第49話:コクーン14「空」

 特異体は太陽に照らされ地上に大きな影を落としていた。隣を無邪気に飛び抜けていく鳥達。風を切る巨体、鳥は蟻のようでひと羽ばたきで吹き飛ばされてしまう。

 蛹から孵った獣は飢えていた、獲物を欲していた。特異体は獲物の場所を知っている、五感がそれを教えてくれる。そして、目指す場所にはそれを満たす十分な人がいた。

 羽を一度休めてから半日以上、渇望して飛び続け、やっといまだ遠くではあるが目的地が見えてきた。特異体は羽ばたきを速める。高揚していた、内側が急に乾く、それを満す為に活力がみなぎる。そして、油断していた、気づかなかった。飛来する2つの赤き輝きが近づいているという事に。


「…見つけた」


 赤き輝き、それは赤ずきんのヒトガタ、メイジーのアッシュ、デリーナのモーガン、飛行するその2機であった。当然、ヒトガタ自体に飛行する機能はないので、今回はその身一つではなく、背中に装甲に覆われたバルーンを二つ背負い、空気を圧縮して射出する推進装置、それも大型なものを左右に二つ搭載していた。それだけではない、バルーン自体に相当浮かせる力があるのか、バルーン横の右と左、それぞれに様々な武装を満載していた。

 その内の一つ、大斧一丁を手に取ったメイジーの駆るアッシュは推進装置を起動させ特異体に肉薄した。彼女は右から左へ目を走らせる。特異体は気づいている様子はない、最初の一撃はほぼ確実に当たるであろう。ではどこを狙うのが良いのだろうか。


(まずは…堕とす)


 メイジーは慣れない空中戦は不利だと考えていた。特異体も飛ぶ事に慣れていないと聞いたが、こちらはというと今回の飛行ユニットの完全装備は数時間前に装備し、ほぼぶっつけ本番であった。すでにある程度は乗りこなしつつあったが、それでもやはり不安があった。

 狙うべきは羽の付け根。飛行能力を奪い、地上に引きずり下ろせば幾分かは勝ちの可能性は上がるはずである。

 メイジーのヒトガタ"アッシュ"は大斧を両手で持ち、特異体の背中めがけて振り下ろした。特異体の羽ばたきで体が上下していたが、彼女は外さなかった。


「…硬い…!!」

 

 機体の接近時の加速も相まって十分な威力を宿して振り下ろされた斧であったが、大きな音が響くも浅い傷が一つついただけであった。

 追撃、その選択肢が彼女の脳裏をよぎる。たがもう遅い。背中からの衝撃に特異体が気づかないわけもなく、横に一回転しメイジーを払いのけようとする。二の太刀ならぬ二の大斧はない。奇襲という優位をものにできなかった彼女はアッシュに距離を取らせ次の手に思考を巡らせる。


「なっ!?」


 メイジーは驚きの声をあげた。

 ほんの僅かな時間、一息呼吸をおく間も無く特異体が反転、彼女へ襲いかかった。だが、彼女も油断して無防備だったわけではない。彼女は斧を構えつつ引いており、いつでも攻撃ができる状態であった。なんて事はない、準備はできている、全く問題ないはずだった。

 問題は特異体の襲いかかるその速度であった。今回の特異体は通常の特異体より一回りも二回りも大きかった。しかし、その巨体をものともせず寧ろ鳥などよりも早いくらい素早くメイジーに襲いかかったのだ。


「…引きながら捌けば!」


 特異体が突撃時に伸ばした両腕を下がりながら斧を振り子の様に振って、左右にいなし勢いを殺す。完璧な回避だった。メイジーは再撃の為に構えた。その時、ガンッと鈍い音が聞こえた。メイジーは咄嗟に上を向いた。バルーンに大きな穴が空いている。勢いよく中のガスが逃げていく。いったい何が?メイジーは特異体に視線を戻した。答えは単純、特異体の脇から第5、6の腕が伸びていた。


「…聞いてない!」


 この隠し腕はヘレナの時も使用していたが、ヘレナの今の状態では伝えるどころではなった為情報が伝達できていない。メイジーにとって初見であったのである。

 浮力を失ったアッシュが急激に降下していく。ヒトガタは機械仕掛けであり、大きさも十数メートルある為、非常に重い。バルーンの浮力を失ってしまうとなす術がない。雲が上に流れていく。


