第34話 足をすくわれてしまいますよ
フィオナは今日、ヴィクトールと共に城を訪れていた。ルルの成長の様子を、宮廷魔道士のヘイデンに見てもらうためである。
最初の頃とは違って、ルルも随分と慣れてきたようだ。羽を広げられたり、尻尾を持ち上げられたり、口の中をのぞかれてもヘイデンに噛み付くことはない。これが終わったらカロンの果実が貰えることを知っているからだ。
「角も生えていよいよ竜らしくなってきたな。金目に宿る聖性も濃くなっておるようじゃ。この調子だと、一年も経たずに聖竜になるやもしれんぞ」
「本当ですか? よかったね、ルル!」
「きゅいーん!」
羽を広げて「どうだ」とアピールするルルを、フィオナはぱちぱちと手を叩いて褒め称えている。そんな微笑ましい様子を眺めていると、ふとヘイデンから含みのある視線を感じてヴィクトールは眉を顰めた。
「どうかしたか?」
「お前の愛は濃厚じゃのう」
「ぶっ!」
「今更照れんでもよかろう。揃いの指輪で俺のものアピールを堂々としておるくせに、変なところでウブじゃの」
「そういうわけではっ」
「あぁ、そうそう。戻る前に
温泉地で一度使った転送魔法。その原理は隣国エイフォンの魔術を倣ったものだ。使い捨てではなく、殻に掘られた魔法陣に再度魔力を込めることで何度でも使用可能な魔法具となる。魔力を込めるのに時間がかかるのが難点だが、その間フィオナが屋敷から出ることはなかったので特に問題はなかった。
――問題はないが、ヴィクトールの胸はほんの少しだけ落ち着かない。その動揺を悟られないよう平静を装って返事をすると、ヴィクトールは人知れず静かに深呼吸をした。
ネックレスへの魔力の注入と、お揃いの指輪。実は指輪の作成を先に頼んでいたことを、ヴィクトールは二人には秘密にしている。
***
ヘイデンの部屋を後にして、フィオナはヴィクトールに案内されながら
城に出入りするようになったと言っても、フィオナが行ける場所は限られている。
「セレグレス」
「こんにちは、フィオナさん。それにヴィクトールも。ここで会うのは珍しいですね」
「あぁ、ちょっと
「そうですか。それはそうと、あなた怪我の方はもういいんですか? 毒を受けてコテンパンにやられたと聞きましたが」
「言い方……。いや、間違ってはいないが……何だか少し悪意を感じるぞ」
「細かいことを気にする男はモテませんよ。あぁ、でもあなたにはもうモテ期も必要ありませんか。……かわいそうに、フィオナさん。ついに永遠の牢獄に捕まってしまったんですね」
二人の指に嵌めたお揃いの指輪を見て、セレグレスが大げさに肩を竦めて笑った。なかなか掴み所の分からない男だと、フィオナは思う。ヴィクトールの幼馴染みなので悪い人ではないのだろうが、セレグレスの少し個性的な性格には慣れるのに時間がかかりそうだ。
そう思っていると、彼の後ろから別の騎士がひょこりと顔を出した。茶色の短髪をした爽やかな見た目の彼は、
「またお前は……。本当にごめんね。なかなか素直じゃないんだよ、こいつ」
セレグレスの腕を肘で突いた彼は、初めてセレグレスに会った時、一緒に街を巡回していた騎士のひとりだ。今日もセレグレスと一緒にいるということは、彼と同じ三番隊の仲間だろうか。二人から感じる気心の知れた空気は、何となくヴィクトールとゴルドレインのような関係を思わせる。
「何を言うんです? ジェイス。僕ほど素直な男もいないと思いますけどね?」
「お前は癖がありすぎるんだよ」
ジェイスと呼ばれた彼は、セレグレスが務めている三番隊の副隊長なのだと、ヴィクトールが小声で教えてくれた。
「そういえば
「あぁ、そうだ」
「タイミングがいいですね」
「どういうことだ?」
