第39話 恋愛成就の竜として

「そういやお前、式はいつ挙げるんだ?」


 宮廷魔道士ヘイデンによるルルの定期観察のあと、部屋を訪れていた国王ティーガスが唐突に訊ねてきた。案の定盛大に吹き出してしまったヴィクトールは、今この部屋にフィオナとルルがいないことに心からホッとした。


「また唐突に何を……」

「唐突でも何でもねぇだろ。サントレイルでの会談で、エイフォンに『フィオナと幻竜は自分のものなので、今後手を出すことがあれば容赦しない。少しでも不穏な動きを見せれば、貴国の空を竜の影で覆い尽くす』って啖呵切ってただろうが。そのあと申し合わせたように蒼竜がデカい声で鳴くモンだから、あいつら本気で怯えてたぞ」

「あれくらいしておかないと、エイフォンは何をしでかすか分かりませんので」

「俺のもの発言は否定せんのじゃな」


 にやにやと笑うヘイデンが「若いもんは勢いがあっていいのぅ」などと更に追い打ちをかけてきたが、反論するとフィオナへの思いを否定するような気がして、ヴィクトールはヘイデンを軽く睨むだけに終わった。


「しかしお前も人が悪いな、ヴィクトール。最初からその気だったんだろ?」

「何がです?」

「フィオナのことだよ。何だ? 一目惚れか?」

「そっ、そういうよこしまな気持ちで彼女を見ていたつもりはありません! 確かに愛らしいとは思いましたが、私は健気に頑張る彼女を見ているうちに守りたいと思い、その気持ちが次第に普通とは違うことに気付いてそこでようやく自分の気持ちを認めただけです」

「相変わらずくそ真面目すぎんだろ。ノロケまでていねいに説明するんじゃねぇよ」


 呆れたように手をひらひらと振られたので、ヴィクトールは渋々と口を噤んだ。本当はまだ言い足りなかったが、耳をほじり始めたティーガスを見るに、もう彼に話を聞く気はないらしいと悟る。


「お前らが本当にくっつくんなら、別に仮初めじゃなくてもよかったんじゃねぇか」

「それは結果論です」

「でも……そうだな。ルルが聖竜になったら、恋愛成就の竜として王都の名物になってもらうのもいいな。堅物竜騎士と町娘の仲を取り持ったまぼろしの竜……どうだ? おもしろそうだろ」

「彼女を見世物にすることは許可できません」

「……すげなく却下するとは……どっちが王様だよ」


 ただでさえ珍しい幻竜に加え、ただでさえ可愛らしいフィオナが好奇の目で見られることは何となく気持ちのいいものではない。春の妖精のようなフィオナを自慢したい気持ちもないわけではないが、今はまだ自分だけのフィオナでいて欲しいと……そう思ったところで、ヴィクトールは自分の独占欲の強さに気付いてしまった。



 ***



 ヘイデンの部屋を出たヴィクトールは、その足で訓練場へと向かっていた。ルルの定期観察中に用もなくティーガス王が訪ねてくるものだから、緊張していたフィオナをルルと一緒に先に退室させていたのだ。


「あ、戻ってきたわよ」


 ゴルドレインの長身に隠れたフィオナが、彼の横からひょいっと顔を出す。その仕草すら可愛く見えるのだから、最近は自制心を保つのに必死だ。


「ヴィクトールさん。お話、終わったんですか?」

「あぁ。話と言うほどでも……」


 言いかけて、言葉に詰まる。見開かれた紺色の瞳に映るのは、フィオナの後ろに佇むくれないの騎士服を着た……。


「セレグレス! どうしてお前がここにいる!」

「どうしてと言われても、一緒に談笑していたので」


 声を荒げるヴィクトールとは反対に、セレグレスはいつものように薄い笑みを浮かべて軽く肩を竦めている。その笑みや態度に反省の色は見られないが、手に持った紙袋の中には今日もフィオナ宛の菓子が入っているのだろう。

