第24話 結婚する気はあるのよね?

 王都リグレスの南にあるリュールウは、温泉街として有名な観光地である。基本的な効能は疲労回復なのだが、そこに魔法具を使って様々な効果を付け加えているのは国王ティーガスの発案だ。

 傷の治りを早くする治癒効果や、女性が喜ぶ美肌の湯はもちろんのこと、変わり種としては毛が生える湯やら男の威厳を保つ湯なんてのもある。

 リュールウの街から少し離れた山の中には隠れ家的な温泉宿があり、緑に囲まれたこの場所は実を言えば国王ティーガスの別荘地でもあった。普段はちょっと高級な宿として宿泊客も受け入れているが、ティーガスが訪れる時だけは貸し切りとなる。


 静かで落ち着いた、自然豊かな温泉宿。一生かかっても訪れることはないだろうと思っていた場所に、フィオナは今日ヴィクトールたち竜騎士団と一緒に足を踏み入れていた。


「わぁ! 凄い……!」


 山の中にあるその宿は、リグレスでは見たこともない作りをしていた。どこか遠い外国にある実際の温泉宿を再現しているらしい。

 まるで植物でできたような建物は自然に溶け込んでいて、一瞬どこが入口か迷うほどだ。それでも入口らしき場所を縁取るようにして白い花が咲いており、それは奥へ続く空洞の先まで伸びていた。

 天井から垂れ下がる白い花は、太い蔓でできた空洞の中をほのかな灯りで照らしている。自ら発光する花なのだろうか。飛ぶことに慣れたルルが、物珍しそうに白い花の間を器用に通り過ぎていく。その様子を見上げていたフィオナの首には、先日送った転送魔法を刻んだネックレスがつけられていた。


「今回は王様の粋な計らいで、特別に貸し切りなのよ。一泊だけど、思う存分羽を休めましょうね」


 ゴルドレインがルルに手を差し出すと、呼ばれたと感じたルルが戻ってくる。隣にはヴィクトールもいるのに、これではまるでゴルドレインの方が父親役のようだ。いや、外見は女なので姉という立ち位置だろうか。どちらにしてもヴィクトールにとってはあまりおもしろくない。


「例の件があってから、フィオナちゃんずっと屋敷に篭もりっぱなしでしょ? 当然警護はつくけれど、泊まる部屋はちゃんと離れになってるからそこは安心してね」


 何ための安心か、言葉に込められた意味を知ってヴィクトールがぎょっと目を剥いた。視線のかち合ったゴルドレインが、したり顔で微笑んでいる。フィオナといえば特に焦った様子もなく礼を口にしているので、ゴルドレインの裏の企みに気付いていないのだろう。


「もしかしてレインさんたちが一緒に来てくれたのって、警護のためだったんですか? わたし一緒にお出かけできるって、何も考えずに楽しんでしまって……ごめんなさい」

「いいのよ! 警護ついでにアタシたちも楽しむつもりでいるんだから。それに後から王様とセットでくれないも来るから、警備はそっちに任せるわ」


 今回のぷち旅行は、ゴルドレインが計画したものだと聞く。屋敷から出ることがほとんどないフィオナの身を案じて、国王ティーガスに直訴してくれたのだという。

 外に出れば襲われる心配のあるフィオナに警備は外せない。けれども一般人のフィオナに多くの警護がついていれば、逆に余計な人目を引いてしまう。護衛付きで出かけることが出来る場所を考えて、候補に挙がったのがこの温泉宿と言うわけだ。

 後から国王が訪れればくれないや蒼がこの場にいても不自然ではないし、何よりティーガス自身も久しぶりに温泉に浸かりたい気分でもあったらしい。ゴルドレインの提案は二つ返事で承諾されたのだった。


 そこに「二人の愛をより深められるかもしれない」という、二人の目論見があることをヴィクトールは知らない。だからフィオナと同じ部屋であるということを聞いて、やっと今回の旅の目的を知ったのだった。


