第29話

家の前まで移動してきた時、あたしは大きく深呼吸をした。



家の中からはエマの笑い声が聞こえ漏れてきていて、今はとてもご機嫌だということがわかった。



玄関を開け、「ただいま」と、リビングにいるお母さんへ声をかける。



「おかえり~」



エマと遊んでいて手が離せないのか、声だけが帰って来た。



「おじゃまします」



貴久がリビングまで聞こえる声でそう言ったので、ようやくお母さんが出て来た。



「あら、貴久君!」



「こんにちは。お邪魔しても大丈夫ですか?」



「もちろんよ。ナナカの部屋は散らかってるかもしれないけどね」



お母さんはそう言い、あたしへ向けて笑って見せた。



「エマはなにしてるの?」



あたしはお母さんの言葉を無視して玄関を上がった。



「なにって、いい子に遊んでるわよ?」



「エマちゃんにも顔を出してきますね」



貴久はそう言って、あたしの後を追い掛けてリビングへ向かう。



「ただいま、エマ」



リビングでお人形遊びをしていたエマに声をかけると、すぐに駆け寄って来た。



「おかえりお姉ちゃん!」



そう言ってあたしの足元に抱きついてくる。



まあ夜中に見たエマとは、全くの別人のように見えた。



「こんにちは、エマちゃん」



貴久がしゃがみ込んでそう言った。



エマは何度か瞬きをすると貴久のことを思い出したのか、パッと笑顔になった。



そしてあたしの足から身を離し、「こんにちは!」と、頭を下げる。



前回のようなことにはならなかったので、心の中でホッと安堵のため息を吐きだした。



「エマちゃん、今なにして遊んでたの?」



「お人形だよ!」



貴久の質問にも、嬉しそうに答えている。



「へぇ、可愛いお人形だねぇ」



「うん!」



自慢のお人形を褒められたことが嬉しいのか、エマは貴久の手を引いて自分のおもちゃ箱へと近づいて行く。



「こらエマ。貴久君はエマと遊ぶために来たんじゃないのよ?」



リビングへ戻って来たお母さんがそう言うのであたしは慌てて止めた。



「お母さん大丈夫だよ。貴久も、エマのことが大好きだから」



「でも……」



お母さんはそれでも貴久のことを気にかけている。



せっかく遊びに来てくれたのに、幼児の世話をさせたんじゃ申し訳ないと思っているのだろう。



だけど今回はエマに用事があって来たのだ。



「エマちゃんはお絵かきも上手だんだね」



エマは十分にお人形を自慢した後、今度は自分の書いた絵を自慢しはじめた。



お絵かき帳の中には家族の絵が沢山描かれている。



「これも! これも描いたの!」



なにを言っても褒めてくれる貴久に気を良くして次から次へと自分の作品を見せるエマ。



すっかり打ち解けている2人。



そろそろ本題に入ってもいいかもしれないと思い、あたしは近づいた。



「ねぇエマ。エマはお姉ちゃんと一緒に河原で遊ぶのも好きだよね?」



「うん!」



「河原では、どんな遊びをしたんだっけ?」



「水の中の魚を見たよ!」



「そうだね。他には?」



「石を積んで行った!」



「うんうん」



「あとね! 女の人がいた!」



エマの言葉にあたしの心臓は停止してしまうかと思った。



突然の言葉に貴久と顔を見合わせる。



エマはあたしたちが緊張していることなんて気が付いていないようで、熱心におもちゃ箱の中から何かを探し出そうとしている。



「女の人って、どんな人だった?」



貴久がゆっくりと、優しい声で聞く。



「えっとねぇ。白い服の人!」



その瞬間、あたしは何度も見て来た白いワンピースの女を思い出した。



やっぱり……!



自分が見て来たものと、エマが見たものは同じだったのだ。



「その人の名前ってさぁ……」



あたしが次の質問をしようとした時だった。



エマが首をかしげながらおもちゃ箱から何かを引っ張り出した。



それをあたしへ向けて突き出して「これなぁに?」と、聞いてくる。



「え……?」



あたしは瞬きをしてそれを見つめて、エマからそれを受け取った。



スマホ、だった。



男性向けに作られた大きめサイズのもので、3年くらい前に発売された旧型だ。



「なんでこんなものがエマのおもちゃ箱にあるんだろう」



そう呟いた時だった。



「これ、俺が昔使ってたやつだ」



隣の貴久がそう言ったのだ。



「え……?」



あたしは見開いていた目を、更に大きく見開いた。



「ちょっと貸して」



そう言われてスマホを渡すと、貴久はバッテリーを抜いてヒックリ返した。



バッテリーの裏にはマジックで星のマークが書かれている。



「やっぱりこれ、俺のだ。このマークは中学時代の友達に書かれたやつなんだ」



そう聞いた瞬間、ゾワリと背筋が寒くなった。



何度も見たことがある光景だった。



理香先生のときは車の中から。



穂香のときは学校のゴミ箱の中からでてきたそれ。



「なんでこんなところにあるんだ?」



首をかしげている貴久をよそに、あたしはエマを見た。



エマはすでに興味を失っているようで、今度はお絵かきに夢中だった。



「ねぇエマ。これ、どうしてここに入ってたか知らない?」



そう聞くとエマは一度顔を上げてスマホを確認し「知らな~い」と、首を傾げた。



「もっと、よく思い出してみて?」



すぐにお絵かきに戻ろうとするエマに言った。



「だって、知らないもん」



エマはふくれっ面になって返事をする。



「妙だな。この前のゴミの日に捨てたはずなのに……」

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