第25話 大好きなんです

 この温泉宿はすべてが離れになっていて、ヴィクトールたちの部屋は団員たちとは少し離れた奥の方だった。周りには何もなく、濃い緑の空気が満ちている。他に離れもないので喧噪も届かず静かで、耳を澄ませばどこからか川のせせらぎが聞こえてきた。


「わぁ! こんなに高そうなところに私たちだけで泊まってしまっていいんでしょうか」

「今回は君を労うためだからな。素直に厚意に甘えておこう」


 リビングに洗面所と、一通り部屋を見て回る。寝室の、二つ並んだベッドを見た時だけは、ヴィクトールも思わず声を詰まらせてしまった。

 風呂は内湯と露天がふたつ。備え付けられていた色とりどりの入浴剤を珍しそうに見ているフィオナの背後で、ヴィクトールは気付かれないようにそのうちの幾つかをこっそり棚の奥に隠した。めくるめく何ちゃらや、本能を呼び覚ますそれ系などは、今の二人には必要ない。


「夕飯までは時間ありますけど、せっかくなので団長さん先にお風呂入っちゃいます?」

「その前に、フィオナ。少し話を……というか、確認しておきたいことがあるんだが」

「はい?」


 リビングのソファーにフィオナを促して、ヴィクトールはその向かいにテーブルを挟んで腰を落とす。茶でも用意すれば良かったかと思ったが、一度間を開ければせっかくの勇気も萎んでしまいそうだ。ここは一気に聞くべきだと口を開けたものの、結局どう切り出していいのか迷ってしまって言葉が一向に出て来ない。何もないテーブルの上を穴が開くほど見つめていると、控えめにフィオナが笑う声がした。


「団長さん、緊張してます?」

「っ……、そんなことは……いや、うむ……確かにそう、だな」

「お屋敷でも別々なのに、いきなり同じ部屋ですもんね。……実は、私もちょっと緊張してます」

「君も? そうは見えないが」

「なら、うまく隠せてるってことですね。でもこうして改めて言われると意識しちゃうので……もう隠せませんが」


 恥ずかしそうに目を逸らすフィオナの頬は、先ほどよりもほんのりと色付いている。落ち着きのなさを誤魔化すように、腕に抱いたルルを何度も撫で下ろして、意識を必死にそちらへ持っていくかのようだ。


「団長さんにちゃんと、あ……愛、されてるかどうか、皆さん心配して下さってるんでしょう?」

「誰から聞いた!?」

「ここに来る途中、団員さんたちが……。でもきちんとあ……あー……されてるって答えておいたので大丈夫ですっ」

「そ、そうか。それなら安心だ……って、そうじゃない。いやそうじゃないこともないが、……フィオナ。ひとつ教えてくれ」

「はい?」


 ごほん、と咳払いして、ヴィクトールは覚悟を決めた。深く息を吸い込んで、フィオナをまっすぐに見つめる。


「君は私に触れられることを、どう思っている?」



 ***



 竜騎士団の面々が集まった夕食の会場はこれまた珍しく、床に引いた絨毯の上に食事が並べられるという異国のスタイルだった。床に直接座って食べるということに最初こそ驚きはしたものの、酒が回るにつれてそれも新鮮で珍しい経験だと好意的に受け入れられるようになっていく。出される食事もおなじみのものから見たことのないものまで、すべてがおいしくてフィオナは少し食べ過ぎてしまった。隣では同じように満腹になったルルが、大きなお腹を仰向けにしてうつらうつらと微睡んでいる。


「こんなにおいしいご飯を食べられて幸せです。お屋敷の皆さんに、お土産として持って帰りたいですね」

「そうだな。あぁ、これも食べるか? 君の好きそうな菓子があるぞ」

「わぁ! 頂きます!」


 小柄なフィオナにしては、驚くほどの食いっぷりである。あまりにおいしそうに食べるので、他の団員たちがあれもこれもとフィオナの前に料理や酒を取り分けるほどだ。さすがに量が多いので、半分はヴィクトールが食べる羽目になるのだが。


