第4章 仮初めから本当の夫婦へ

第33話 もちろん、左手で

 温泉での襲撃から一ヶ月が経った。

 戦闘で受けた傷はエルミーナとしろがねの魔術師が施した治療によって完治したものの、毒によるダメージは体内に蓄積されており、しばらくの間ヴィクトールの右腕には麻痺が残った。

 麻痺の後遺症がなくなるまで、二週間ほど。落ちた体力を取り戻すのに一週間。溜まっていた雑務等を片付けながら最後の週が過ぎる頃には、ヴィクトールの体調も万全の状態に戻ることができた。


 その間に変わった出来事と言えばルルに小さな角が生えたことと、ヴィクトールとフィオナの関係が目に見えて近付いたことだ。本人たちはあえて口にせず隠しているつもりだろうが、二人から漂う甘ったるい空気は屋敷の者たちにバレバレである。


 例えば、今まではどこか見えない線引きをしているようだったヴィクトールが、フィオナのために贈り物をするようになった。しかも令嬢が着るような美しいドレスだ。さすがに急すぎたのか、淡いミントグリーンのドレスは袖を通さないままクローゼットにしまわれている。

 フィオナの方はヴィクトールを名前で呼ぶようになっていた。時々いつもの癖で「団長さん」と呼んでは、ヴィクトールに指摘されて言い直している。その様子が微笑ましすぎて、執事のヘンリウスは柱の陰で涙ぐむほどだった。


 二人がこんな調子なので、当然その愛を受けて育つルルの聖竜化も早いようだ。角が生えたことは単なる成長過程であるのかもしれないが、白い毛並みはよりツヤツヤに、金色の瞳はキラッキラに輝いてまるで宝石のようだ。最近はヴィクトールの頭にも乗るようになったので、ルルにもようやく認められたのだろう。とはいえ、ルルの顔は渋いままなのだが。


「旦那様。しろがねの方から注文していた品が届きました」


 昼食後のお茶を二人で飲んでいると、ヘンリウスがトレイに小さな箱を乗せてやってきた。


「そうか。ありがとう」


 ヴィクトールが箱を受け取ると、ヘンリウスが静かに退室する。

 しろがねといえば、先日ネックレスに転送魔法を再度施して貰うよう頼んでいたはずだ。魔力のないフィオナでも、強く願えばこの屋敷へと戻ってこられる術を組み込んだネックレス。ルルが生まれた卵の殻で作られたネックレスは、黒と虹色の表裏でとても珍しく、魔法具としてでなく装飾品としても実は気に入っている。


「ネックレスが戻ってきたんですか?」


 お気に入りが戻ってきたと喜んだフィオナだったが、ヴィクトールの方はなぜか少し戸惑う仕草で箱をポケットにしまい込んだ。


「あ、あぁ、そうだな。……フィオナ、お茶を飲んだら少し……私に時間をくれないか。君に渡す物がある」


 そう言ってフィオナが連れて来られたのは、ヴィクトールの私室だった。促されてソファーに座ると、なぜか隣にヴィクトールも座ったのでフィオナの心はちょっぴり落ち着かない。

 温泉での一件があってから、ヴィクトールは以前のように動揺することが少なくなった。お互いに気持ちを伝え合ったので遠慮する必要がなくなったと思っているのか、時々フィオナの方がびっくりするくらい距離が近い時がある。


「えぇと……団、ヴィクトー、ルさん?」


 指摘される前に名前を言い直すと、紺色の瞳に優しい光が揺らめく。


「呼ぶのに、まだ苦労している。皆の前では呼んでくれていると聞くが」

「お屋敷の皆さんと、だ、ぁー……ヴィクトールさんとじゃ違いますよ。本人を前にすると緊張します」

「変に間延びしたぞ」

「ヴィクトールさんっ! こそ! 最近はすぐそうやってからかうの、やめて下さいっ」


 最初と立場が逆転しているようで、フィオナはここのところずっと赤面しっぱなしだ。今もぷうっと頬を膨らませてヴィクトールを睨んだものの、当の本人がひどく優しい目でこちらを見つめるので、フィオナは結局それ以上何も言えずに黙り込んでしまう。