 塔から突き落とした詫びとして、セレグレスは毎日何かしらの菓子を送ってくるのだ。もちろんフィオナに渡る前に、ヴィクトールはきちんと毒味をしている。


「しばらくはフィオナの半径一メートル以内に近付くなと言ったはずだぞ」

「ですから、ほら。ちゃんと離れてるでしょう?」

「フィオナの視界に入るのも禁止する」

「独占欲の強い男は嫌われますよ? ねぇ、フィオナさん?」

「えっ!?」


 フィオナの返答も気になるところだが、まずはセレグレスのそばから離さないことには安心できない。フィオナを背に庇って立つと、ヴィクトールはついでに菓子の入った紙袋も奪うようにして受け取った。


「フィオナを助けてくれたことには感謝するが、お前はやり方が破天荒すぎる。もう少し穏便に……」

「穏便にしていたら、いまフィオナさんはここにはいなかったかもしれませんね」

「ぐっ……。それは、そうだが……せめて私には事前に教えてほしかったぞ」

「敵を騙すには味方からですよ。あなたに教えたら真っ先にバレるじゃないですか」


「それもそうね」と、ゴルドレインが余計な相づちを打つ。その隣ではフィオナも小さく笑っていて、ヴィクトールは何だか少しだけ寂しい気持ちになってしまった。


「それに、一応知らせはしましたよ。僕の意図を読み取ってくれたので、あなたは足をすくわれることもなかったですしね。塔から落ちるフィオナさんをかっ攫う姿は、物語のヒーローのようで格好良かったですよ。あ、ちゃんと映像も撮れているので見てみます?」


 そう言ってセレグレスが取り出したのは、薄い円盤状の魔法具だ。透明な板に細い線で蒼いレースのような模様が刻まれている。中央には小さな窪みがあり、そこにセレグレスがポケットから出した蒼い石をはめ込むと、円盤に刻まれた模様がゆるりと回転した。

 淡い光に照らされて円盤上にぼんやりと浮かび上がったのは、塔から落下するフィオナを間一髪のところで救出するエスターシャとヴィクトールの姿だった。


「あら! 何これ、凄いじゃない。しろがねの発明品? いつも研究棟に閉じこもってるから何してるのかと思ってたんだけど」

「待て待て! 何だこれはっ。こんなものいつの間に撮ってたんだ!? そもそも私は許可していないぞ!」

「ジェイスの企みについて、言い逃れができないように証拠を残そうとしていたんですけど……おかげでいいものが撮れました」


 満面の笑みを浮かべたセレグレスの手の上では、円盤に浮かび上がったヴィクトールがフィオナをぎゅっと抱きしめている。そのまま顔を近付けるものの、兜が邪魔でそれ以上近付けない二人の様子に、ゴルドレインとセレグレスの舌打ちが綺麗なくらいに重なった。


「肝心なところが抜けてますね」

「ホント……ヴィクにはがっかりだわぁ」

「わぁぁ! もう何なんですかっ、セレグレスさんのばか! 鬼畜! 変態っ! こんなの隠れて撮るなんて信じられませんっ」


 顔を真っ赤にして怒るフィオナが、魔法具を奪い取ろうとセレグレスに飛びかかった。もちろん隊長クラスのセレグレスにフィオナが敵うはずもなく、伸ばした手はあっけなく空を掴むだけだ。

 ルルの突進も華麗に避けて、セレグレスは魔法具から蒼い石を取り外して胸ポケットにしまい込んだ。映像が記憶されているのはどうやら蒼い石の方らしく、セレグレスは円盤の魔法具を何の躊躇いもなく放り投げてしまった。そうとは知らないルルが、遠く飛んでいく円盤を破壊すべく猛スピードで追いかけていく。


「石を返して下さいっ!」

「残念ですが、この石の買い手はもうついてるんですよ」

「は? ちょっと待て。そんなもの誰が買うんだ。……いや、私なら買うが」

「心の声が漏れてるわよ、ヴィク」


 今にも泣きそうな顔のフィオナと、呆れ顔のゴルドレイン。疑問符を浮かべるヴィクトールの後ろでは、円盤をくわえたルルが自信満々の顔つきで戻ってくる。

 その面々をじっと見て、セレグレスはとても綺麗な顔で爽やかに笑った。


「王様がルルを恋愛成就の竜として祭り上げるようなので、これはその宣伝活動に役に立つのではないかと思いまして」


 あんぐりと口を開けたヴィクトールの脳内では、国王のティーガスがしたり顔で笑う姿がいやらしいくらいにしっかりと浮かび上がってしまった。

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