第10話 家に戻りたいんです
全身砂まみれになってしまったフィオナは一旦屋敷に戻り、今は少し早い入浴中である。ヴィクトールは屋敷の者にフィオナを預け、また城の訓練場へと戻っていった。騎士団長の彼は仕事も多いだろうし、それに訓練場にはまだエスターシャを残してきている。さすがに今日も置いてけぼりを食らえば、エスターシャの機嫌は更に悪くなるだろう。
「嫉妬……されてるんだろうな」
ひどく人間らしいエスターシャに驚きはしたが、それ以上に嫉妬を向けられていることにほのかな優越感を抱いてしまった自分がフィオナには信じられなかった。
ヴィクトールがあまりに優しく丁寧に接してくれるので、たった一日でその立場に思い上がっていたようだ。
彼がフィオナに優しくしてくれるのは子竜のためであり、それ以上は何もない。再度その事実を胸に刻み、フィオナは芽吹こうとしていた
「フィオナ様。アイスティーをお持ちしました」
入浴を済ませて部屋に戻ると、絶妙のタイミングでメイドのアネッサがお茶を運んできた。フィオナと年が近い彼女は、今朝から身の回りの世話をしてくれている。
仕事はしっかりしつつも、そこはやはり年頃の娘らしく話し好きなのか、フィオナともすぐに打ち解けて友達のように接してくれた。もしかしたらそれはヴィクトールの計らいかもしれないが、突然違う世界に飛び込んでしまったフィオナにとってアネッサの親しみやすさはとてもありがたかった。
「子竜は体を洗われて疲れちゃったのか、今は竜舎で眠ってます。ガーフィルがきちんと様子を見ているので安心して下さいね」
「ありがとうございます」
ガーフィルはこの屋敷の竜舎でエスターシャの世話をしているひとりだ。竜の扱いに慣れている彼なら、子竜を暫く預けても大丈夫だろう。
用意されたアイスティーは苦味もなくスッキリとした味わいで、喉を通ると後から柑橘系の香りがほのかに残る。湯浴みして火照った体には気持ちのいい清涼感だった。
「そういえばフィオナ様。旦那様はどんな風にプロポーズされたんですか?」
「ふぇっ!?」
あまりにも唐突に聞かれたものだから、フィオナは飲みかけのアイスティーを吹き出すところだった。
「ななな何ですか、いきなりっ」
「だって気になるじゃないですか。昨夜いきなり結婚するって、フィオナ様を連れて来たんですよ? 今までそういう甘い話は全然なかったのに。よっぽど運命的な出会いだったんだろうなぁーって、皆であれこれ想像してるんです!」
恋バナに興味津々なところは、やはり年頃の娘らしい。フィオナもそういう話で友達と盛り上がるのは大好きだが、話題に上がるのが自分のこととなるとどう話していいのか迷ってしまう。
一応はヴィクトールと話を合わせてはいるが、それをフィオナ自身が口にするのは何というか自意識過剰のようで言いにくい。
「イスタ村で密猟者の男の人たちに襲われた時、助けてくれたのが団長さんだったんです。そこで……その、……そういうお話を……」
「要するに旦那様の一目惚れだったんですね!」
「そ、そうなりますかね?」
「女性に対して奥手すぎるとは思ってましたが、旦那様も本気を出せば凄いんですね。その日のうちにプロポーズして屋敷に連れてくるなんて……。もうもう! フィオナ様ったら愛されてますねー!」
一人で盛り上がるアネッサにこれ以上追求されてはたまらない。そう思うとフィオナはアイスティーを一気に飲み干して、手早く衣服を着替え始めた。風呂上がりの部屋着ではなく、きちんとしたブラウスとスカートで身支度を調える。
「あら? フィオナ様? せっかく湯浴みしたのに、どうして身支度されてるんですか? 今日はもう、このまま夕食までお部屋でゆっくりされるのかと……」
「ごめんなさい。私ずっと気になってたことがあって……ちょっと出かけてきてもいいですか?」
「それは構いませんが、どちらへ?」
「家に戻りたいんです」
「えっ!? もうですか!?」
驚きすぎて、アネッサが目を剥いている。何なら体も硬直しているようだ。
「わぁぁ! 違うんですっ、違うんです! 家の片付けに行きたいんです!」
「片付け……?」
「そう、片付けです! 昨日は着の身着のままこちらへお邪魔したので、家の様子が気になって……。夕方までには戻るので、ちゃちゃっと行ってきますね」
「それなら馬車を用意しますので、少しお待ちください」
「大丈夫です! 一人で歩いて行けますから!」
フィオナの家がある場所は、少し寂れた裏通りの方にある。そんな所へ馬車で戻れば、あっという間に注目の的だ。それだけは避けたいと、フィオナはアネッサが馬車を用意する暇も与えず、脱兎の如く部屋を飛び出していった。
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