「君が可愛いから、つい……。すまない」


 おまけにこうやって平気で惚気てくるので、最近は使用人のみならず、屋敷を訪れたゴルドレインたちにまでからかわれる始末だ。


「それで! 用事は何なんですか?」


 強引に話を逸らすと、今度はヴィクトールの方が少し戸惑う表情を浮かべた。何事かとじっと様子を窺うと、やがて彼はポケットから先ほどの小箱を取り出して、それをフィオナの手に乗せた。


「ちゃんとしたものは、後日改めて用意するとしてだな……。あー、なんだその……あれだ。君がルルの卵の殻を気に入っていると聞いて、しろがねに作って貰ったんだ」


 小箱の蓋を開けると、中に入っていたのは漆黒に輝く指輪が二つ。小さい方には、キラキラと七色に輝く小さな石――ではなく、これも卵の殻で作られた飾りがはめ込まれている。

 表面が黒、裏側が七色だった卵の殻を丸くくり抜いて作られているので、指輪のアーム部分が半々で色が違っているのも珍しい。綺麗に磨かれているので艶があり、触った感じも滑らかだ。宝飾店に並べていてもおかしくないくらいの美しさで、箱を開けた瞬間フィオナはしばらく言葉を失って指輪に見惚れてしまった。


「……きれい」

「黒が混じっているからどうかと思ったんだが……私たちが出会うきっかけとなったルルの卵を、せっかくだから形に残したいと思ったんだ。その……気に入ってもらえると、嬉しいのだが」

「もちろんですっ! こんなに素敵な指輪を作って頂けるなんて、ちょっとびっくりして……いま胸が苦しいくらいです」

「そ、そうか。君が喜んでくれたのなら、よかった。本来指輪にするものではないから、念のため耐衝撃と防水と簡単な幸運の祈りを付与してある」

「見た目に反してすごく重装備じゃないですか」


 そう言いつつも、フィオナは幸せそうに微笑んでいる。その顔を見られただけでも良かったと胸が温かくなるのを感じながら、ヴィクトールは箱の中から小さい方の指輪を取り出して――。


「君に嵌めてもいいだろうか?」

「え……と、……どっちの手が」

「もちろん、左手で」


 そっと左手を取ると、ヴィクトールの大きな手のひらの中でフィオナの指先がぴくりと跳ねる。その様子すら愛おしくて、きゅっと一度握りしめてから、ヴィクトールはフィオナの薬指に黒い指輪をゆっくりと嵌めた。


 フィオナの白い指には、少し目立ちすぎる黒と七色に光る指輪。けれどもその色合いにヴィクトールの独占欲が秘められているようで、フィオナは嬉しいような恥ずかしいような甘酸っぱい気持ちに胸がいっぱいになるのだった。


「……ヴィクトールさん。ありがとうございます」


 指輪を嵌めた手を上にかざすと、キラキラと七色の部分が光ってとても綺麗だ。世界に一つだけの指輪。ルルの卵で作った、二人だけの意味を持つ指輪。


「わたし、大事にしますね」

「サイズもぴったりのようでよかった」

「そういえば指のサイズ、いつ調べたんですか?」

「ん? 君が寝ている間に……」

「えっ! 部屋に入って来たんですか!?」

「あぁっ、違うぞ! 測ったのはアネッサだ! さすがに私も、深夜に君の部屋に入る勇気はない。指のサイズを測るだけでは済まなさそ……そ、そう、そういうのは正式に夫婦になってからであるからして! 今はくちづけで我慢しているっ」

「全部言葉に出てますっ!」


 思いは伝え合ったものの、二人の関係がもう一歩進むのはまだまだ先のようである。

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