは腕に抱えたままの卵に顔を埋めてしまった。周りの竜騎士たちの視線も痛いし、兜で見えないけれどヴィクトールとの距離の近さも落ち着かない。ぎゅっと目を瞑って羞恥に耐えていると、不意に腕の中からパキッと何かが割れる音がした。
「え?」
驚いて腕の中を見れば、漆黒の卵に垂れ落ちたフィオナの血がすぅっと吸い込まれていく。そしてまたパキッと小さな音がして、卵の一部に罅が入った。
鱗に似た溝の一部分にかすかな隙間ができている。よく見ようと卵を持ち上げると、その隙間を中から押し広げて白い羽毛の生えた片翼が飛び出した。
「えっ? えっ!?」
片翼に続き、今度は爪の生えた片足が飛び出ると、漆黒の卵はそこから一気に罅を走らせて完全に割れてしまった。
「……」
「……」
「……キュィ?」
割れた卵の殻を被せたまま、つぶらな青い瞳でフィオナを見上げるのは――生まれたばかりの白い子竜だった。
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