番外編

ブランケットに包まれて(41話その後①)

「やっぱり嫉妬されましたね」


 ミントグリーンのドレスをクローゼットにしまいながら、アネッサが申し訳なさそうに呟いた。


 今日の午後、フィオナはアネッサと一緒に街に出たのだが、その時に着たドレスはヴィクトールからプレゼントされたものだった。ずっと恥ずかしくて着られなかったのだが、今日はヴィクトールもイスタ村へ巡回に出ていていなかったので、予行練習も兼ねて初めて袖を通したのだ。


 だが帰宅時間がちょうど重なってしまい、フィオナはエスターシャに乗って降下してきたヴィクトールにかっ攫われてしまった。

 そのあとのことを思い出すと、フィオナの唇はじんとあまく痺れてしまって落ち着かない。


 以前はちょっとしたことですぐに赤くなって、悪いと思いつつもそんなヴィクトールを見て可愛いなと思ったりもしていた。それがいまは恥じらいもなく、思いをぶつけてくる。

 まっすぐすぎる愛のささやきは恥ずかしいことこの上ないのに、それと一緒に胸の奥がふわふわとあたたかくなるから、フィオナも本当のところでは嬉しくて仕方がないのだ。


 ただ時々顔をのぞかせる獣のような激しさに、自分がどこまでついて行けるのかが心配だ。ちょっと深い口付けでさえ、フィオナの胸はすぐにいっぱいになるのに。それ以上を求められたら、正直自分がヴィクトールを満足させられるのか自信がない。


 アネッサが言ったように、ヴィクトールは式を挙げるまでフィオナには手を出さないだろう。それにホッとしている自分がいる反面、ヴィクトールに対して申し訳なく思う自分もいて。

 答えは出ないし、誰かに相談できる内容でもない。本人に聞くのが一番いいのだろうけれど、それはさすがに直球過ぎるのではないだろうか。

 ――と、そこまで考えてフィオナは思い出した。リュールウの温泉で、ヴィクトールが聞いてきたことを。


『君は私に触れられることを、どう思っている?』


 わからないなら聞けばいい。

 一線を越えたいのかそうじゃないのか、自分の気持ちはまだはっきりしないが、そのことについてヴィクトールが思い悩んでいるなら二人で解決策を見つけたいと思った。



 ***



 夕食後、少ししてからフィオナはヴィクトールの部屋を訪れた。腕に抱いているのは、今日買ったヴィクトールへのプレゼントだ。大きめのブランケットはシックな深緑色の袋に入れて、綺麗にラッピングがされている。


「ヴィクトールさん。いま、いいですか?」


 控えめにノックすると、扉はすぐに開かれた。


「こんな時間にどうした? 何かあったのか?」

「そういうわけじゃないんですけど、……渡したいものがあって」


 そう告げると、なぜかヴィクトールは少しだけ困ったように視線をさまよわせる。迷惑だっただろうかと怖じ気づく前に扉は更に開かれ、フィオナはヴィクトールに促されるままソファーの上に腰を下ろした。


「もしかして、お仕事中でした?」

「いや、構わない」


 机の上には書きかけの書類が置いてある。今日の巡回の報告書なのかもしれない。


「ごめんなさい。これを渡したかっただけなので、すぐに戻りますね」


 持ってきた包みをぐいっとヴィクトールの胸に押し付けると手首ごと掴まれて、腰を浮かしかけていたフィオナの体が再度ソファーに沈み込んだ。


「そんなに慌てて戻らなくてもいいだろう。せっかく来てくれたんだ。もう少し君の顔を見ていたい」

「今日はもう、いっぱい見たじゃないですか……」

「困ったことに、君に関しては飽きることがないらしくてな」


 そうやって自然と惚気てくるから、フィオナはまた言葉を失ってしまう。じわりと紅潮していく頬を見られたくなくて俯けば、頭上でふっと笑う声がこぼれた。


「それで……これは、私に?」

「あ、はい。素敵なドレスと宝石を頂いたので、そのお礼に……。たいしたものじゃないんですけど」

「私が君を着飾りたかっただけだから、そんなに気にしなくてもよかったのだが。……でも、ありがとう。君のその気持ちが嬉しい」


 包みを開いてブランケットを取り出したヴィクトールを見ていると、もう少し違うものを選べばよかったかなと不安が胸に押し寄せてくる。精一杯気持ちを込めて選んだつもりだが、今まで貰ったものに対してあまりにも貧相なお返しだ。これでは贈らない方がまだマシだったのではないかと、そう後悔が顔をもたげたところで――ふわり、とフィオナの体を柔らかい感触が包み込んだ。


「ありがとう、フィオナ」


 お互いの背中を覆うようにブランケットを掛けて、ヴィクトールが幸せそうに笑っている。その微笑みを見た瞬間、フィオナの不安があっという間に霧散した。体を包むブランケットのように、ほんのりと心までもがあたたかい。


「手触りも滑らかで気持ちがいいな。まるでルルのお腹を触っているようだ」

「私もそう思ったんです! すごく気持ちいいですよね。これから寒くなるので、これで体を冷やさないようにしてもらえたらと思って。大きめだから、ヴィクトールさんの体もすっぽり覆えますし」

