第5話

優しい貴久に思わず頬が緩んでいく。



あたしは意識的にキュッと口角を引き上げた。



「でも、貴久も忙しいでしょ?」



部活やバイトといった用事がなくたって、高校生は色々と忙しい。



特に貴久の家は父子家庭だから、家の仕事がたんまりとあることをあたしは知っていた。



「大丈夫大丈夫。家に帰っても宿題とか家の手伝いとかするだけだし。たまにはサボっても怒られないから」



どうしよう……。



貴久の申し出は嬉しかったけれど、エマが昨日のように汚い言葉を使ったらどうしよう?



そんな気持ちになって簡単には返事ができなかった。



悩んでいる間に昇降口が見えて来た。



放課後、すぐに帰る生徒たちで賑わっている。



「でも……」



迷っていると貴久があたしの手を繋いできた。



「じゃ、エマちゃんの幼稚園まで案内よろしく」



そう言ってほほ笑む貴久に、あたしはもうなにも言えなかったのだった。


☆☆☆


幼稚園の前まで行くとまだお迎えが来ていない子供たちが数人残っているだけだった。



「こんにちはー」



園内にいる先生たちに声をかけると、すぐに「こんにちは」と、笑顔で答えてくれる。



同時に、あたしの隣に立っている貴久を見て好奇心が湧き上がってきているのがわかった。



「こんにちはエマちゃんのお姉さん。それと……」



エマの担任の先生はそう言い、貴久へ視線を向ける。



「里中といいます。エマちゃんがお世話になっています」



貴久はそう言って笑顔で会釈する。



なんだか夫婦で子供を迎えにきた感覚になってしまって、あたしの方が照れてしまった。



「あらあら、仲が良さそうでいいわねぇ」



先生はあたしへ視線をむけてウインクをしてくる。



それだけでなにが言いたいのか理解できたけれえど、あたしは気が付かないフリをしてそっぽを向いた。



「お姉ちゃん!」



園の中からエマが黄色い鞄を横賭けにして走ってくる。



「エマ。今日はいい子にしてた?」



「うん!」



元気よく答えてあたしの足元へ走ってきたエマは、隣の貴久を見上げて首を傾げた。



「こんにちはエマちゃん。俺のこと覚えてる?」



その問いかけにエマは更に大きく首を傾げる。



毎日家に来ている貴久だけど、エマはあまり覚えていないみたいだ。



ちゃんと遊んだことがあるのは貴久が家に挨拶に来た最初だけだから、仕方ない。



「今日は貴久も一緒にお迎えに来てくれたんだよ。良かったねぇエマ」



あたしはエマと右手を繋いでゆっくり歩き出す。



帰る途中も色々なものに興味を奪われるから、自分のペースで帰ることは無理だった。



「うん! 良かった!」



わかっているのかいないのか、今日のエマはご機嫌みたいだ。



昨日みたいに汚い言葉を使うこともなく、鼻歌を歌い始めた。



その様子にホッと胸をなで下ろす。



「エマちゃん、良い子じゃないか」



貴久があたしにだけ聞こえるように言った。



「うん。今日は機嫌がいいみたい」



園でいいことでもあったのかもしれない。



「エマちゃん。今日は幼稚園でなにをしたの?」



貴久に質問されたエマは笑顔で「死体ごっこ!」と、返事をした。



一瞬、あたしたちの間に重たい空気が流れるのを感じた。



貴久も言葉を失っている。



「死体ごっこって……なに?」



あたしはどうにか言葉を振り絞って聞いた。



子供たちの考える遊びは様々だ。



大人では想像もできないような遊びを、自分たちで考えることは珍しくない。



今回だってそうに決まってる。



「生き埋めとか、水死とか、首つりとかで死んだ人たちの真似をするの!」



スラスラと、つっかえることなく死亡例を次々と上げる4歳児にあたしと貴久の足は完全に止まってしまっていた。



「首つりの人はね、こうやってロープが首にかかっていてね……」



自分の両手をロープに見立てて首に回し、「グエッ」と声を出して舌を出すエマ。



その様子を見た瞬間、あたしはエマの体を抱きしめて阻止していた。



「どこでそんなことを覚えたの!?」



思わず声が甲高くなり、腕の中のエマが体を硬直させた。



自分がなにか悪いことをしたのだと思ったエマは、そのままムッとした表情で押し黙ってしまう。



「これはちょっとひどいな……」



貴久も驚いた顔でエマを見つめている。



4歳児が死ぬ方法なんて知っているわけがない。



どこかの誰かが、悪意を持って教えたに決まっている!



カッと頭に血が上って行きそうになったとき、不意にエマがあたしの手から離れて貴久の前に移動した。



そして、貴久の足を思いっきり叩いたのだ。



「痛っ!」



いくら園児と言えど、力一杯叩かれれば痛い。



油断していたこともあり、貴久は顔をしかめて足をさすった。



「ちょっとエマ、なにしてるの!」



次から次に起こる出来事に混乱しそうになりながらも、あたしは必死にエマを止めた。



しかし次の瞬間……。



エマは大声で笑い出したのだ。



心の底からおかしそうに、そこら中に響き渡る声で。



「エマ……」



あたしは唖然としてエマを見つめる。



今までも興奮したエマが大笑いしたことはあった。



だけど今度は違う。



まるで、大人の女性のような笑い方なのだ。



エマはジッと貴久を見上げて笑う。



笑う、笑う、笑う、笑う、笑う……!



その声は、いつまでも消えることなく聞こえてきていたのだった。

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