第19話:フィスト1-2「悪夢」

「…い…なさい」



 遠くで声がする。聞き覚えのある声だ。



「起きなさい!ヘレナ!」



 耳の奥で反響するような大きな声に驚き、私は勢いよく体を起こした。

 窓からさす朝日に目を細めながらあたりを見回す。細やかな装飾に彩られた小さな一室。



(ここは…私の部屋だ)



 記憶と照らし合わせ答えを導きだす。ここは私が過ごしていた部屋。



「びっくりしましたわ…あとほんの少し避けるのが遅ければ頭突きが入ってジエンドでしたわ」



 ベッドの隣にブラウンの瞳をもった黒髪の女性が立っていた。この女性を私は知っている。



「マリーお姉ちゃん!」



 気づいたら彼女の腰に抱き着いていた。どうしてだろう、涙が溢れ出る。肌から感じる確かなぬくもり。

 マリーお姉ちゃんは少し驚いていたが、私を包み込むようにそっと抱きしめ、



「怖い夢でも見ましたの? 大丈夫。フォーエバー大丈夫ですわ。ヘレナ」



 そうだ悪い夢を見ていた気がする。マリーお姉ちゃんがいなくなってしまうそんな夢。大丈夫。今ちゃんと傍にいる。しばらく私は離れる事ができなかった。



「朝ごはん食べられそう?」



 マリーお姉ちゃんの問いに私は鼻水をすすりながら小さくうなずいた。




 マリーお姉ちゃんに手を引かれ真っ赤な絨毯の敷かれた廊下を歩く。

 横目に見えるお姉ちゃんの顔は整っててものすごく美人だ。声をかける男も多いらしい。けしからん!私が守らないと!



「? 顔になんかついますの?」


「なんでもない…フフフ」


「フフフ。変な子ですこと」



 しばらく歩いて大きな扉の前に着いた。そこに待機していたメイドが扉を開けると



「遅かったわね。もう食べる準備はできていますよ」



 お母様とお父様が席に座って待っていた。テーブルの上には色とりどりのフルーツやパンやマフィン、ベーコンが並び、部屋の端には数人のメイド達が列を成し朝の挨拶を交わす。

 私の家族には昼と夜は全員で食事をする習慣があった。私とお姉ちゃんも席に着き家族みんなでの朝食が始まる。

 お母様の甲高い笑い声、朝から元気に話すお姉ちゃん、みんなを優しく見守るお父様、笑顔が絶えず和気あいあいとした時間、幸せな空間、いつまでも続けばいいのに。


 闇夜の時が顔を出す。変化が訪れる。


 最近、お父様がぽつぽつと食事に顔を出さなくなった。お母様に理由を聞くと、



「仕事が忙しいみたいなの。ごめんね」



 いつもそう答えた。その時のお母様の表情はどこか悲しげだった。

 それからしばらくしてお父様と一緒にご飯を食べることはほとんど無くなった。

 仕方ないのかもしれないけど寂しいな。

 そしてお母様にも変化があった。

 とある日、お母様がいつもより口数が少なく塞ぎ込んでいた。私は心配になり、尋ねると



「大丈夫よ。ありがとう。少し席を外すわ」



 お母様は微笑を浮かべながらそう返し、席を離れた。その足取りはおぼつかなかった。

 私はトイレに行きたくなり、部屋を出た。廊下を歩いていると、部屋の一室のドアの隙間から声を押し殺しながら泣くお母様の姿が見えてしまった。



「どうして…。私じゃダメなの? ...私だけじゃダメなの?」



 お母様のブラウンの瞳から涙が止めどなく溢れていた。その時の私はどうしたらいいのかわからず何も言わないでその場を足早に去った。

 そして、お母様は食事中に部屋を出ることが多くなり、その後部屋に帰ってくる事もあったが大抵一度出たら帰ってこず、最終的には食事の時間になっても姿を現さなくなった。

 私と姉だけでの食事。お母様の姿を一度見てしまい元気のない私を楽しませるために、お姉ちゃんいろいろなお話しをたくさんしてくれた。そのおかげで胸の奥で寂しさがくすぶりつつも楽しい時間を過ごすことができた。



 闇夜の時が近づく。また変化が訪れた。



「さあ、食べましょ」



 お母様とまた一緒に食べるようになった。身なりに気合がはいってて前より元気そうだ。純粋に嬉しかったが、なぜかその時はお母様が少し怖く、遠く感じた。私に向ける笑顔の奥に別の色があるような気がして…。

 お母様はお姉ちゃんに厳しくなった。身なりや食事のマナー。食事中注意したり、食べている途中でも構わず手ではたいたりしていた。怖さから話かけることもできず私達の食事は終始静かに進むようになった。少し前のあの時間、空間はもうそこにはなかった。

