第33話

『助けて』



その声は朝まであたしの脳内で繰り替えされていた。



しゃがれた、魔女のような不気味な声。



電話はそれだけで終わったけれど、貴久もあたしも眠れないまま朝が来ていた。



2人でキッチンへ向かうと貴久のお母さんが豪華な朝食を用意してくれていた。



呑気にご飯を食べる気にはならなかったが断るわけにもいかず、あたしは貴久の隣に座った。



「ナナカちゃんがいたら家の中が華やかでいいわね」



「本当だな。またいつでも遊びにおいで」



人のいい両親はニコニコと終始笑顔であたしと接してくれた。



その優しさが、今は心の痛かった。



『助けて』



あの言葉の意味はなんなのか。



ユミコさんは誰かに助けを求め続けていたのか。



気になって仕方ないのに、今のあたしはこうして美味しい朝ご飯を食べている。



「急にお邪魔してすみませんでした」



家を出る準備をして玄関先に立ち、あたしは両親へ向けて頭を下げた。



「いいのよ。大したおもてなしもできなくてごめんね」



「今度はみんなでバーベキューでもしよう。な、貴久」



「そうだね。じゃ、俺はナナカを家まで送っていくから」



「本当に、ありがとうございました」



あたしは両親へ向けて深く頭を下げて、貴久と共に家を出たのだった。


☆☆☆


「貴久のご両親、本当にいい人だね」



「息子の彼女によく思われないだけだよ」



謙遜しているのか、貴久はちょっと照れくさそうに言う。



「でも、素敵だよ」



そう言ってから、あたしは自宅へと続く道を見つめた。



あたしの家は大丈夫だっただろうか?



特に、エマのことが心配だった。



自然と歩調が速くなっていくのを感じる。



「なぁ、これからエマちゃんと連れて河原へ行ってみないか?」



「え?」



突然の提案にあたしは驚いて貴久を見た。



貴久は真剣な表情をしている。



「エマちゃんにはユミコさんが見えてるんだ。それなら、エマちゃんに手伝ってもらうのが一番早いと思う」



「そうだけど……」



あたしは答えにつまってしまった。



正直、もうあの場所にエマを連れて行くことはできないと思っていた。



もう1度連れて行って、それでエマになにかがったら?



今度こそ、あたしの責任だった。



それに、可愛い妹を危険にさらすわけにはいかない。



「頼む。俺たちにはユミコさんが見えないし、ユミコさんの声も聞こえない。これじゃ、なにをどう助けないといけないのかも、わからないままだ」



貴久の言っていることは最もだった。



ユミコさんからの電話をちゃんと聞いたところで、どうすればいいのか見当もつかなかった。



「……わかった。エマに聞いてみる」



あたしは覚悟を決めて、そう答えたのだった。



☆☆☆


家に戻って一旦荷物を置き、あたしは貴久と共にリビングへ向かった。



エマは幼児用のテレビン番組を見ながら、同じように手足を動かしてダンスしているところだった。



「おかえり。貴久君、急にお邪魔しちゃってごめんなさいね」



お母さんがキッチンからジュースを入れてやってきた。



「いえ。うちの両親もナナカに会えて喜んでいましたから」



「それなら良かったわ。今日は2人でどこかに出かけてくるの?」



そう聞かれて、貴久は言葉に詰まってあたしを見た。



「今日はエマも一緒に連れて行っていい?」



あたしがそう聞くと、お母さんが「エマも一緒に?」と、怪訝そうな表情を浮かべた。



「俺が、エマちゃんと一緒に遊びたいんです」



「あら、エマと遊んでくれるの? でも、いいのかしら?」



デートの邪魔になるのではないかと、気にしているみたいだ。



「大丈夫だよお母さん。エマが幼稚園を休んでる間、ずっと一緒にいたんだからたまには休んで?」



あたしはそう言ってからエマに声をかけた。



「エマ。今日はお姉ちゃんと遊ぼう?」



「お姉ちゃんと遊ぶ!」



エマはすぐあたしに抱きついてくる。



あたしはそのままエマの体を抱き上げて振り向いた。



貴久が小さく頷く。



「あらあら、それじゃお願いするわね。エマ、お姉ちゃんのいうことちゃんと聞いて、良い子にするのよ?」



「わかった!」



エマはあたしの腕の中で元気に挨拶している。



今日も上機嫌みたいだ。



「貴久君も、ありがとうね」



「いいえ。ジュースご馳走様でした」



いつの間に飲んだのか、コップの中はちゃんと空になっていたのだった。

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