第8話 エスターシャ

 竜騎士である彼らは剣技に加えて飛行訓練も行うので、敷地内は想像以上に広く作られていた。

 広場の奥には、彼らの相棒である飛竜たちが過ごす竜舎がある。とは言っても馬のように一頭ずつ分けられているわけではなく、柵に囲われた竜舎はまるでちょっとした草原のようだ。柔らかい草地の続く広い柵の中に、少なくとも五頭の飛竜が放し飼いにされているのが見える。柵の終わりが見えないので、竜舎は相当広いのだろう。


「凄い! ここだけ草原みたい!」

「竜騎士は元々数が少ないんだが、それでもひとり一頭となるとかなりの広さが必要だからな」

「放し飼いにされてて、飛竜たちは逃げたりしないんですか?」

「竜騎士になるには飛竜との信頼関係が絶対条件だ。逃げられた時点で、竜騎士の素質はない」

「意外と厳しいんですね。でも、団長さんたち皆が『選ばれた者』って呼ばれてる理由がわかった気がします。飛竜との絆があるからこその竜騎士なんですね」

「そうだな。……だが、その呼び名は少々おこがましい気がして慣れないんだ。私たちは竜に選ばれもするが、見限られることもあるからな。そうならないよう、彼らに相応しい人物であるよう心がけてはいるが……あぁ、いた。彼女がエスターシャだ」


 ヴィクトールの視線を追えば、青々と枝葉を広げる木の下に一頭の大きな蒼い竜が寝そべっていた。風に揺れる木漏れ日に、蒼い鱗がきらきらと輝いていてとても美しい。イスタ村から戻る時に乗せてはもらったが、改めて見るとその凜とした佇まいと気品ある姿に見惚れてしまった。


「エスターシャ」


 ヴィクトールが名を呼ぶと、金色の目が開く。けれどわずかに首を上げただけで、エスターシャはふいっと顔を背けてしまった。


「何だ? 昨夜置いていったから怒ってるのか? 悪かったよ」


 ヴィクトールが首の根元を撫でてやると低く喉を鳴らすのだが、エスターシャは一向にこちらを振り向かない。人間みたいに拗ねているようにも見えて、何だか少し可愛らしい。


「拗ねるなよ。今夜は一緒に屋敷へ帰ろう」


 ヴィクトールと言えば真面目な顔か照れている顔くらいしか知らないが、今エスターシャに向けている表情はフィオナから見ても穏やかで愛おしさが溢れ出ている。見ているこちらが変に照れてしまうほどで、たとえるならばまさに恋人に向ける視線のようだ。

 フィオナが感じるくらいだから、その愛情は当然エスターシャにも伝わっていて。ヴィクトールを翻弄して存分に満足したのか、機嫌を直したエスターシャが鼻先を彼の頬にすり寄せて小さく鳴いた。


「エスターシャの言葉が分かるんですか?」

「分かるというか、多分そうなんだろうと勝手に思ってるだけなんだ。本当はまだ怒っているかもしれないが」

「ふふ。でも嬉しそうです」

「だったらありがたい」


 少し離れたところで様子を見てると、ヴィクトールが手を差し伸べてくる。恐る恐る近くに寄るとその姿は壮観で、周囲の空気すら清浄な気に満ちているようだった。

 蒼穹を思わせる鱗は少し透明がかっていて、光の加減でうっすら七色に見えるところもある。翼は子竜とは違いしっかりとした皮膜で、広げると多分フィオナの体をぐるぐる巻きにできるほど大きいのだろう。

 地面に座っているので視線が近い。エスターシャの金色の瞳が探るように向けられたのを感じて、フィオナは見惚れていた意識を慌てて戻し、ぺこりと頭を下げた。


「エスターシャ。昨日君も会ったと思うが、彼女はフィオナだ。これから一緒に屋敷で暮らすことになった。仲良くしてくれ」

「よろしくお願いします」


 顔を上げたフィオナを、金色の瞳がじっと見る。値踏みされているような眼差しに変な緊張感を覚えたところで、エスターシャが先ほどと同様にふいっとフィオナから顔を逸らした。それどころか少し体の位置を変えて、尻尾の方を向けてくる。


「エスターシャ?」


 ヴィクトールが何度読んでも、エスターシャはもうこちらへ顔を向けることはなかった。


「あ、あれ? ごめんなさい。もしかして嫌われてしまったかも……」

「いや、謝ることでもない。元々竜は人にあまり懐かないからな。それに簡単にエスターシャが君に懐いてしまっては、私の立場がなくなるだろう?」


 そうフォローしつつも、ヴィクトールの口元には薄く笑みが浮かんでいる。ここまであからさまに拒否されたフィオナがおかしかったのだろう。フィオナも拒絶されたことに対して悲しい気持ちがないわけではなかったが、エスターシャの気持ちも何となく分かるような気がした。


 自分だけの相棒だったヴィクトールが、いきなり見ず知らずの女を連れて来たのだ。エスターシャにしてみれば、おもしろくないのは当然である。

 気位の高い竜だからこそ、自分が認めた相手には自分だけを見ていて欲しいと思うではないか。それは何となく女性同士の嫉妬にも似ているようで、フィオナは今は少しだけエスターシャをそっとしておくことにした。





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