第2章 夫婦の愛はゆっくりと

第13話 あーん、して下さい

 フィオナがヴィクトールの屋敷に住むようになってから、早くも二週間が過ぎていた。子竜の世話といっても遊んでやることくらいしかやることがなかったフィオナは、ヴィクトールに頼み込んで使用人たちと一緒に彼らの仕事を手伝うことにしたのである。

 フィオナが主に任されたのは花の世話だ。花屋を営んでいたと言ったら、ヴィクトールが庭にフィオナ専用の花壇を作ってくれたのだ。庭師と共に他の花壇の世話もしつつ、空いた時間には竜舎の掃除の手伝いをする。蒼竜のエスターシャにはまだ嫌われていたが、あれ以来砂をかけられることはなくなった。


「フィオナ? そんなに重いものまで持ってるのか?」


 蒼竜のお昼ご飯を運んでいると、ちょうど城から帰ってきたヴィクトールが大股で歩いてくるところだった。


「これくらい平気ですよ。水を張ったバケツを持つのと同じくらいです」


 フィオナが手にしたバケツには、水ではなく大きな肉の塊がごろごろと入れられている。何の肉かは分からないが、霜降りで柔らかそうな肉だ。


「ガーフィルはどうした?」

「ちょっと用があるみたいだったので、お昼ご飯の準備は私が代わりました。エスターシャと仲良くなるチャンスですし、この子も一緒にご飯食べたいみたいだったので」

「きゃぅ!」


 フィオナの頭にべったりとくっついた子竜が、まるで返事でもするように鳴いた。

 一週間も経つと力も随分とついたようで、爪を引っかける場所のない頭上でも転がり落ちることなく上手に乗っている。いい肉を食べさせてもらっていることもあり、体も一回り大きくなったようだ。


「団長さんは、お仕事もう終わりですか?」

「剣の稽古でもつけてやろうと思ったのだが……皆が、君を……その、ひとりにするなと言うものだから」

「そっ、そうですか」


 ヴィクトールは国王から、子竜の世話を最優先にするようにと言われている。そのため普段よりも屋敷にいることが多くなったが、一日に一度は必ず城の訓練場に顔を出して、見回りや稽古など通常の任務をある程度終わらせてから帰宅するようにしていた。

 それでも大体昼過ぎには屋敷に戻るので、部下たちから早くも愛妻家の称号を得たらしい。先日アネッサがはしゃぎながら教えてくれたことを思い出して、フィオナは少しだけ心が浮つくのを感じた。


「せっかくなので、団長さんも一緒にお昼にしますか? 天気もいいですし、エスターシャやこの子と一緒に、外で食べるのも気持ちいいかもしれませんね」

「ん? そうだな」

「昼食用に皆でサンドウィッチ作ったので、ちょっと持ってきますね! すみませんが、エスターシャのご飯お願いしても大丈夫ですか? すぐ戻りますから」

「あぁ、構わない。急がなくていいから、転んで怪我しないようにな」

「子供じゃないんですから大丈夫です!」


 ぷうっと少しだけ頬を膨らませたフィオナが可愛くて、ヴィクトールの口元が自然と緩む。屋敷へ走って行く後ろ姿を見ているうちに自分が微笑んでいることに気付いてしまい、ヴィクトールは慌てて口元を片手で隠すと、急ぎ足で竜舎の方へと歩いて行った。



 竜舎の前には大きな木が立っており、フィオナたちはその下に広げたシートの上で昼食をとることにした。準備を手伝ってくれたアネッサは仕事があると屋敷に戻ったが、それがただの気遣いであることをフィオナは知らない。今も屋敷の窓から様子を窺う温かい視線が注がれているのだが、それに気付いたのはエスターシャだけだった。


「外で食べると、どうしてこんなにおいしく感じるんでしょうね!」


 フィオナはいつ見てもおいしそうに食事する。小柄なわりにはよく食べる方で、見ているこちらも気持ちがいいくらいだ。

 同じように子竜も大きな肉の塊に齧り付いているのだが、うまく噛み切れないのか、地面をごろごろと転がりながら肉と格闘している。その横ではエスターシャが小さく噛み切った肉を与えているので、二匹の関係は良好そうだ。