「おい!まずいぞ!」


 少し離れていたデリーナが叫ぶ。

 自由落下していくメイジーを特異体が追撃しようと追っているのだ。ヒトガタは人の機能を延長した兵器である。それゆえ人が生身で空で戦わぬように、地上戦しか想定しておらず、空中では無防備であった。装備されている推進器で多少は動けるもののバルーンあってのものだ、単体の性能はたかが知れている。メイジーは今、鳥に啄まれるだけの蟻に過ぎない。 


「メイジーの位置、落下速度」


 デリーナは呟く。メイジーを助けるにはどうすればいいのか、思考する。


「相対速度、弾の軌道…いける!」


 デリーナはバルーン横から大型の狙撃銃を彼女のヒトガタ"モーガン"に取らせた。その狙撃銃の弾倉は回転式で6発装弾できるようになっている。弾倉を横へスライドし、白、黄色、赤、そして通常の弾を腰の袋から取り出し順に装填した。

 そして、素早く狙いを定めて放った。白い弾丸が回転しながら飛び出す。デリーナの射撃は実に正確で、特異体が降下しているのにも関わらずちょうど顔の横に着弾する。すると弾が弾け、甲高い轟音が空へ響き渡る。


「まずは音響弾、こっちへ来い」


 特異体の耳で音が反響する。耳の奥で痛みが走る。体を震わせ、怒りの雄叫びを上げた。そしてメイジーを追うのをやめ、デリーナの方を見た。大きく羽ばたきを今度はデリーナの方へ急接近する。


 デリーナはすぐさま機体を反転させ、


「さあ、ついて来い」


 手のひらを上にして指でクイクイとに挑発し推進装置を目一杯作動させる。メイジーから特異体を引き剥がす為に距離を取るのだろうか。

 しかし、その作戦ならば残念ながら失敗といえよう。特異体の飛行速度はモーガンよりも速く、メイジーから十分距離を取る前に距離を詰められていた。時間の問題、数秒も満たないうちに特異体の剛腕の餌食になるであろう。


 それでもデリーナは焦り一つ見せなかった。それどころか笑みを浮かべる余裕の表情だった。


「こうもうまくいくとは。これ空中機雷ってやつらしいな」


 耳に轟音を流し込まれ激昂していた特異体は今更気づいた。体に紐で繋がれた風船の様なものが絡みついている事に。

 空中機雷、空中に停滞し接触により爆発する爆弾である。デリーナは特異体から逃げつつばら撒いていた。

 爆発。風船の下部に付けられた黒い塊が連続して弾けた。特異体を凶器と化した空気と弾丸となった爆弾の破片が叩く。


「かったいなぁ」


 ゼロ距離の爆発。それでも特異体にさほどダメージを与えることは出来なかった。しかし、デリーナはそれも折り込み済みのようで、未だ余裕だ。


「まあ、メイジーのが通らないやつに通るわけないか。狙いはそれじゃない」


 機雷が生み出すのは爆発だけではない。揺らめく煙も同時に発生していた。特異体の視界は遮られ、自然と動きが鈍くなる。特異体は煙を煩わしそうにかき分けながら前に進む。不用心に。


「閃光弾」


 特異体の前に目一杯の光が広がる。

 眩い光が一時的に視覚を奪う。たまらず特異体は頭を下げた。生命力の強い大咬を沈黙させるためには脳の破壊が必須である。今、その弱点を晒している。チャンスだ。

 しかし、そう甘くなかった。特異体は手の先端から糸を左右同時、放射状に飛ばし網、さしずめ蜘蛛の巣を作り出した。そして、頭部を守るように正面に構えた。糸は非常に頑丈で簡単に切れない。弾丸すら弾く。


「その程度!」


 デリーナが引き金を引いた。赤の弾丸が打ち出される。糸をわざわざ切る必要はない。弾丸は蜘蛛の巣の間を紙一重でをすり抜け頭に着弾した。だが不思議な事にくっついただけで爆発などはしない。その矢先、円柱の弾丸が爆破した。ただの爆発ではない。内部では針状のものが爆発と共に打ち出され頭部へ突き刺さっていた。強力な点の一撃に特異体の鎧の様な表皮にヒビが入る。


「これでチェックメイトだ!」


 デリーナは再び引き金を引いた。ヒビの中心へスルリとすいこまれる様に弾丸が飛び込んでいく。

 特異体は突然動かなくなった。小刻みに震え始める。そして、額から勢いよく血が噴き出した。


「ふぅ、終わり」

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