「そうだな。それに……」


 くい、と腰を引かれ、体が更に密着する。驚いて顔を上げると、額にやわらかな唇がそっと落とされて。


「こうしていると、もっとあたたかい」


 逃げる間もなく、きゅっと体を抱き寄せられた。


「ヴィクトールさん!?」

「どうした?」

「あああ、あのっ! そう、お仕事! 途中だったんでしょう? 邪魔しちゃってすみません」

「今は休憩中だ」

「だったら少し横になってはどうですか? 私も戻りますから」

「……それはいい案だな」

「でしょう? だから離し……きゃっ!」


 視界がくるりと反転して、気付けばぽふんとソファーの上に仰向けに倒されていた。驚いて見開いた瞳いっぱいに、艶っぽく笑うヴィクトールの顔が映り込む。綺麗な顔に、ほんのりと見え隠れする男の色を見つけた瞬間、フィオナの胸がどくんと騒がしく脈打ち始めた。


「……っ、ヴィクトール、……さん?」


 ゆっくりと近付く唇にキスされるのかと思って目を瞑れば、予想に反してヴィクトールはフィオナの体をきつく抱きしめるだけに留まった。顔を埋められた首筋に、ヴィクトールの湿った吐息が直接触れてぞくりとする。

 体を抱きしめる腕はかすかな痛みを覚えるほどに強く、耳朶をくすぐる吐息は何かをこらえるように切なく響く。


「私は、何か……試されているんだろうか」

「え?」

「君が無防備すぎて……正直、どこまで自分が保てるのか自信がない」


 かすかに耳朶に触れた唇が、そっと首筋を滑り落ちる。はじめての感覚に震えた体を押さえるように、フィオナがヴィクトールのシャツをぎゅっと掴んだ。けれど声は抑えることができなくて。赤く色付く唇からかすかに声が漏れ出ると、のし掛かっていたヴィクトールの体がぎくんと大きく震えた。


「……っ、すまない!」


 弾かれたように、ヴィクトールがフィオナの上から飛び起きた。そのままソファーの端っこに座り直したかと思うと、両手で顔を覆い隠して項垂れる。


「危うく、君を傷付けるところだった」


 そう謝罪したヴィクトールを見ていると、フィオナの胸によくわからない悲しみに似た感情が滲み出てきて――。フィオナはたまらず、ヴィクトールの腕にしがみ付いてしまった。


「傷付ける、なんて……言わないで下さい」

「フィオナ?」

「ヴィクトールさんは、私のこと絶対に傷つけませんっ」

「あぁ、いや……だが、男のさがというものは時として危険なものであってだな……。私もこうして我を忘れることがあるからして、そうなるともう分かっていても自分を止められないというか……いや、私は君に何を話しているんだ?」

「ヴィクトールさん。……我慢するの、つらくないですか?」


 直球過ぎる言葉に、さすがのヴィクトールも盛大にせてしまった。さっきまで部屋に漂っていた甘い雰囲気も一緒に吹き飛ばしてしまう。


「ぶはっ! き、君は何っ、な、なん……っ」

「私、ヴィクトールさんとそう、いう……ことは……怖いだけで、いやじゃないですから、ね? だからその……ヴィクトールさんがつらいなら……苦しんでるヴィクトールさんを助け、たい、ですし」

「待て待て! ちょっと待ってくれ! いいやダメだ。私のために身を売ってはいけない! あぁ、いや身売りではないが……何だ、その……私のせいで君が無理をする必要はないと、そう言いたかったんだ」

「でも……」

「私なら大丈夫だ。正式な夫婦になるまで待てる。待ってみせる!」

「……本当に、体は平気ですか?」

「君以外の女を抱く気はないから安心してくれ」

「そっ、それはどうもっ!」


 話しているだけなのに、まるで全力疾走したあとのように疲れてしまった。二人ともぐったりとソファーの背もたれに体を預け、どちらからともなく笑い出す。床に落ちてしまっていたブランケットを拾い上げてお互いの体に掛け直すと、ヴィクトールはフィオナの方へそっと体を寄せて肩を抱いた。


「心配をかけてしまってすまないな」

「……余計な心配でした。ごめんなさい」

「いいや、その気持ちをありがたいと思う」

「でも……私もちょっと反省してます。本当はまだそんな勇気ないのに……ヴィクトールさんは手を出さないって、心のどこかで思ってたんです」

「それは……そう、だな。反省してもらわないと」

「ごめ……ふぁっ?」


 謝罪は少し強めのキスに溶ける。啄んだ下唇をほんの少しだけ食まれて、引っ張られて、あまい吐息がフィオナの唇からこぼれ落ちた。


「んっ、……ふ、ぁ」

「謝罪はこれがいい」

「……ぁ」

「君を抱くのを我慢する代わりに、私のしたい時にキスをさせてくれ」

「えっ! それはちょっ……ぁっ」


 反論もまたキスで押し込められる。

 いつもよりも深いくちづけに、フィオナは自分の選択をほんの少しだけ後悔した。

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