なぜ君だけが(35話以降のifルート)

≪シリアスブラッディのifルートです!≫


【注意書き】

・黒幕の正体が違う。

・流血する。

・死人は出ない。















************************













 ヴィクトールが塔に駆け付けた時、辺りは濃い血の臭いが充満していた。悪い予感を振り切ったはずが、体が無意識に「それ」を想像して震えている。


『フィオナさんには生贄になってもらいました』


 先に捕らえたセレグレスの言葉が、頭の中で何度も何度も木霊する。

 隣国エイフォンと通じていたセレグレスの目的はルルを暗黒竜にすることで、そのためにフィオナを抹殺しようとしていたのだ。フィオナの死によってルルの属性は大きく負に傾き、暗黒竜になったルルを薬で従わせる算段だったのだろう。

 そのためにフィオナはイスタ村で襲われ、リュールウでも狙われ、――そしていま安否の分かぬまま朽ちかけた塔の最上階に捕らわれている。


 急いで駆け上がった階段の先、朽ちた扉が見えた瞬間に、ヴィクトールの胸がどくんと跳ね上がった。薄く開いた扉から見えるのは、真紅に染まった石造りの床だ。

 心臓がうるさいほどに胸を打ち、それに呼応するように部屋の奥でルルが激しく鳴いている。空気を切り裂くように、けたたましい猛獣の唸り声を上げて


 きぃ……と軋んだ音を立てて開かれた扉の向こう、狭いだけの部屋の中央にフィオナが血まみれの姿で倒れていた。


「フィオナっ!!」


 駆け寄って抱き起こすと、ことん……と頭がヴィクトールの胸に傾いて止まる。


「フィオナ。……っ、フィオナ!!」


 狂ったように名を叫ぶしかできなかった。胸を切り裂かれ、散った鮮血が白い頬を汚している。血の気の失せた頬は触っても冷たいだけで、空色の瞳を隠した瞼はぴくりとも動かない。

 ぐったりとした体をかき抱くと、かすかに息を吐く音がした。強く抱けばいいのかと体温を分け与えるかのように抱きすくめても、フィオナは薄く息をするだけで瞳を開けることはなかった。


 視界の端で、漆黒に染まったルルが苦しげに鳴いている。蒼い瞳は見る影もなく、フィオナの血と同じ真紅に染まりきっていた。



 ***



 塔の惨劇から七日が経っても、フィオナは目を覚ますことはなかった。

 当然ルルも暗黒化がひどく、塔の床に流れ出たフィオナの血を飲んでいても体は黒いままだ。時々ベッドに上っては、眠るフィオナの頬を舐めている。

 その様子がまるでフィオナの体液を欲しているようで、黒く染まったルルの存在が少しだけ邪悪に見えて仕方がない。そんなつもりではないことなど、ヴィクトール自身が一番よく分かっているのに。

 それなのに、目を覚まさないフィオナへの不安が重なって、思考がどんどん闇へと引っ張られてしまう。


「ルル。フィオナはいま、絶対安静だ。竜舎に戻っていろ」

「きゅぅー」


 ルルも不安なのか、フィオナの上から一向に退けようとしない。頬を舐めるだけでは足らず、その胸元にまでよじ登ったので、ヴィクトールは慌ててルルの体を抱き上げた。


「ルル! フィオナは怪我をしているんだぞ!」

「ギャゥッ!」


 抱き上げた拍子に、シーツがルルの爪に引っかかって捲れ上がる。その下に横たわるフィオナの胸元に、またじわりと血が滲んでいるのを見て、ヴィクトールがはっと息を呑んだ。

 ルルがよじ登ったせいで、胸の傷口が開いたのだ。


 白い服を汚して滲む赤は、まるでヴィクトールの心を蝕む不安を表しているかのようだ。ぎくりと震えたその隙を突いてルルが腕から飛び出し、再びフィオナのそばに降り立った。血の滲む胸元へ鼻先を寄せたかと思うと、まるで飢えた子供のように傷口へと食らい付く。


「ルルっ!!」


 力の加減など、気にする余裕もなかった。殴り倒すほどの強い力でルルを引き剥がすと、赤い瞳が怒りをたたえるかのようにおぞましく光る。それでもその表情はどこか苦しげで。


 ルル自身も、体に満ちる黒い感情と必死に戦っているのだろう。元に戻りたい一心でフィオナの血を求めているのかもしれない。

 けれど、意識のないフィオナの血を飲むルルの姿は邪悪な闇そのもので、このままフィオナを文字通り喰らい尽くしてしまうのではないかと恐ろしくなってしまった。


「ギャゥッ! シャァァッ!」


 爪を立てて。牙を剥き出しにして。

 可愛い面影を漆黒の向こうに覆い隠して、ルルがわめく。フィオナの血を求めて、泣き叫ぶ。


「なぜ君だけが……こんな思いをするっ」


 胸を切り裂かれ、命が危うい状況であるというのに。

 そんな時でもルルの暗黒化を戻せるのはフィオナだけで――ヴィクトールは自分の無力さに打ちのめされてしまう。


「なぜ痛みを、分かち合えないっ」


 フィオナの元へ戻ろうと暴れるルルが、ヴィクトールの腕に噛み付いた。甘噛みなどという優しいものではない。鋭く尖った牙は深く肉を裂いて食い込み、濃い鮮血がベッドのシーツにボタボタとこぼれ落ちて染みを作っていく。


「グルゥゥゥッ!」

「血なら私のをくれてやる! だから……今はフィオナに近付くな。彼女を……本当に失ってしまうかもしれないんだ」


 腕に噛み付いたルルを逃がさないように、ぎゅっと強く抱きしめる。その小さな体に縋るように。ヴィクトールはルルに顔を埋めて、懇願するように囁いた。


「フィオナ。……死ぬな」


 涙を堪えてきつく閉じた瞼の裏に、フィオナの姿が映り込む。こちらを見て微笑むフィオナに手を伸ばしても、ヴィクトールの指先がその体に届くことはなかった。

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