第21話 拗ねてるんですか?
ヴィクトールが屋敷に戻ると、ちょうど門のところでフィオナが警備の騎士と話をしているのが見えた。親しげに話す様子にわずかな疑問を覚えたが、騎士が誰だか分かるとその心配も杞憂に終わる。
今日の警備は、セレグレスだ。以前フィオナをごろつきから助けた経緯があるので、律儀な彼女はその時の礼でもしているのだろうと容易に想像がつく。
「あ、団長さん。お帰りなさい」
何てことのない挨拶に、ヴィクトールの胸がほんの少し柔らかくなる。それに対して「ただいま」と答える自分にも、胸の奥がかすかにざわついて仕方がない。気を紛らわせるために視線を逸らせば、いつもフィオナにくっついているルルがいないことに気付いた。
「ルルは?」
「エスターシャとひなたぼっこしてます。その間にクッキーを焼いたので、この間のお礼にと思ってセレグレスさんに……。警備もしてくれてますし」
ヴィクトールが見ると、セレグレスは既に包みを開けてクッキーを頬張っている。心なしか見せつけられているような気がしないでもない。
「そんなに物欲しそうな顔をしなくても、あなたの分もちゃんと用意されてるようですよ」
「そんな顔はしていない」
「どうでしょうね? それはそうと、僕は午後から交代するんですけど……」
最後の一枚を食べ終えると、セレグレスは空になった包みをぐしゃりと握り潰した。
「フィオナさんは、あまり門へ近付かない方がいいと思いますよ」
「え?」
「僕だから良かったと言うつもりはありませんが、どこに誰が潜んでいるか分からないですからね」
奇しくも先ほどの会議の内容を彷彿させるセレグレスの言葉に、注意されたフィオナよりもヴィクトールの方がぎくりと体を震わせてしまう。
会議は終わったばかりだし、内部の犯行を示唆する話はヘイデンの結界内で行われた。セレグレスが話の内容を知る術はないが、聡い者ならその可能性がゼロではないことにも気付くはずだ。
「幻竜を欲しがるのは、何も隣国エイフォンだけではないと言うことです」
そしてその予想通り、セレグレスは感情の読み取れない顔をヴィクトールに向けて、きっぱりとそう言い切ったのだった。
セレグレスと別れて二人が竜舎の方へ向かうと、エスターシャの尻尾で遊んでいたルルがフィオナを見つけてとてとてと駆け寄ってきた。短い足ではなかなか距離が縮まらないのだが、その必死な様子があまりに可愛いので、フィオナはいつもつい足を止めてルルが近付くのを待ってしまう。
今日も立ち止まってその場にしゃがむと、フィオナは両手を広げてルルを呼んだ。応えるように「きゅぃ、きゅー!」と鳴いたルルが、途中何度か転びながら弾むように駆けてくる。その背中に生えた二枚の羽が忙しなくパタパタ羽ばたいたかと思うと、本当に一瞬だけルルの体がふわりと浮いた。
「えっ!?」
「おぉ!?」
二人が驚くと同時にルルはすぐ落ちてしまったが、羽の動きと足の踏み込みがいい具合に重なると、またふよんと地面から体が浮いた。浮いているというよりは、少し長めに跳ねているといった具合で、それはまるで萎れた風船が浮力を失って漂う様子に似ている。
「いま、飛びましたよね?」
「飛んだな」
二人顔を見合わせて、どちらからともなく少し後退する。
「きゅ?」
近付いたはずの距離がまた開き、さすがにこれはおかしいと気付いたルルが一旦立ち止まった。
自分がいる場所に目を落として、ちょっと地面を掘ってみる。土だ。何もおかしいところはない。
周りをぐるりと見回してみる。エスターシャからは随分と離れたが、フィオナの方には近付いていない。変だ。
そんな心の声が聞こえそうなくらい、ルルの仕草はとても人間らしい。フィオナたちに囲まれて過ごしているからだろうか。首を傾げてどうしようか迷ったあとで、再び駆け出したルルの表情はさっきよりも焦っているように見えた。
「きゅぅーん!」
今度こそフィオナの元に辿り着くんだと、そう強く意気込んだのが分かるほどに、ルルの背中の羽がばさりと大きく羽ばたいた。
それは無意識に。あるいは本能で。小刻みに焦って羽ばたくのではなく、羽に
「あ!」
浮いた――と思った次の瞬間にはもう、ルルの体は一気に空へと駆け上がっていった。
「飛んだ! 飛びましたっ! 団長さん、ルルが……ルルが飛んでます!」
「あの成長ぶりだと重くてもう少し時間がかかるかと思ったが……さすがは幻竜か」
「んもう! 何でそんなに冷静に見てるんですか? もっとこう、一緒にわぁーって感動して下さい。それにルルはそんなにおデブじゃないですー!」
「子ども体型……いや、子竜体型としては愛らしいが、もう少し成長したら食事の配分も考えなくてはと思っただけだ」
「ルルはあれくらいが、ちょうど腕にフィットして抱き心地がいいんですよ?」
「私は抱かせてもらえないからな」
「……拗ねてるんですか?」
「拗ねてなどいない」
「……」
「拗ねてなどいない」
「……ふふ」
本当にもう、「可愛い」という表現がぴったりすぎて笑いが止まらない。ルルに抱く母性本能にも似た感情のようだが、少し違う気もする。
ルルを見上げるふりをしてそっと横顔をのぞき見れば、予想に反してヴィクトールの紺色の瞳とバッチリ目が合ってしまった。まさかヴィクトールの方も自分を見ているとは思わず、フィオナは動揺を隠しきれないまま目も逸らせずに固まった。
どちらとも無言で、見つめ合う。何だか端から見ればいい雰囲気だ。じわりと熱を持つフィオナの頬と同じく、ヴィクトールの耳朶も赤く染まっているように見える。
「……えぇと……」
何か言わなくてはと、口を開いたのはヴィクトールの方で。けれど続く言葉が見つからず、再度困ったように二人の視線が絡み合ったかと思うと――。
「ぎゃぅんっ!」
それまで気持ちよく空を飛んでいたルルがついに力尽きたのか、ヴィクトールの頭上めがけてどしん……と落下した。
「ごふっ!」
「だっ、大丈夫ですか!?」
「っとに、お前は狙ってやってるだろうっ!」
珍しく口調を荒げたヴィクトールが、頭に張り付いたルルを問答無用で引き剥がした。当のルルは首根っこを掴まれてしまったので、短い手足ではヴィクトールに届かず、不満の声だけが「ギャゥギャゥ」と響いている。
「少しは空気を読んで二人きりにするとか……か、かぁーぁっふぁ!? で、でででぃやっ、何でもないっ。何でもないぞ!」
言葉を噛みすぎるほど噛んで叫んだヴィクトールが、物凄い速さでフィオナの眼前にルルの腹部を押しやった。
「わふっ!」
「フィオナ! そういえば君は私の分のクッキーもあるとか何とか言っていたな私は今からそれを取りに厨房へ向かおうと思うちょうど小腹も空いたことだしな!」
「え? それなら私が取りに……」
「いいや君はルルと一緒にいてくれ何度か飛んでいればルルもコツをすぐに覚えるだろうからな」
もはや息継ぎもなしで一気に捲し立てると、ヴィクトールはまるで逃げるように足早に屋敷の方へと歩いて……走っていった。
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