「やはり竜同士は気が合うのだろうな」

「そうですね。……あ、そうだ! 団長さん。一般的に竜が成獣になるのにはどれくらいの時間が必要なんですか?」

「だいたい五、六年ほどかかるな。それでも竜にしては若い方になる。だが幻竜は珍しい竜だから、もしかすると他の竜と生態が違うかもしれない。私たちが幻竜について知ることができるのは、残された古い文献だけだからな」

「記録に残されていることも、すべてが正確ではないんですね」

「そういうこともあり得る、という話だ」


 幻竜について確かなことは誰も知らない。もしかしたら属性が決まることや、その方法ですら間違って伝わっているかもしれない。とはいえそれを確かめる術もないので、フィオナは教えられた通りに子竜に愛を注ぐしか出来ることはないのだ。


「団長さん」

「どうした?」

「あーん、して下さい」

「ぶっ!!」


 何も構えていないところに隕石のような爆弾を落とされ、ヴィクトールが盛大に吹き出した。フィオナと言えば、手にしたサンドウィッチをヴィクトールの口元へ寄せた状態で止まっている。顔は笑っているが頬が若干赤い。それでもヴィクトールの赤さに比べると、霞んでしまうくらいに薄く色付く程度だ。


「なっ、……どっどど、どうし……っ、どうしたっ!?」

「せっかく二人でいるので、夫婦らしいことをしようかと思って。私たちが仲良くすれば、子竜も早く聖竜へ傾くとヘイデン様もおっしゃてましたし」

「そっ、それはそうだが……。君はいつも突然すぎる。それに君は……その、私とこういうことをするのに、躊躇いはないのか?」

「恥ずかしいとは思いますけど……私がここに住まわせてもらっている条件だと思えば。皆さんにも良くして頂いてますし、少しは恩返ししないと」

「……条件」


 何だかその言葉が思った以上にヴィクトールの胸に深く突き刺さった。

 フィオナが屋敷にいるのは子竜の世話をするためで、その一環としてヴィクトールと仮初めの夫婦を演じることになったからだ。王命でもある子竜の世話を頑張ってやり遂げようとするフィオナの意気込みは分かるのだが、何だかよく分からない感情がヴィクトールの胸を小さく揺らして落ち着かない。その間にもフィオナがぐいぐいとサンドウィッチを食べさせようとしてくるので、ヴィクトールは思わず反射的にその手を掴んでしまった。


「えっ?」


 あまりに強い力に掴まれ、今度はフィオナの方が戸惑ってしまう。条件反射で逃げようとした体は勢いがつきすぎて、バランスを崩したフィオナの体が後ろに大きく傾いた。


「きゃっ」

「危ない!」


 背中から倒れ込んだ衝撃に目を開くと、フィオナの視界いっぱいにダークブラウンの髪が覆い被さっていた。

 頭を打たないように回された腕のせいで、距離がとんでもなく近い。額にかかるヴィクトールの髪はおろか、彼の熱い吐息までもがフィオナの頬をいたずらに掠めていく。

 キスよりも数倍恥ずかしい距離感に、ヴィクトールが「おぁっ」と潰れた声を上げて上半身を勢いよく引き剥がした。


「すすすすまないっ!」


 フィオナの横に両腕をついて上体を起こしたヴィクトールだったが、それでも端から見ればまだしっかりと押し倒した状態である。二人とも動揺しすぎて体が硬直してしまい、恥ずかしいのに動けないという奇妙な状況に陥ってしまった。


「いや違う、他意はない。君が怪我をしないよう……」


 そう弁明しながら慌てて身を退こうとしたヴィクトールめがけて、白い何かが猛スピードで突進してきた。かと思うと、その勢いのまま彼の顔面にべしんっと衝突する。


「ぶふっ!」

「シャーッ!」


 柔らかい腹部をぎゅうぎゅうに押し付けた子竜が、何の躊躇いもなくヴィクトールの後頭部に爪を立てる。それだけでは収まらないのか、小さな牙まで剥き出しにしてヴィクトールの頭頂部に噛み付いたのだった。


「痛っ! ちょっ……待っ」

「グルルゥゥッ! ギャゥッ、ギャーッ!」


 後頭部に鈍い痛み。顔面は子竜の腹部で圧迫され、軽い窒息状態だ。二人で何とか子竜を引き剥がせば、ぼろぼろに傷付いたヴィクトールの額からはうっすらと血が垂れ落ちてきた。


「団長さん、怪我を……っ」

「……問題ない。甘噛みだ」

「流血してますっ!」







 

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