第3話


それからいつの通りの1日を終えたあたしは1人で家に戻ってきていた。



「ただいま」



そう声をかけてリビングへ向かうと、すでに幼稚園から戻っていたエマが1人でお人形遊びをしているのが目に入った。



隣のキッチンからは夕飯を作る音が聞こえて来る。



「ただいまエマ~。幼稚園はどうだった?」



1人遊びをしているエマを後ろから抱きしめて聞いた。



家に戻ってすぐに妹に癒されるあたし。



「まぁまぁだったよ」



お人形遊びを辞めずにそう答えるエマに「まぁまぁって……。楽しかった?」と、更に質問を続けた。



今まではどれだけ短い返事でも『楽しかった!』とか『今日は転んだ!』とか言っていたのに、なんだか曖昧な返事なのが気になった。



「なぶり殺してやる!」



不意に言われた言葉にあたしは動きを止めていた。



目を丸くしてエマを見つめる。



「え……?」



今聞いた言葉が信じられなくて、エマの前に回り込んだ。



するとエマはお人形の1体を横倒しにして、もう1体でそれを踏みつぶすような動作を繰り返していたのだ。



「なぶり殺してやる! なぶり殺してやる!」



いつもとは違い、熱心に何度も何度も同じことを繰り返すエマ。



その目は大きく見開かれて、目の前の人形に注がれている。



ゾクリと背中が寒くなった。



あの、河原で感じたような寒気だった。



「ちょっとエマ……なにしてるの?」



声をかけてやめさせようとしても、エマは止めなかった。



それ所か徐々に声が大きくなっていく。



「なぶり殺してやる! なぶり殺してやる! なぶり殺してやる! なぶり殺してやる!」



ドンッ! ドンッ! と、人形を叩きつけるようして叫ぶエマ。



楽しいことに熱中し過ぎて悲鳴に似た声を上げる子供と同じように、エマの声も甲高くなっていく。



止めなければいけないとわかっているのに、あたしは自分の両耳を塞いでいた。



それでも聞こえてくる、エマの声。



「なぶり殺してやる! なぶり殺してやる! なぶり殺してやる! なぶり殺してやる!」



エマは瞬きもせずにジッと人形を見つめている。



「な……なに……?」



思わず妹から逃げてしまいそうになったとき、異変を感じたお母さんがキッチンからやってきた。



「ちょっとエマ! なにしてるの!?」



怒鳴ると同時にエマから人形を取り上げる。



人形を取り上げられたエマは途端に大人しくなり、キョトンとした表情でお母さんを見上げた。



あたしは恐る恐る両耳から手を離した。



あんなエマを見たのは初めてだったから、心臓が早鐘のように打っている。



背中にはじっとりと汗が滲んでいて、気持ちが悪かった。



「ちょっとナナカ、変な言葉を教えないで!」



お母さんに怒鳴られて初めて我に返った気分だった。



「ち、違う。あたし、教えてないよ!」



慌てて左右に首をふり、否定した。



でも、お母さんの言う通りあんな言葉を教えた誰かがいるのだ。



4歳の、エマに……。



そう考えると胸の奥がムカムカした。



誰がどういう意図であんな残酷な言葉を教えたのだろう。



もしかしたら、偶然聞いてしまっただけかもしれないけれど……。



「きっと幼稚園で覚えてきたのね。先生に相談しなくちゃ」



お母さんはブツブツと呟いて、キッチンへと戻って行ったのだった。



エマはもうお人形遊びには飽きたようで、今度は折り紙を取り出していたのだった。


☆☆☆


それから先、エマに変わった様子はなかったので、家の中でも幼稚園で変な言葉を覚えて来たのだろうということで治まっていた。



あたしもそう思う。



でも……。



エマが夢中になってお人形を叩きつける場面を思い出すと、どうしても気になった。



あんなこと、幼稚園で誰が教えるだろうか?



もっと別のところで、なんらかの影響を受けているんじゃないだろうか?



そんな気がしてならなかった。



とにかく、エマには『なぶり殺す』などという言葉は使ってはいけないと、両親がこんこんと教えて込んでいた。



エマはその都度「どうしてぇ?」と首を傾げていたけれど、お父さんが大きな声で「どうしてもだ!」と怒鳴ったことで大人しくなった。



本人はなにも納得できていないだろうけれど、ひとまずは口に出させないということで他の子への悪影響を回避できたと思う。



「どうしたナナカ。怖い顔して」



翌日、いつものように家まで迎えにきてくれた貴久と共に学校へ向かっていた。



あたしは昨日の出来事を貴久に話して聞かせた。



「あぁ~。そういうの俺もあったよ。意味もわからずに残酷な言葉を連呼して、怒られた」



「そうなんだ?」



「うん。死ねとか殺すとか、大人たちが隠してても子供たちの耳には入るもんだからなぁ」



そう言われるとそうかもしれない。



どれだけ必死に隠していたって、外へ出て情報が耳に入ることで覚える言葉はいくらでもある。



それに、いくら悪影響だと言ってもいつまでも隠し通せるものじゃない。



成長のためには残酷な言葉を覚える必要もある。



頭では理解しているけれど、可愛いエマの顔を思い出すとやっぱり複雑な気持ちになる。



できればいつまでも今のままのエマでいて欲しい。



話題はいつの間にか他のものへと切り替わり、あたしも徐々にエマの姉から1人の高校生へと戻って行ったのだった。

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