第3章 そうだ、温泉に行こう!
第23話 昼間っから何を言うつもりだ
「馬鹿なの?」
人払いをした応接室。ソファに対面で座るのはヴィクトールと、副団長のゴルドレインだ。相談があると言われて午後から屋敷を訪れたゴルドレインは、ヴィクトールの話を聞き終えるなり開口一番そう言って溜息をついたところである。
「自分がこういうことに不得手であることは、重々承知している」
「にしてもよ。普通『夫婦らしいことをするには、何をどうしたらいい?』……って、真顔で聞く?」
「こういうことは、お前が得意そうだと思ったんだが」
確かにヴィクトールよりは、その手の話題には詳しい方だ。とはいえゴルドレインでなくとも、ヴィクトールが相手ではほとんどの者が経験値は上だろう。
頼られることは嬉しいし、部下たちよりもいいアドバイスを出来る自信もある。けれど肝心の内容がお子様レベルとは、正直どこから教えたらいいのか分からない。さすがに男女間の営みくらいは知っているだろうが。
「人選について文句を言うつもりはないわ。ただ思った以上にアナタの脳内がお粗末すぎてびっくりしただけよ」
「ひどい言われようだな」
「だってそうじゃない。夫婦らしいこと? そんなのアレに決まってるじゃない」
「アレ?」
「アレはアレよ。子づく……」
「わあぁぁ! 昼間っから何を言うつもりだ!」
慌てて言葉を遮るヴィクトールに、一応の知識はあるようだと安心する。竜騎士になりたての若い時分には、経験のひとつとして一緒に娼館へ行ったこともそういえばあった。彼も男としては、一皮剥けているはずである。
とは言え、そのヴィクトールの脳内で羽を生やした赤子が飛んでいようとは、さすがのゴルドレインも気付かなかったようだ。
「アナタこそ、これくらいで照れないでよ。生娘でもあるまいし」
「うぅむ……。だが、しかし……彼女に手を出すつもりはない。それ以外の手段はないのか?」
「なぁに? アナタ、もしかしてフィオナちゃんにキスもしてないの!?」
「生々しいぞ!」
「ちょっと、照れてる場合じゃないでしょ! 大体アナタが惚れ込んでプロポーズしたんでしょう!? それなのにずっと手を出してないなんて……信じられない」
大げさなくらいに溜息をついて、ゴルドレインがソファーの背もたれにがっくりと体を沈ませた。頭が痛いと仕草で示すように額を押さえ、ゆるゆると首を振る。
呆れてものが言えない。まさにそんな感じだ。当のヴィクトールは、なぜゴルドレインがここまで呆れているのか、その理由がわかっていないのだが。
「そういうことは正式な夫婦になってからだろう」
「ならさっさと式を挙げちゃいなさいよ」
「いまはルルを聖竜化するのが先だ」
「好きな相手に手も出してもらえないなんて……フィオナちゃん、かわいそう。っていうか、アナタこそ惚れた相手と一つ屋根の下で暮らしているのに、よくもまぁ長々と禁欲生活を続けられるもんだわ」
「手は繋いだぞ」
「子供か!」
ばしんっとテーブルを叩くと、上品なカップの中で紅茶が笑いを堪えるように波紋を広げた。
じっと見つめた先、ヴィクトールは真面目な表情でゴルドレインを見つめている。どこか縋るような、ちょっと不安な色も垣間見えている。根が真面目なだけに、これが彼の真剣な悩みであることも、ゴルドレインには分かっていた。分かっていたが、どうしても呆れてしまうのは仕方ない。
幻竜であるルルを聖竜にすること。それが最優先事項であることはゴルドレインにも分かっている。聖竜化に必要な「愛」のために、フィオナに手を出すことを躊躇っていることも。
もちろん愛を注ぐ手段がそれしかないわけではないが、愛し合う二人であればそうすることが一番手っ取り早いし、たくさんの「愛」がルルにも伝わるだろう。それが男の思考に偏っていることは、否定できないが。
「ねぇ、ヴィク。ルルを聖竜にすることが大事なのはアタシにも分かるわ。そのために二人の愛が必要なこともね。でもお互い好き合ってるんなら、自然と愛は満ちてルルに注がれるものじゃないの?」
ヴィクトールにしても、ゴルドレインの言い分は理解しているつもりだ。ただ自分たちは仮初めの夫婦で、ルルが聖竜になるまでの関係だ。いずれは離れてしまうのに、その場だけの関係などフィオナに対して出来るはずもない。それはヴィクトールの信念が許さなかった。
触れ合うことを禁じれば、後に残された愛を与える方法は何か。それを考えてもヴィクトールは何も思いつかないのだ。所詮は自分も男だったのだと、嫌気が差す。
