第46話:コクーン11「殺意」

 トラックから流れ出た血がヴィッキーを濡らす。鮮やかで真っ赤な血だった。ヴィッキーは俯いたまま静止していた。


「ううぅ…」


 コックピット内で水滴がシトシトと落ちる。ヘレナは奥歯を噛み締め鼻をすすった。先程の光景が彼女の脳内で何度も繰り返されていた。


「私が殺した」


 彼女は噛み締めるように口にし、ゆっくりと顔をあげた。目尻は腫れ、目を赤い線が駆け巡っている。彼女は顔を拭い、深呼吸をした。そして震える声で、


「お前が殺させた!!」


 彼女は渇いていた、血に飢えていた。特異体の血に。


「殺す!殺す!殺す!」


 明確な殺意が口から溢れでた。

 次の瞬間、特異体の一振りでヴィッキーが糸ごと吹き飛ばされた。弧を描きながら遠方へ飛んでいき、木を薙ぎ倒しながら落ちる。落下地点では高く土煙があがっていた。

 特異体はヴィッキーの飛んで行った方を見て、カカカと渇いた笑い声を上げた。


「殺ぉぉす!!」


 土煙が吹き飛びヴィッキーが飛び出した。後ろへ向けた腕部の衝撃波発生装置が起動、衝撃波が機体を押して加速を得る。それを短い間隔で何度も。特異体によってつくられたこの距離が彼女を、ヴィッキーを一発の弾丸にした。腕が赤熱化し、ヴィッキーを包む空気が揺らめきはじめる。

 衝撃波発生装置、これは本来、連続して使用される事を想定していない。非常な強力な兵装であるが故に腕部への負荷は大きい。その為、インターバルを必ず設けるようリミッターがかかっている。つまり今の状態はリミッターが外れているのだ。では何故そのリミッターが外れているのか。その原因はヘレナにあった。


「殺す!殺す!」


 今現在ヘレナは殺意に呑まれている。赤ずきんは大きな感情の変化に応じて身体能力が強化される、そのような体質であった。

 その為、現在ヘレナの身体能力は殺意によって格段に上がっているのだ。そして、それに応じて体が耐えられると予想されるレベルまで機体のリミッターが自動で外されていた。

 赤ずきんとその機体は貴重な存在である。負ければ同時に失う。特に機体の数は限られている。彼女達は余力を残して死ぬ事は許されない。赤ずきんは特異体を葬り去る為に命をとして戦わねばならないのだ。

 限界まで加速し、赤い光の帯を纏いながらヴィッキーは特異体めがけて突撃する。

 しかし拳は空をとらえた。特異体は寸前のところで回避していた。

 ヘレナはそのまま特異体の横を通り抜けるはずだったが、ヘレナはヴィッキーに片腕を地面に打ち込ませた。その腕を軸に機体がぐるりと方向転換する。


「かはっ!」


 ヘレナは吐血した。無理矢理方向転換したのだ、体にかかる慣性は凄まじく、筋肉、そして内臓の髄にまで大きな負荷がかかっていた。しかし、今の彼女にその痛みは届かない、彼女の殺意が全てを遮断している。特異体を殺す為の生き物になっていく。

 ヴィッキーは勢いを殺さずに、もう一度特異体に突貫した。

 急速旋回に特異体は対応できず、一撃をもらう。横腹への頭突き、その衝撃に特異体の踏ん張りも虚しく仰向けに倒れた。

 目の前の腹部に対し何度も何度もヴィッキーは狂った様に拳を叩き込む。熱を帯びた腕はその形を崩しつつも強力な攻撃を特異体へ伝えた。強固なはずの鎧が砕け始める。

 特異体が雄叫び声をあげた。奴は力を振り絞り起き上がった。そして、すぐさま素早く後ろへ下がったヴィッキーへ一撃を加えようとする。


「邪魔」


 ヴィッキーはそれを軽くかわし、地面へ叩きつけその特異体の腕を上から殴った。特異体の腕は地面に深く突き刺さり、錨を下ろした船のようにその場から動けなくなってしまった。


「死ね!」


 ヘレナは今度は特異体の頭部を殴打し始めた。殺意を込めて幾度も。

 たまらない特異体はもう一方の腕で攻撃を試みるが、ヴィッキーはそれを脇に抱えそのままへし折った。同時に酷使による酷使で限界を迎えた腕の内側からドス黒い液体が飛散した。もうその腕は動かない。でも、片腕は残っている。彼女は拳を止めなかった。特異体の頭部についに亀裂が入り始めた。

 特異体は両腕が使えない。抵抗できない。しかし奴は特異体、糸だけが隠し球ではなかったようだ。前足と後足の中間、脇から木が裂けるような音と共に新たな腕が2本生えた。

 突き刺さっていない、折れていない、自由なその腕でヘレナへ襲い掛かる。

 ヘレナは回避しない。目の前の頭部を破壊する事に全神経を集中させていた。

 防御すらせず、火花が散り、壊れた片腕をもがれ、頭部が破壊される。コックピットへのダメージも例外ではなく飛び散った破片が皮膚を破り血が滴り落ちる。それでも彼女は止めなかった。

 特異体頭部の亀裂が蜘蛛の巣状に広がっていく。そして、砕けた。目玉が飛び出し、牙が散らばる。粉砕、その言葉がふさわしかった。頭を失ったはずの特異体は首を垂れて動かなくなった。


「ハァハァ」


 ヘレナも息を荒げながら動きを止める。機体自体も限界だった。空を見上げて息を吐く。視界は滲み歪んでいた。

 ヘレナは声をしゃくりあげながら泣きじゃくる。大声がコックピットを震わせた。


「ん?」


 歪んだ視界の中、さすが赤ずきんというべきか、彼女はとある事に気づいた。頭部を破壊したのにも関わらず、出血が少ない、溢れでるはずの内容物がないのだ。特異体は頭を上げた。濁った目が光る。頭は砕けたはずなのに。

 ヘレナは勘違いをしていた、いや騙されていた。頭だと思っていた部分は長く伸びた顎だった。目玉があった歪に並んだ牙もあった、まさに特異体の特徴そのままだった。それが罠だった。

 彼女は涙を浮かべたまま見上げた。特異体が広角を上げてカカカと笑う。


「ローズ…」


 特異体の腕が静かにヴィッキーの胸を貫いた。

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