「実は最近、サントレイルの国境が騒がしくなっているんですよ」
サントレイルとはわずかな緑と朽ちた遺跡が点在する荒野で、メルトシア王国の東――隣国エイフォンとの国境である。訪れたことはないが、隣国との小競り合いが度々起こっていることはフィオナも何度か聞いたことがあった。
「幻竜を手に入れようとして二度も失敗しているので、そろそろ本気で奪いに来るようですよ」
「ルルを奪うためだけに、国境を侵すだと?」
ヴィクトールの声があまりに低く響くので、フィオナはびくんと肩を震わせてしまった。
「あなたの言いたいことは分かりますよ。正直僕も、まさかそこまでするとは思いませんでしたからね。たかが子竜一匹のために戦争を起こすなど、普通の脳味噌じゃ考えも及ばないでしょう」
「だが、そこまでする理由がエイフォンにはあるのだろう?」
「暗黒竜になった幻竜を手元に置いて、他国を牽制したいのかもしれません。その力で、内側から滅ぼされてくれれば言うことないのですが」
「相変わらずお前は容赦ないな」
そう言って苦笑いを浮かべたのはジェイスだ。呆れたように溜息をこぼす彼を見て、セレグレスの方もふっと嘲笑する。
「暗黒化になっても幻竜を手懐けられると思っているところが浅はかなんですよ」
「だから彼女も一緒に狙われてるんだろう? リュールウでは幻竜と一緒に連れ去られようとしたっていうじゃないか」
「そもそも幻竜についての資料も少ないですし、暗黒化した幻竜をフィオナさんが抑えきれるかどうかも分かりませんよ? もしかしたらパクッと食べられてしまうかも……」
「恐ろしいことを口にするな!」
さすがに今度はヴィクトールが声を上げた。フィオナを自身の背に隠すよう立ち位置を変えると、それにめざとく気付いたセレグレスの青い瞳が妖しく光る。
「あぁ、失礼。フィオナさんを食べるのは、あなたの特権でしたね」
「そっ、そういうことを彼女の前で言うんじゃない! ほんっとうにお前は……」
「でもフィオナさん、柔らかくておいしそうですよね。あなたもそう思うでしょう? ジェイス」
「はぁ!? ちょっ……いきなり俺に振るなよ! ほらほらほらほら! 俺が睨まれてるじゃないか!」
「あはは! 本当にあなたは余裕がないですね、ヴィクトール。少し落ち着かないと、――いつか足をすくわれてしまいますよ」
「すくわれる前にエスターシャに乗るから平気だ」
「なら安心ですね」
ひとしきり笑って満足したのか、セレグレスはうっすらと涙の滲む目元を指先で拭きながらヴィクトールへと向き直った。その顔に笑みは変わらずあるものの、ヴィクトールを見つめる青い瞳には剣呑な光が宿っている。
「とはいえ今はそういう状況なので、二人とも充分注意して下さい。それに国境が侵されれば、さすがにあなたにも出撃命令が下るでしょうから、今のうちにたくさん楽しんでおくといいですよ。それでは」
散々からかって、去って行くときはあっという間だ。おまけに不穏な影だけ置いていくものだから、フィオナはたまらずヴィクトールの袖をきゅっと掴んでしまった。
「ヴィクトールさん。国境が危ないって……」
「あぁ、大丈夫だ。君は何も心配しなくていい」
手を握り返してくれるのに、ヴィクトールの表情はどこかぼんやりとしていた。何か考え込んでいるのか、眉間には深い皺が刻まれている。
声をかけるのを躊躇うほどの空気が、ほんの一瞬だけヴィクトールの周りに壁を作っている。その壁を揺らしてこぼれ落ちたのは、あの掴み所のない青年の名前だった。
「……セレグレス……?」
それから二週間後。
エイフォンとの国境に向けて、ヴィクトールに出撃命令が下された。
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