「お前の目から見て、私たちは……その、うまくやれていると思うか?」
「そうねぇー。じれったくてもどかしすぎるけど、アナタがフィオナちゃんを大事に思っているのはイヤになるくらい分かるわよ」
竜になど触れたこともない町娘だ。慎ましく、自分が育てた花を売って生活していたフィオナ。偶然にもルルを孵化させ、彼女の世界は一変したが、だからこそヴィクトールはフィオナの支えになりたいと思った。
小柄な体で頑張るフィオナを見ていると、自分もこのままではいけないと強く思う。たくさんの愛をルルに注いで聖竜に育て、早くフィオナの肩の荷を降ろさせてやりたい。
けれど、自分はフィオナに触れてはいけないのだ。この先、彼女が本当に思う相手と添い遂げられるよう、ヴィクトールはフィオナに触れずに愛を育まなくてはならない。そう思うと、なぜか胸の奥がちくりと痛んだ。
「愛を育むって、素敵なことよ。心も体も愛しい熱で満たされた時の幸福感は、何ものにも代えられないわ。恥ずかしいことでも、ましてや汚らわしいことでもないの。だからさっさと手を出しちゃいなさい」
「いいやダメだ。それだけは私の良心が許さない」
「……面倒くさい男」
すっかり冷めた紅茶を飲み干して、ゴルドレインは組んだ足に肘を立てて頬杖をついた。探るような上目遣い。泣きぼくろのせいで無駄に色っぽい視線が余計な動揺を誘う。
「ねぇ、ヴィク。アナタ、フィオナちゃんのこと……好きなんでしょ?」
好き、と心の中で呟けば、またヴィクトールの胸がキュッと痛んだ。
「今は婚約期間だとしても、アナタがいつまでもそんな調子じゃ、いつかフィオナちゃん愛想尽かすかもよ? あぁ、それとも他の男が言い寄ってくるかもしれないわね。だってあんなに可愛い子だもの。部下たちも毎日フィオナちゃんのことで盛り上がってるわよぅ」
「そうなのか!?」
思った以上にヴィクトールが食いついた。食いつきすぎて、テーブルに膝を打ち付けたようだ。
「幸いにもアタシたちはルルに嫌われてもいないし? フィオナちゃんには触れ放題よね。あぁ、もちろん健全な触れあいよ? 今はまだね」
「彼女は私の婚……約、者だぞ」
「そうね。でも巷では今、婚約破棄とか流行ってるそうよ」
「何だそれは。流行るようなものではないだろう」
「あら、アタシのせいじゃないわよ。でも破棄するしないに関わらず、フィオナちゃんはいま注目の的なんだから……取られないように気をつけなさいよ」
「そうか……彼女は可愛いからな」
「しれっとノロケるの、やめてくれる?」
「そんなつもりでは……見たままを口にしただけだ」
「それがノロケなのよ。まったく……無意識に口を吐いて出るほど好きなくせに、なんで手を出さないのかしら。理解出来ないわ」
真面目なところは長所ではあるが、そのせいで融通が利かないのは考えものである。フィオナを大事にしたいのは分かるが、大事にしすぎて失うことにならなければいいと、ゴルドレインは不器用な友人を心配するのだった。
「あ、そうそう。アナタに預かってきたものがあるんだったわ」
そう言ってゴルドレインがテーブルの上に置いたのは、オニキスに似た黒いコイン状のネックレスだ。表面には人工的ではない溝があり、そこに溶かした金を流し込んだような模様が入っている。
「これは?」
「宮廷魔道士のヘイデン様と
確かに模様の入った殻は、以前国王が見せてくれた隣国の魔石とよく似ている。
覗き込めば吸い込まれそうなほどに深い闇を思わせる、漆黒。けれどその裏側は、光にかざすと七色に輝いて美しい。色は違うが、エスターシャの鱗も光の加減で七色に見える箇所があることをヴィクトールはぼんやりと思い出した。
「効力は一回きりらしいけど、魔力のないフィオナちゃんでも石を握って願えば、瞬時にここへ帰って来られるそうよ」
「ここ? この屋敷にか?」
「そう聞いてるわ。フィオナちゃんの警護のためなら、ここより城の方が安全だとは思うんだけど……。まぁ、フィオナちゃんも慣れた場所の方が、魔法も発動しやすいんでしょうね」
そうゴルドレインは言ったが、ヴィクトールは石に込められたヘイデンの別の意図を読み取った。
転送魔法を使うという状況は、フィオナが危機に瀕した時だ。ならば逃げ込む場所は安全でなくてはならない。フィオナ襲撃が内部の犯行であるという疑念を再確認させられたような気がして、ヴィクトールは忘れかけていた危機感に背筋がひやりと凍るのを感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます