第11話 サディスト野郎がぁぁ

 馬車を用意するというアネッサを必死に止めて、フィオナは城下町の外れにある自宅へ一人で戻ってきていた。アネッサは当然のように一緒に付いて来ようとしたが、フィオナはそれを丁寧に断った。

 時刻はまだ午後二時を少し過ぎた頃。日は高く、城下町のメインストリートも人通りが多く、活気に満ち溢れている時間帯だ。フィオナに何かあってはと心配したアネッサだったが、そもそも昨日までここに住んでいたのだ。勝手ならフィオナの方が知っている。


 フィオナの自宅は両親が残してくれたものだ。小さい一軒家……きっとヴィクトールからみれば小屋のように小さいものだが、両親と暮らした楽しい記憶がこの家にはたくさん詰まっている。

 家の裏には小さな庭があり、そこにはフィオナが植えた数種類の花が咲いている。セラム草の青い花に、白く可憐なリージュの花。黄色い綿毛のような花を咲かせるチェネットはフィオナのお気に入りだ。

 フィオナはここで育てた花を売って、生計を立てていた。どれも素朴な花ばかりだが、フィオナの育てる花は瑞々しくて香りが良いと、それなりに人気はあるほうだ。


 イスタ村へ出かけたのも珍しい花の種を買いに行ったからなのだが、肝心の種は昨日のバタバタでどこかへいってしまい、フィオナは花ではなく子竜を育てることになってしまったのである。


 ティルヴァーン家に世話になる期間はわからないが、少なくともひと月では終わらないだろう。その間フィオナの家は無人となるので、満開に育った花や買い置きしていた果物などの整理に帰宅したのだった。


「遅くなっちゃったな」


 フィオナが家の片付けを終える頃、日は西に傾き始めていた。せっかく湯浴みしたのに、全身汗と埃まみれだ。

 花売りに使う手押し車に着替えの服と残っていた食べ物、そして摘み取った花を乗せると、フィオナは夕暮れに沈み始めた通りを、今度はティルヴァーン家に向かって歩き始めた。

 思った以上に時間がかかってしまい、帰途につく足も自然と早足になってしまう。アネッサは心配しているだろうし、子竜ももう起きているかもしれない。突然住むことになったフィオナの世話だけでも大変なのに、これ以上屋敷の人たちに迷惑はかけられない。そう焦る気持ちのまま勢いよく角を曲がった瞬間、フィオナは手押し車で危うく人を轢きそうになってしまった。


「きゃっ!」


 辛うじて轢くことは避けられたが、花を入れていたバケツが見事にひっくり返り、こぼれた水が男の足を濡らした。


「冷てぇな!」

「ごめんなさいっ!」


 恐る恐る見やれば、明らかにガラの悪そうな男がフィオナを睨み付けている。イライラとした感情が文字で見えそうなほどに不機嫌な顔だ。そこに加えてフィオナが水をかけたものだから、悲しいことにそれが呼び水になって男の怒りが秒で爆発する。


「服がびしょ濡れじゃねぇか! おいおい、この服買ったばかりだぞ? 弁償してくれるんだろうな?」


 男のズボンは色褪せていて、後ろのポケットは破けて穴が開いている。どう見ても新品には見えなかったが、水をかけてしまったフィオナが服のほつれ具合に口を出すことはできない。かといって、男に渡す金もない。あるのは着替えの服と、地面に散らばった花だけだ。


「あの……本当に、ごめんなさい。いまは手持ちがなくて……その、お花くらいしか渡せるものが」

「花ぁ!? ふざけんな! こんなモンが代わりになるかよ!」


 ぐしゃりと、花を踏み潰される。「あ」と声を上げる前に、フィオナは男に片腕を掴まれていた。


「金が払えねぇんなら、体で払ってもらうぜ」


 怒気を撒き散らすだけだった男の顔に、にやりと卑しい笑みが宿る。助けを求めようと周りを見ても人はまばらで、誰もが俯き加減のまま足早に去って行く。他人のいざこざに進んで首を突っ込む者などいるはずもない。


「離して下さいっ。ふ、服なら私のが……」

「女物じゃねぇか!」

「パジャマは少しゆったりしてます!」

「馬鹿にしてんのか!?」


 血が止まるのではないかと思うほど強く手首を掴まれ、フィオナの顔が苦痛に歪む。か弱い女を力でねじ伏せているという状況に、男のいやらしい嗜虐心が芽生えたところで、不意に涼やかな男の声がした。


「あなたはまだこんな馬鹿なことやっているんですか?」

「あぁ? 誰っ……て……げっ! お前、くれないの……!」

「お望みなら、また投獄してさし上げますが……どうします?」


 そう言って爽やかに笑った金髪の青年に、男が怯えたようにフィオナから手を離した。


「冗談っ。あんなとこ二度とゴメンだ!」

「それは残念。ならさっさと消えて下さい。三秒以内に視界から消えないと、あの時やり損ねた刑を執行します。三……二……」


 息継ぎの間もなくカウントダウンされ、男の顔から血の気が失せる。金髪の青年が余程怖いのか、男はそれまでの横柄な態度を一変させ、憐れな子羊のように震えてしまった。


「こ……っの、サディスト野郎がぁぁ」


 ごろつきらしい捨て台詞を残して走り去っていく男が角を曲がる瞬間、金髪の青年が手にしていた剣を軽く振るった。その刃から弾き出された炎の玉は男の服に燃え移ったようで、角を曲がった向こう側では「熱ぃ!」と叫ぶ惨めな声だけが木霊していた。


「これで濡れた服は乾くでしょう。お怪我はありませんか?」


 乾くどころか、服は燃えていたようだが気のせいだろうか。フィオナを助けてくれたことには違いないが、青年の爽やかな笑顔と容赦ない攻撃のギャップは何だか空恐ろしい。背筋に感じるひやりとしたものに気付かないふりをして、フィオナは青年に向かって深くお辞儀をした。




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