第45話:コクーン10「空間」
ヴィッキーの足に絡みついた糸は引っ張ったところで解けはしない。しなやかでありながら、鉄線のような剛性をもっていた。
「それなら」
大地が揺れる。ヴィッキーが地面に足を突き刺し腰を低く構えた。
「そんな遠くではお話しできませんわ。どうぞこちらに」
特異体の体がグンっと引っ張られる。ヴィッキーが糸をゆっくりとそして力強く引き寄せていく。特異体は必死に脚でブレーキをかけるが、止められず地面を削り、2本の線ができていた。少しずつ、確実に距離は縮まっていく。
特異体はもう片脚を前に突き出した。腕の大きさに対して小さめの指の間から白い糸がシュッと音を立てて飛び出す。
「一度見たものにそう易々と当たるとでも?私をなめないでくださる?」
言葉通り上体を少し傾けただけで簡単に躱す事ができ、糸は機体頭部の横を通過した。
両手を浮かしてしまった特異体はしっかりと踏ん張ることができなかった。そのため、前脚を突き出した無防備な状態でヘレナへ引きつけられてしまう。
「あと少し」
今の特異体ならば、格闘戦ならば分がある。そう考えていたヘレナは気を引き締めた。
彼女、"鉄拳の赤ずきん"ヘレナの実力は確かなものだった。加えて最新である第3世代の赤ずきんのヒトガタ”ヴィッキー”は近遠距離に対応したオールラウンダーで隙がない。ヘレナ自身も自分とヴィッキーならば大抵の特異体は倒せると自負していた。ゆえに彼女は戦いの中で注意を欠いてしまっていた。
「なっ!?」
突然へ機体後部への重い衝撃。ヴィッキーの体勢が崩される。
ヘレナは咄嗟に後ろを見た。見えたのは大きな岩、ヴィッキーの上半身を隠してしまうような大岩が後ろから飛んできたのだ。
そのよう岩がどこからきたのか?それは先程、ヴィッキーがハンマーのように地面に叩きつけられた時にその衝撃で割れた地面の破片だった。特異体が狙っていたのははじめからヘレナでなく、背後の岩であった。
ヘレナに生まれた一瞬の隙、特異体はそれを見逃さなかった。力いっぱい引っ張り糸がピンと張る。
ヴィッキーの足が地面を掘り返しながら抜け、特異体へ向け飛んでいく。
「くっ!」
特異体は腕をヘレナめがけ振るう。辛うじて反応したヘレナはヴィッキーに両手を交差させ正面を防御する。腕が軋む音を上げ、表面が蛇腹状に歪んでいく。そして、ヴィッキーの足の糸は切れ、まるでボールを棒で打ったように軽々と遠方へ吹き飛ばされた。
「お嬢様が大咬を連れて行ったのはこっちだったはず」
ローズはヘレナが向かった方角、移動の際ついた足跡を頼りにトラックを走らせていた。
彼女はすでにトラック乗り達の安全を確保しており、赤ずきんのパートナーとしての役割のために動いていた。敵、主に特異体を観察し赤ずきんにその情報伝える役目である。外からと正面から得られる情報には大きな違いがあるため、討伐への糸口となることが多い。そのためパートナーの外からの視点は非常に重要なのだ。
彼女は望遠で見える距離に来れればと思っていたが、
「あれは!」
遠方より赤い影が飛来する。そして地面を水切りように跳ねローズの方へ向かってくる。
「ちょちょちょっと!!」
ローズがハンドルを切りトラックを無理矢理静止しようとする。片側のタイヤが浮き、横転しそうになるも何とか止まることができた。
次の瞬間、ヴィッキーがローズの目の前に落ちてくる。トラックとの距離は3メートルもない。仮にそのまま進んでいたらローズは大地のシミになっていただろう。
ヴィッキーがうつ伏せから上体を起こした。まだヘレナは無事なようだ。
「え?ローズここで何してますの?早く逃げ――」
「お嬢様上!!」
「もう!?速すぎますわ!!」
空から特異体が落ちてきた。そしてヴィッキーの背中を叩く。後ろからの衝撃に体勢はそのまま、前に進む。
トラックの運転席を上から覆うように。
「速くここから!!」
ヘレナはすぐさま立ちあがろうとする。このままではローズを戦闘に巻き込んでしまう。ヴィッキーが全身から唸り声を上げて地面を押して立ちあがろうとする。次第にその音が大きくなった。出力を上げている証拠だ。
「なん…で!?」
機体が全く動かない。未だにトラックは体の下。危険な状態だ。
辛うじて動く首を少しもたげる。
「そんな…!」
ヴィッキーは上から押さえつけられるように蜘蛛の巣で固定されていた。体を上げることはできない。できるのは下げることだけ。
「動けない!ローズ逃げて!」
ヘレナは必死にローズへ叫んだ。このままでは、
「扉が…開きません…」
ヴィッキーへ特異体が上から覆いかぶさる。ヘレナ達を嘲笑うかのようにゆっくり押さえつけていく。耐えようとするも特異体の全体重をかけた押さえつけで徐々に体が降りていく。ヴィッキーの体が運転席へ接触した。トラックのフレームが凹んでゆく。
「あぁぁぁあ"!!」
ローズの悲鳴が聞こえできた。フロントガラスが割れ、歪んだフレームが彼女に突き刺さり血を滲ませる。
「や、やめて!!お願いだから!!」
特異体が笑った、ヘレナからは見えなかった。この状況を楽しんでいるのだ。
運転席にはもう人のいられるスペースは無い。硬いフレーム、柔らかい人体、その空間を満たしていられるのは果たしてどちらだろう。
ローズの、ローズである形が少しずつ歪んでゆく。
「ローズ!ローズ!」
血に染まる運転席、その中でローズは弱弱しく笑った。
「お嬢様のせいじゃありません」
運転席にもうスペースは無い。
「あ、あ、あ、ローズゥゥゥゥ!!」
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