 そして、食事以外でもお母様がお姉ちゃんを怒鳴りつけるところを見かけるようになった。



「何度言ったらわかるの!なんでできないの!できないと、完璧じゃないと、私は、私達はあの人に…」



 お母様は泣きながら叫んでいた。




「ごめんなさい..今日もビジーですの…」



 元々複数の習い事や勉学に励んでいたお姉ちゃんだったが、最近は急激に忙しくなり一緒に遊べる機会も減って、ついに食事の時間ですら私一人で過ごすようになった。それと同時に毎日私の部屋に1人のメイドが来て、遊んでくれるようになったが、



「マリーお嬢様は今忙しいので」



 そう言ってお姉ちゃんに会いに行こうとする私を部屋から決して出さなかった。。

 久しぶりにお姉ちゃんと顔を合わせると、元気がなく、私に見せた笑顔が弱弱しかった。私が休んだ方がいいというと、



「大丈夫。お母様もいろいろ大変だから、ワタクシは力になってあげたいの。だから今は頑張らなきゃ」



 お姉ちゃんの笑顔を見るのが辛かった。私はやはり母が原因だと知り、こんなるまでさせる母への不信感が日に日に強まっていった。


 闇夜が忍び寄る。壊れていく。


 私はその日、メイドの目を盗み部屋をこっそり抜け出した。手に持つはティーセット。お姉ちゃんは紅茶が大好きだ。以前私が紅茶を入れた時、おいしいと言ってくれた。飲んで少しでも元気になって貰いたい!そう思って他のメイドにも見つからないように隠れながらお姉ちゃんの部屋に向かった。

 お姉ちゃんの部屋の前についた。胸を高ぶらせドアに手を当てた時、いつも聞く母の怒鳴り声とは違う声。恐る恐る中を覗いた時、



「これもお嬢様のためです!」



 メイドの一人がお姉ちゃんの頬を平手で勢いよく叩き、乾いた音が出る。そのメイドの後ろで母が何も言わずお姉ちゃんを睨むように見ている。周りのメイド達も立っているだけ、止めようとしない。

 お姉ちゃんの頬は当然赤く腫れていた。しかしそれだけじゃない、よく見ると体に痣のようなものが点在していた。私は思わずティーセットを落とし、中に入ろうとすると、



「ここにいましたか!」



 いつも私の部屋に来ているメイドがひょいと私の体を持ち上げ連れていく。



「離してよ!」



 必死に暴れるが意に介さない様子。お姉ちゃんが私に気づく。閉じられるドアの向こうには、頬は押さえ、涙を目に浮かべながらも、私に向かって笑顔をつくろうとするお姉ちゃんの姿。


 その日の夜は空に月の姿がなく、深く暗い暗い夜だった。今日は私が寝るまで部屋で見張っているいつものメイドの姿なかった。これはチャンスだ。私はバックに入るだけのものを詰めた。



「今日この家を出よう。お姉ちゃんと一緒に」



 昼間のあれを見た私は決心した、もしこの家に居続けたら、母やメイド達と居たらお姉ちゃんは壊れてしまう。

 私はランプを片手にお姉ちゃんの部屋に向かった。しだいにその足は早くなる。今夜は胸の奥がざわめき、心が落ち着かなかった。とにかく早くお姉ちゃんに合いたかった。



「お姉ちゃん」



 お姉ちゃんの部屋はとても静かだった。寝息ひとつもないほど。ベッドを見たがお姉ちゃんの姿はない。



「トイレかな」



 落ち着かず部屋をうろうろしていると、トンッ、頭に何か触れた。冷たい何か。目を凝らすと上に伸びているようだ。



「何だろう」



 そう言って上を見上げると



「いやぁぁぁぁぁ!!」



 金切り声が部屋に響く。私が見たもの、それは紛れもなくお姉ちゃんだ、照明から垂らした紐に首を通した。首吊り。お姉ちゃんは自ら命を絶ったのだ。



「そんな…そんな…」



 私の中がぐちゃぐちゃになる。気分が悪い、全身から嫌な汗が噴き出る、意識が朦朧としてきた。



「…い…ください」



 遠くで声がする。聞き覚えのある声だ。



「起きてください!ヘレナお嬢様!」



 私は勢いよく体を起こした。全身が汗でびっしょりだった。



「大丈夫ですか? うなされてましたよ?」



 悪い夢を見ていた。本当にすべてが夢ならよかったのに。



「こんなところで寝てちゃ風邪ひきます。これを」



 ローズはそう言ってコートを着せようとする。

 ローズ。彼女も私が住んでいた屋敷のメイドの一人。母から言われ私についてきた。



「いりませんわ!」



 コートを払いのける。

 私は決めたのだ!どんなに優しく振舞おうと許しはしない!いなくなった父も、母と屋敷のメイド達も!マリーお姉ちゃんを殺した奴らのことなんか!絶対に!








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