「今日は連れてきて下さって、皆さん本当にありがとうございます」

「本当に素直でいい子よね、フィオナちゃんは! ヴィクにはもったいないわぁ」

「ホントですよー。団長だけズルくないっすか!?」

「ズルいとかそういう問題じゃないだろう」

「ズルいですよ。こんな可愛い子ひとり占めするなんて……少しは俺らに分けて下さいよ」

「出来るわけないだろう!」


 いい感じに酒も回っているのか、団員たちがソフトに絡んでくる。それにいちいち真面目に答える辺り、ヴィクトールはまだ酒に飲まれてはいないようだ。結構な量を飲んでいたはずなのに、素面しらふと変わらない様子なのはヴィクトールとゴルドレインの二人だけだ。

 フィオナと言えば、花の香りのする果実酒を幸せそうに飲んでいる。ほろ酔いなのか、頬は元より首筋までがうっすらと朱に染まっているようだ。髪の毛はお下げにきっちり結んでいるので、ほのかに赤く染まるうなじが丸見えなのが何となく気にかかる。とはいえ髪を下ろすよう注意するのも違う気がして、ヴィクトールはよく分からない気持ちを少し強めの酒で腹の底に押し戻すのだった。


「そういえばフィオナさんは団長のこと名前で呼んでないですよね?」

「えっ!?」


 話の矛先が突然自分に向いたので、フィオナは飲んでいた酒を噴き出しそうになってしまった。


「そ、そうでしたっけ?」

「そうっすよー。せっかくなんで、いま名前で呼ぶって言うのはどうですか?」

「えっ? えぇ!?」

「団長もきっと喜ぶと思いますよー!」

「お前たち! さっきから調子に乗りすぎだぞ。絡み酒なら他でやれ!」


 焦るフィオナの代わりに、囃したてる団員たちをヴィクトールが一喝する。それでも熱は完全に冷め切らなかったのか、どこかで「えぇー」と不満げな声が上がった。


「でも団長もそろそろ名前で呼んで欲しいでしょ?」

「そういうのは二人きりの時だけと決めてある!」


「えっ!?」と驚くフィオナの声をかき消すほどの歓声が、団員たちから沸き起こった。雄叫びを上げたり、隣同士で抱き合ったり、各々が体全部で喜びを表しているかのようだ。もう完全に酔いが回っている。


「見かけによらず、独占欲が強ぇー!」

「もしかして団長、亭主関白系っすか? いやー、フィオナちゃん大変そう」

「つらかったらいつでも俺らのとこに逃げてきていいからね!」

「お前たち……」


 みんなが好き勝手に叫ぶものだから、ヴィクトールが何を言っても収拾がつかない。もう彼らを抑えるのはやめて、早々に引き上げようとした時、それまで黙って俯いていたフィオナがダンッとグラスを床に叩き付けるように置いた。


「そんなことないです! 団長さんは、優しいですっ!」


 怒気を孕んだフィオナの声に、場の空気がしーんと凍った。騒ぎ立てていた団員たちを睨み付ける目は完全に据わっている。


「フィ、フィオナ?」

「団長さんはとっても優しいひとです……。私をよくしてくれますし、傷付かないように大事に扱ってくれますぅ」


 呂律がうまく回らないのか、所々で言葉が微妙に間違っている。完全に酔いが回っているようだ。


「分かった。分かったから、もういい。部屋へ戻ろう。君は少し飲み過ぎて……」

「良くありません! 団長さんが誤解されてるの、すごく悔しいです。団長さんは悔しくないんですか!? わたし、ぜんぜんつらくないです。むしろ団長さんでよかったって……おもってるんですから」


 酔っているからこそ聞くことのできたフィオナの本心に、ヴィクトールは胸の奥がじわりと温かくなるのを感じた。その言葉を嬉しいと思うほどに心も体も熱を持ち、引き結んだはずの唇はいつの間にかだらしなく緩んでしまっている。


「……フィオナ」


 掠れた声で名前を呼ぶと、酔いのせいでとろんと潤んだ瞳がゆっくりとヴィクトールを見上げた。


「団長さんは……優しいです」

「……あぁ、わかった。ありがとう」

「団長さんの……は、大きくて硬いですけど……でもすごくあったかくて……私、大好きなんです」

「……」

「……」

「手の話だなっ!!」




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