竜騎士様とはじめる、新婚初夜(42話その後)

 このままだと、心臓が破裂するのではないかと本気で心配した。


 室内に灯るオレンジ色の光は淡く、夜の闇を追い払うには不十分だ。闇を照らす目的ではなく、その灯りは夜を強調するため。蜜夜に灯された恥じらいの明かりは、それでもフィオナには眩しすぎるほどだ。

 こちらを見下ろす熱っぽい紺色の瞳も、さらりと流れる茶色の前髪も。はだけたシャツの襟元からのぞく胸板も、フィオナの目に映るすべてが鮮明に脳に刻み込まれていく。


 薄明かりの中、逆光に照らされて浮かび上がる体に陰影が落ちる。やわらかいオレンジ色の灯りにすべてが照らされるわけではなく、たとえばヴィクトールの優しい笑みに隠れた本能はまだ仮面の下だ。二人をあまく照らす灯りのように、それは秘された分だけ艶を増す。


「ん……っふぁ」


 キスなら何度もしてきた。キスまでが、二人における境界線だったから。しない方が珍しいくらいに、一日一度は必ずキスをする。だからフィオナも随分とキスには慣れてきたつもりだ。


 でも。

 今夜のキスは、いつもと違う。


 優しいのに、隙がない。息苦しさに喘ぐことも許されず、口内をいたぶる舌が別の生き物のようにフィオナの舌を絡め取る。

 苦しい。なのに、頭の奥がじんと痺れて、息苦しささえ快感に変わる。

 重なり合う唇も、絡み合う指先も。吐息も体温も汗も鼓動も。すべてが一つに溶け合っていくようだ。


 その火傷しそうなくらいに高まる熱に身を委ねながら、フィオナは自分がこのまま死んでしまうのではないかと一瞬本気で思ってしまう。だからつい。


「……っ、ヴィクトー、ル……さん」


 名前を呼ぶことで、彼の意識を少しだけこちらに引き戻してしまった。

 離れた唇を掠めて、ヴィクトールの熱い吐息が漏れる。オレンジの室内光に浮かぶヴィクトールの視線がやけに煽情的で、その艶めく輝きを間近で見てしまったフィオナが堪らず自分の顔を両手で覆い隠した。


「ごめ……なさい。ちょっと……心臓が、持たないです」


 先程から心臓が痛いくらいに胸を叩いている。大聖堂で式を挙げたとき以上にうるさくて、呼吸もままならないほどだ。そこにくちづけで更に息を奪われ、フィオナの意識は酸素が足りずにくらくらしている。ベッドに寝ているというのに、体はまるでふわふわと浮いているようで力がまるで入らない。

 だから顔を覆う手を、簡単に外される。


「緊張しているのは、私も同じだ」


 ふっと息を吐いて笑ったヴィクトールが、掴んだフィオナの手を自身の胸に宛がった。薄いシャツ一枚隔てただけの、ヴィクトールの胸。手のひら越しに感じる硬い胸板は驚くほどに熱く、その奥で脈打つ鼓動はフィオナと同じくらいに早鐘を打っている。


「今までで一番緊張しているかもしれない」

「ヴィクトールさんも……?」

「あぁ。君をやっと手に入れられる喜びと、君を壊してしまうかもしれないという不安で心が騒がしい」

「私……そんなにヤワじゃないです」

「そうやって私を煽るから抑えがきかないんだ」


 胸から外したフィオナの手に今度は自身の口を寄せて、ヴィクトールが手のひらから指先までを一気に舐めあげた。そのまま指先を咥えられ、中指の爪の輪郭を舌先でなぞられる。

 感覚の鋭い指先だからこそ、ヴィクトールの舌の動きが敏感に伝わってしまう。たまらず下唇を噛んで声を抑えたが、そこをやわく指先でなぞられれば力はあっという間に抜け落ちて。


「……んぁ」


 声が漏れた瞬間に、再び唇を塞がれる。

 終わらないくちづけは深く深く。重なり合う熱は冷めることなく、二人を焼き尽くすようで怖い。暖色の灯りに照らされた部屋に満ちるのは、どこまでも濃密なあまい闇。


「すまない」


 フィオナを見つめる紺色の瞳が、男に変わる。


「今夜はもう、とめられない」


 ベッドが軋んで、フィオナの上に影が落ちる。重なる唇は激しく、肌を撫でる手のひらはやさしく、こぼれ落ちる吐息はあまくとろけて絡み合う。


 夜はまだ、はじまったばかりだ。



 ***



 心地良い微睡みから目を覚ますと、腕の中でフィオナがすぅすぅと気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 窓の外はまだ暗い。朝に近い時間ではあるが、使用人の中でも起きているのはヘンリウスとイレーネくらいだろう。もう少ししたら他の者も起きて各々仕事に取りかかり始めるのだが、今朝だけはヴィクトールが呼ばなければ寝室には誰も来ないことになっている。


 フィオナの顔にかかる桃色の髪をそっと払いのけて、そのまま頬を撫で下ろした。頬から首筋へ、そこから白い鎖骨を掠めて剥き出しの肩を抱いても、フィオナは身じろぎをしただけで目を覚ますことはなかった。

 昨夜は無理をさせてしまった。気を失ったように眠ってしまうのも仕方がない。


 抱いた肩をそっと引き寄せて小さな体を両腕に包み込むと、フィオナが甘えるようにヴィクトールの胸元に顔を寄せてきた。直に触れ合う体温が心地良くて、愛おしくて、言葉にできない幸福感がヴィクトールの胸を満たしていく。


 未だ熱に色付いた唇に触れるだけのキスを落として、ヴィクトールはフィオナを抱きしめたまま目を閉じる。

 二人の夜はまだ明けない。フィオナが目覚めるまで、はじめての夜は続いていく。

 シーツの中に燻る余韻を楽しみながら、ヴィクトールはフィオナと二人、どこまでもあまく優しい夢に落ちていくのだった。

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