第27話 刺激が強すぎます

 朝、目覚めるとヴィクトールはどこにもいなかった。

 てっきりリビングのソファに寝ているのかと思ったが、洗面所にもベランダにも風呂にもいない。慌てて離れを飛び出すと、木立の間を縫って伸びる石畳の向こうからブロンドの美女が歩いてくるのが見えた。


「あれ? エルミーナさん?」

「おはよう、フィオナ。昨夜はよく眠れたか?」

「ちょっと飲み過ぎちゃって……。って言うか、どうしてエルミーナさんがここにいるんですか?」

「ある男に煩くつきまとわれてな。男に興味はないが、ここの温泉には一度来てみたかったから誘いに乗ってやったんだ」


 確かにエルミーナほどの美女ならば、男たちの誘いも多いことだろう。それでもいまこの温泉宿はフィオナたち竜騎士団の貸し切りだったはずだ。もしかして竜騎士団の誰かと、いい仲だったりするのだろうか。


「少し奥の方に秘湯があると聞いてな。一緒に朝風呂でも行かないかと誘いに来たんだが、どうだ?」

「でも団長さんがどこにもいなくて……」

「ゴルドレインと何やら話していたようだぞ? どうした? 昨夜はヤツに手を出されたか?」


 みるみるうちに真っ赤になるフィオナを見て、エルミーナが満足げにニヤリと笑った。


「あぁ、それでか。夜通し警護していたと漏れ聞こえたんだが……そういうことか」

「警護って……」


 もしかして昨夜あの後、ヴィクトールはずっと離れの外でフィオナを警護していたのだろうか。フィオナがぬくぬくと眠っている間、ヴィクトールはずっと外にいたのかと思うと何だか申し訳ない気持ちになってくる。

 せめてリビングにでもいてくれたら良かったのにと思う反面、あんなことをした後に同じ空間にいることは彼の性格からしてあり得ないことも分かってしまう。


 けれど、嫌じゃなかった。この思いはきちんと伝えなくてはいけないような気がする。


「アイツにも後から来るように言ってあるから、私たちは先に行こう。その間に色々とお前の話を聞いてやってもいいぞ?」


 ヴィクトールに会いたい気持ちが急いてはいたが、会ってまともに話せるとも思えなかった。それなら秘湯へ行く道すがら、何だかんだで経験の豊富そうなエルミーナに話を聞いて貰うのも悪くない。

 昨夜のあまく、ほんの少し激しい記憶を呼び起こしながら、フィオナはエルミーナと一緒に山の奥にある秘湯へと向かっていった。



 山の中とはいっても、秘湯へ続く道だ。歩きやすいように整備されている。

 早朝の静かな山は空気が澄んでいて、少し肌寒いくらいだ。ルルを腕に抱くことで暖を取りながら、フィオナは隣を歩くエルミーナをちらりと盗み見た。


 フィオナには気付かないが、二人を警護するくれないの騎士が後ろに控えているという。竜騎士ではなく警護にくれないの騎士団がついていることに、フィオナは驚いてしまったが、そういえばゴルドレインも後からくれないと王様が来ると言っていたような気がする。ならばくれないの騎士団に警護されているエルミーナの相手とは……。


「あの、エルミーナさん。……こんなこと聞くの、失礼かもしれないんですけど」

「あのガサツな王様だ」

「え?」

「私が誰に誘われてきたのか、気になって仕方がない顔をしている」

「それはだって……エルミーナさんほどの女性を口説き落とすなんて一体……って、待って待って! 待って下さいっ、今なんて!?」


 くれないの騎士団に警護されているくらいだから王族関係だとは思っていたが、まさかエルミーナの相手があの王様だったとは。いや、でもエルミーナはさっき「王様には興味がない」とバッサリ言い切っていたはずだ。とすれば、熱を上げているのは王様の方か。


「前々から誘われることはあったがな。最近になって鬱陶しいほど絡んで来て、正直面倒臭い。多分お前たちを見て、熱に浮かされたんだろうよ」

「私たちって……いや、それどころじゃなくてっ! えぇ!? あの王様が、エルミーナさんに……すごい」

「何がすごいか分からんが……まぁ、体力だけはあるからな。夜の方はそれなりにすごいかもしれん」

「ちょっ……と……エルミーナさんっ! ダメですっ、刺激が強すぎますっ!」


 朝っぱらから刺激の強い内容に、フィオナは思わず周囲を見回してしまった。警備についているというくれないの騎士は見える範囲にはいないようで、会話を聞かれずに済んだことに内心ホッと胸を撫で下ろす。そんなフィオナの様子が余程おもしろかったのか、エルミーナが声を上げてからりと笑った。