「待て待て。フィオナが温泉を楽しむのはいいが、部屋は……ふがっ」


 早速文句を言い出したヴィクトールの顔面に、ゴルドレインがルルの腹部を押し付けて発言権を奪う。爪を立てられる前にサッと引き戻されたが、嫌そうなルルの顔はバッチリと見えてしまった。何だかここまで嫌われると、地味に心が痛い。


「恥ずかしいのは分かるけど、アナタたち夫婦なんでしょ?」

「今は婚約者だ」

「細かいことはどっちでもいいのよ」


 はぁっと溜息をついたゴルドレインが、意図的に歩く速度を落とした。並んで歩いていたヴィクトールもゴルドレインに続けば、フィオナとの距離が自然と遠ざかる。そばを離れることに若干の不安を覚えたが、部下たちもいるので大丈夫だろう。それでも、視線はフィオナから絶対に外すことはしない。


「アナタ、結婚する気はあるのよね?」

「ど、どうした? 突然……」

「あるの? ないの?」


 完結に答えだけを求めるように、ゴルドレインが目を細めてヴィクトールをジトリと睨み付ける。


「う……ぅむ、それは……あるに決まってるだろう」

「あるのに、触れないの?」

「それは以前話した通りだが……」

「えぇ、聞いたわよ」


 真面目なヴィクトールは、フィオナと式を挙げるまで手を出さないと己に不憫な誓いを立てている。その根っこの理由――仮初めの夫婦だから手が出せない、ということをゴルドレインは知らない。

 だから今回のように少しだけ強引な方法で二人をくっつけようとしているのだが、そうでなくてもヴィクトールにはこの旅行でせめてキスの壁くらいは越えて欲しいと思っていた。ヴィクトールのためではなく、それは同じ……かもしれない女心を持つフィオナのために。


「でもね、ヴィク。事あるごとに拒否されてるフィオナちゃんの気持ちは、考えたことある?」

「彼女の?」

「そうよ。妻にと望まれて来たはずなのに、未だ一度も手を出されない女心……アナタ、分からないでしょう? みんなの前で部屋は別がいいとか、そんなこと言われた方は……惨めよ」


 言われて、はっとする。

 フィオナの世間体を考えて手を出さないことを決めたはずだったのに、二人の関係が偽物であることを知らない者から見れば、それは逆にフィオナを貶めることになっていたとは想像もつかなかった。

 知らずとフィオナを傷付けていたかもしれないと思うと、ヴィクトールはゴルドレインの言葉に反論のひとつもできずに俯いてしまう。


「……そんなつもりでは……」

「それは分かってるわよ。でも一度、フィオナちゃんとよく話し合うのもいいかもしれないわよ」


 ルルを聖竜にするための、仮初めの夫婦。たくさんの愛を注ぐことを前提とした関係だが、フィオナだって好きでもない相手に手を出されるのは嫌だろう。……と決めつけていたのだが、もしかして違うのだろうか。

 確かに一緒に過ごす時間は穏やかで楽しく、陽だまりのように笑うフィオナからは嫌悪感のかけらさえ感じられない。少なくとも嫌われてはいないはずだが、関係を進めるかどうかは別の話だ。

 ゴルドレインの言うように、一度フィオナとは許容範囲の線引きをきちんと話し合うべきなのかもしれない。


 ……と、そこまで考えて、ヴィクトールはふと足を止めた。ずっと気付かないようにしていた心の奥を、のぞいてしまった気がする。


 ――もしもフィオナが許せば……私は彼女に、触れるのか?


 前を歩くフィオナの後ろ姿。団員たちと楽しそうに話すその横顔を見ていると、意味も分からず胸の奥がぞわりと疼く。欲望の熱を持つその疼きがなんなのか、ヴィクトールは考えなくても分かってしまった。


 ふと視線を感じれば、ゴルドレインの腕に抱かれたルルがこちらを見ていた。心の奥を見透かすような蒼い瞳は少し細められているようで、本当に人間かと思うほどわかりやすい表情をしている。

 言葉はもちろん通じない。けれど物言わぬ蒼い瞳が、「ようやく認めたのか」と告げているようで、ヴィクトールは少しだけ居心地の悪いルルの視線から逃れるように目を逸らした。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る