第10話
その夜。
あたしはエマの幼稚園での様子を両親に報告することになった。
「首を絞めただなんて、そんな……!」
お母さんはあたしの話に青ざめて、持っていた湯呑を取り落としてしまいそうになる。
「本当のことみたい」
エマのことを話している間は心苦しくて、まるで自分が悪い事をしている気分になった。
「どこでそんなことを覚えたんだか……」
お父さんは大きくため息を吐きだして両手で顔を覆った。
「とにかく、相手の家に電話を入れないと」
お母さんはそう言ってすぐにソファを立ちあがった。
お父さんと2人で残された空間には重たい空気が流れている。
テレビだけが騒がしく、そこだけまるで別世界のようだった。
「しばらく休園させてみるか」
「エマを休ませるの?」
「それも手だと思う。お母さんは大変になるけれど、誰かを怪我させてからじゃ遅いしなぁ」
お父さんの言う通りだった。
このままエマを幼稚園に通わせ続けてなにか問題が起きるよりも、先に対処した方がいい。
「それならあたしも手伝うよ。学校が終ったら、できるだけ早く帰るようにする」
あたしにできるのはそのくらいのことだけだ。
「あぁ。ありがとうナナカ」
お父さんは大きなため息と共に、そう言ったのだった。
☆☆☆
エマはどうしてあんな風になってしまったんだろう。
ごく最近まで本当にいい子だったのに。
少し飽きっぽいところはあったけれど、それは他の子でも見られる程度のものだったし、子供の興味が移り変わりやすいのはよくあることだった。
それでも、自分たち家族がエマの変化に気が付いてあげることができなかったことが悔やまれた。
エマの、ほんの少しの変化でも見逃さずにいればこんなことにはならなかったのではないか?
そんな気持ちが何度も何度も襲って来て、あたしはなかなか眠りにつくことができなかったのだった。
あたしがようやく眠りについたのは夜中の2時半を過ぎた頃だった……。
夢を見ていた。
あたしが立っている場所はエマと一緒に遊んだ、あの河原だった。
澄んだ水はおだやかに流れていて、とても心地いい。
あたしは川に足を付けていて、振り向くとエマが立っていた。
エマの足元には小石が積み上げられている。
「エマ。そろそろ帰ろうか」
川から出て素足のままエマに近づく。
しかし、エマはジッと1つの方向を見つめていて反応を示さない。
「エマ? どうしたの?」
エマの横に立ち、屈み込んでエマと同じ目線になって確認してみる。
その先にあるのは廃墟だった。
昔は2階建てのアパートだったみたいだけれど、その外壁はあちこちがひび割れ、窓ガラスも割られたままになっている。
スプレーでわけのわからない落書きをされているし、悪ガキたちがよく集まる場所なのかもしれない。
「あそこにはもう人は暮らしていないんだよ? 見て? こっち側の壁は崩れちゃってる」
あたしは廃墟を指さしてエマに言った。
相当古い建物なのだろう。
壁の一部は崩れ落ちて中の様子が丸見えになっている。
中に見えるのは崩れた屋根だ。
足を踏み入れるもの危険な状態だと、パッと見ただけでわかった。
「人はまだいるよ?」
エマが不思議そうな表情になって言った。
「え?」
「人はまだいるよ?」
エマは同じ言葉を繰り返す。
廃墟の中に人がいるのだろうか?
そう思ってもう1度アパートを確認してみるが、やはり誰の姿も見えなかった。
エマの勘違いだろう。
「さぁ、そろそろ帰ろう。ね?」
あたしは素足のまま靴をはいてそう言った。
足はまだ濡れていたけれど、なんだか急にここに居たくなくなってしまった。
なんだかわからないけれど、妙な胸騒ぎがする。
あたしはエマの手を握りしめて歩き出そうとする。
しかし、エマはその場に氷ついてしまったかのように動かなかった。
「ほら、あそこ」
そして、指を指す。
誰もいない廃墟へ向けて『あそこ』と一言添えて……。
まだなにも見ていないのに、ゾワッと全身に鳥肌が立った。
見ちゃいけない!
本能的にそう感じ、恐怖から呼吸が浅くなっていく。
「エマ……あそこには誰もいないから……」
どうにかエマを説得して帰りたいのに、あたしの体も動かなくなってしまっていた。
ただ顔が、見たくない廃墟へ向けてゆっくりと動く。
まるで体が誰かに操られているような感覚だった。
嫌な汗が背中を流れて行き、今にも倒れてしまいそうだ。
それなのに……視線を向けた先に……。
いた。
いたのだ。
ソレが。
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