第5話

 確かにいい男だ。百九十はあるだろう長身で、豊かな黒髪、浅黒い肌は野性的な感じがした。切れ長の目は冷たそうな印象があり、どうみても職業がパティシエというのは冗談のような感じだった。大きな手は綺麗で神経質そうだったが、この大きな男が小さく甘い菓子を作るのが想像できなかった。

 ショッピングセンター一階のケーキ屋は 「チョコレート・ハウス」という名前だった。

 確かに昨日買って帰ったチョコレートは非常に美味しかった。

 指定された時間に、OL時代のリクルートスーツを着て、清潔感あふれるように髪の毛もきちんとまとめた。爪も切って、うすく化粧もした。ハローワーク用の履歴書を差しだすと、オーナーの藤堂はさっとそれに目を通してから、

「どこかで会った事ないです?」

 と美里に言った。

「は? いえ、ないと思いますが」

 と答えると、

「そうかな」

 と首をかしげた。

 面接は簡単で、すぐにいつから勤められるかという話になった。それから時給、勤務形態などを話して、その日は終わった。

「失礼します」と事務所を出ると、メイド姿の美奈子が小走りにきて、

「どうだった?」

 と言ったので、

「明日からなんでよろしくお願いします」

 と答えた。美奈子は大きく息をついて、

「あー、よかった」と言った。

 美奈子さんも悪い人じゃないんだけどね、と美里は思った。

 この店に新たに入ってくるバイトに義姉が何かするという可能性を知っていて、それを美里に話しておきながらも、自分の保身の為に美里をバイトに誘ったという事実を自分で気がついていないのだ。

 美奈子に制服を支給してもらいロッカールームに案内された。休憩中の人に挨拶してから気がついたのだが、みんなメイド服は着ていても、ちょっとおばさんな人ばかりだ。 こんな可愛い店でメイド服の制服なのに、若い娘が見あたらない。そういえば店内にいた人もよく見れば、主婦のバイトっぽい人ばかりだ。

「独身の中じゃ美里さんが一番のヤングよ」

 と美奈子が言った。

「ヤングって……」

「既婚者ばかりなの……その……」

「ああ、るりかさんの横やりで?」

「そう、若い子はみんなやめちゃうの。主婦でも派手なちゃらい感じの人はすぐにね」

「他人の店のバイトをやめさせるなんて、どんな権力なの? いくら土地の有力者でも」

 少しばかり呆れ声を出してみる。

 美奈子は肩をすくめて、

「お義母さんが、義姉を可愛くてしょうがないから」

 と言った。

「へえ、私も気をつけないといけない?」

「美里さんはよそから来た人だから、お義母さんの権力も通用しないんじゃないかと」

「そうね。それに……」

「何?」

「ううん、明日から楽しみだわ」


 その晩、るりかの襲撃を受けた。

 ぴんぽんを鳴らし続け、美里が対応するまでにドアをがんがんと蹴り、大きな声でなにやら叫んでいた。のぞき窓からるりかの姿を確認して、ドアを開けた。

「あんた! やめな! あの店のバイトは認めないわ!」

 ドアを開けた瞬間にそう怒鳴られた。

 今日も酷使しすぎてすけすけに薄くなったTシャツに、だぶだぶのジャージをはいている。ブラのサイズはJとかKとかなのだろうか。垂れ下がって、腹にのっかっている。太って頬に肉がつきすぎているから口がタコみたいなのだろうか、それとももともとそんな顔なのだろうか。糸でしばったハムみたいな指で美里をさして、

「この淫乱女!」と叫んだ。

「はあ?」

 と言うと、

「あんた見たいな薄汚い雌猫はあの店にふさわしくないわ! 竜也に近づくな!」

 竜也というのはオーナーの下の名前だ。今日もらった名刺に書いてあった。

 ってか、呼び捨て。

「見ず知らずのあなたにそんな事言われる筋合いはありませんけど」

「何よ、この貧乏人! うちのマンションに住まわせてもらってて、竜也に近づくなんて許せないわ! 今すぐ出て行け!」

 と言うと、ぎろっと美里を睨んだ。

「聞いてるの? 竜也に近づくな!って言ってんの!」

 美里はドアをほんの少しだけ開けて対応したので、ぶんぶんと振り回するりかの腕が美里に当たることはなかったが彼女が美里を痛い目にあわせてやりたいと思っているのは明白だった。ドアを蹴ったり、隙間に足を差し込んでぐいぐいと中に入り込もうとしたりした。

 念の為のチェーンが彼女を中に入れることは断固として許さなかった。

 やがて騒ぎを聞きつけた隣の女子大生が部屋から出てきたらしく、

「うるさいわねえ」

 と声がした。

「何時だと思って……」

 文句を言いかけてるりかに気づいたらしく、言葉が詰まった。

 るりかは隣の方へ向いて、また怒鳴った。

 早口で何を言ってるのかはよく聞き取れなかった。

 隣の彼女も応戦しだして、二人がしばらく言い合いをしていたので、その間に美奈子に電話をした。

 騒ぎを知らせると美奈子が旦那を連れて走ってきた。その後から姑が来て、るりかをなだめた。家族の顔を見た瞬間にるりかは泣き出して、ヒステリックにわめき、泣き、大声で咆吼した。美奈子は呆れ顔、旦那は恥ずかしそうな顔、姑は困ったような顔でそれぞれにるりかに言葉をかけた。

 美奈子が美里に詫びの言葉を言ったが、お姑さんは美奈子を責めた。美里にチョコレート・ハウスでのバイトを紹介したのが彼女だと知っているようだった。

「うちのるりかが断られるのに、どうして……」

「ぷ」

 と吹き出したのは騒ぎを見ていた隣の女子大生だった。

「いや、まじでどうしてって……うける。どっちをバイトに雇うかって一目瞭然じゃん」

 姑がきっと女子大生を睨むと女子大生は舌をぺろっと出してから部屋に引っ込んだ。隣の女子大生のナイスな発言に、美里はちょっとばかり、白い犬を財布にしてしまった事をすまない、と思った。

「ママ、この女追い出して~~~」

 とるりかがお姑さんに泣きついた。こんな理由で住人を追い出していたら、あっという間にこのアパートから誰もいなくなってしまうだろう。さすがに姑もるりかに同調はしなかった。

「るりちゃん、ママが藤堂さんにまたお願いに行ってみるから、ね? 今日のところは家に帰りましょう」

 美奈子とその旦那も言葉をかけるのも嫌だ、という顔で腕組みをしているだけだった。 帰り際に二人は美里に謝ったが、姑とるりかは謝りもしなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る