「これくらいで照れるとは……お前は本当にウブだな。その調子ではアイツの押さえ込んできた欲求を受け止め切れんぞ」

「押さえ込んできた欲……」


 確かに思い返せば、昨夜のキスは余裕がなかった。いつものヴィクトールからは想像もつかないほど荒々しくて、息苦しさに逃げようとするフィオナを強引に引き戻して押さえ込む。力では敵わない、男の強さを感じた。

 でも怖いとは思わなかったし、フィオナの方も彼から与えられる刺激をすべて取りこぼさないように必死についていった。酒に酔っていたせいもあるだろうが、フィオナは望んでヴィクトールの熱を受け止めたのだ。


「ほう? その様子だと既に一線は越えたようだな」

「越えてません!」

「何だ、つまらん」

「もう! エルミーナさんも、私たちで遊ばないで下さい。昨日も皆さんが団長さんのことからかってましたけど……団長さんはとっても優しいですよ。私にはもったいないくらいです」

「朝から惚気話を聞くことになるとは……。だが、そういうことはアイツに直接言ってやるといい。男は言葉にしないと分からないところがあるからな」


 エルミーナの言葉を聞けば、フィオナの中にさっき感じた焦りがよみがえる。昨夜のことについて、ヴィクトールとちゃんと話さなくてはいけない。嫌じゃなかったのだと伝えることは、やっぱり大事なことなのだとフィオナは心に強く受け止めるのだった。



 小さな石段を上がった先に、木製の門が見えた。ヴィクトールの屋敷にあるような門扉ではなく、見たことのない形状のものだ。小さな屋根がついていて、その下には格子状の大きな柵が取り付けられている。扉のように押したり引いたりして開けるようなドアノブが付いておらず、どうやって開けるのかと不思議に思っていると、脇に控えていたくれないの騎士が真横にすっと滑らせて開けてくれた。


「風呂から上がったら、私を待たずに帰っていいぞ」

「え? エルミーナさんは一緒に入らないんですか?」

「私はもうひとつ上の方に行く。礼のひとつでもしておかんと、後がうるさい」

「礼って……えぇっ!?」

「じゃぁな。ゆっくり温まるんだぞ」


 意味深な笑みを残して、エルミーナは更に石段を上がっていく。その先を見上げれば、緑の隙間から温泉の湯気が立ち上っている。その視界にチラッと紛れ込んだ剃髪頭にドキリとして、フィオナは慌てて視線を逸らした。


「おはようございます、フィオナさん」


 突然名前を呼ばれ、フィオナの肩がびくりと震えた。振り返ると門の両脇に控えているくれないの騎士のひとりが薄笑いを浮かべている。

 さらりとした金髪の青年には見覚えがあった。


「セレグレスさん! おはようございます。セレグレスさんも、こちらに来てたんですね」

「昨夜遅くですがね。うちの王様が医術師殿とどうしても温泉に行くんだーって駄々をこねまして」

「あ、あのっ、そういうことは……」


 離れているとはいえ、上にはその国王本人がいるのだ。けれどもセレグレスの物言いに焦るのはフィオナだけで、当の本人はしれっとした態度で笑みを絶やさない。もうひとりの騎士も呆れているのか、それともこれが日常茶飯事なのか、セレグレスに声をかけることもしなかった。


「大丈夫ですよ。今はもう医術師殿しか見えてないでしょうし。あぁ、フィオナさんも今後の勉強のために上へ行きますか?」

「えぇっ!? 何でそうなるんですか! お、お二人の邪魔は……いけません」

「ちっ。……残念ですね。大熊と毒蛇に挟まれた哀れなうさぎを見てみたかったんですが」

「……いま舌打ちしましたよね?」

「いいえ?」

「もう! セレグレスさん、怖いですっ。ここから先には絶対入ってこないで下さいよ! 絶対ですからねっ」


 木製の門を通り抜けて、フィオナが格子状の柵を戻した。境界線を強調するつもりで閉じた門だったが、どうやらセレグレスの興味をわずかに引いたらしい。柵越しにフィオナを見つめる瞳が、ほんの少しだけ意地悪に細められる。


「まるで牢屋みたいですね。むさ苦しい男ばかりが収監されている檻に、一人放り込まれる無力なうさぎ……。フィオナさん、ちょっと怯えた表情見せて貰ってもいいですか?」

「い・や・で・す!」

「それは残念」


 わざとらしく肩を竦めるセレグレスには、もう何を言っても無駄のようだ。口では敵わないし彼を楽しませるだけだと学習したフィオナは、最後にひと睨みしてから奥の温泉へと逃げるように走って行った。




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