第25話

 赤鬼は倒れこんだ無礼なアメリカ人を店の中に引っ張り込んだ。

 奥から陰気そうな顔の男が出てきて赤鬼を手伝った。赤鬼の顔は汗だくだったが、子供のような純粋な笑顔だった。赤鬼と男がアメリカ人の身体を厨房の奥にずるずるっと引きずって行くのを見送って、美里達は勝手に窓際のテーブル席に座った。

 藤堂は勝手知ったる、というふうな感じでメニュー表を取り上げる。店内には誰も客がいなかった。まだ誰も来ていないのか、それともいつもこんな風に閑散とした店なのかは分からないが、どう見ても繁盛しているとは思えなかった。

「トードー!」

 甲高い声がして奥から女性が出てきた。太い。だが笑顔がとてもキュートな女性だ。花柄のエプロンをして、大げさに両手を広げると、藤堂に抱きついた。ハグというのが正解かもしれないが、どすんっという感じで藤堂に体当たりしたように見えた。

「メアリー」

 と藤堂が言った言葉だけ聞き取れた。メアリーは嬉しそうに早口で何かを言った。 そして、美里を見た。藤堂が美里をメアリーに紹介した……と思う。

 メアリーはまた両手を広げて美里に抱きついた。そして、あなたに会えて嬉しいわ、みたいな事を言った。メアリーの身体からは甘いバニラエッセンスの香りがした。

 美里達はまた席につき、藤堂がメニュー表を見てメアリーと会話した。メアリーはポケットの中からくしゃくしゃのメモ用紙を出して、藤堂の注文をメモした。

 何かを勧めて藤堂が苦笑しながら首をふると、

「まあ、何てことなの! 信じられないわ!」という風な表情で美里を見て、

「いいわ、オーケイよ、すべて任せてちょうだい、いいわね」

 という風なジェスチャーで、また厨房の方へ戻って行った。

「知り合いに紹介された店って……知り合いって、笹本さん?」

「当たり」

「という事はこの店も……アレなのね?」

 美里は少しだけ藤堂を睨んだ。

「いや……まあ、そうだけど。普通の食事もやってる。しかも美味いしね。君も早速やっちまったし、この店じゃなきゃアウトだったよ」

 藤堂に睨み返されて、美里はまたしゅんとうつむいた。

「……ごめんなさい」

「まあ、しょうがないさ、あのアメリカ人が失敬な人間だったというのは間違いない」

「そうよね」

 奥から肉の焼けるいい音がした。バターの溶ける匂いとか、揚げ物の匂いとか、が食欲をそそる。美里がいやがる限り藤堂は美里に人肉を食べさせたりしないだろう。だからメアリーが持ってきた大きなステーキは牛だと思う。山盛りのポテトに山盛りの野菜の素揚げ。トマトケチャップとかピーナッツバターとかのディップも山盛りだ。

 藤堂はビールを二杯飲んで、あらかたの食事が二人の胃袋の中に収まった頃、赤鬼がまた手を拭きながらやってきた。にこにこ顔がとても優しそうだった……のだが。

「ちょ……」

 コック服の上に長靴まで一体化したゴムエプロンを着ているのだが、せめて黒を着用して欲しい。白い長靴もエプロンも真っ赤だったからだ。膝の辺りには白い肉片のような物がこびりついてるし。誰も注意する者はいないのか。

 厨房の中からメアリーの叫び声がした。それに答えて、ようやく赤鬼は自分の姿を見下ろした。

「ソーリー」だけは聞こえた。

 そして美里に綺麗に洗ってさらにヌバックで磨いたアイスピックを返してくれた。

 その頃から客が次々と入ってくるようになっていた。店内にはテーブルが四つとカウンター席には椅子が五つほどあったが、あっという間に満席になった。

 そのうちの何人かは血で真っ赤な赤鬼を見たが、何も言わないばかりか、期待したような目で赤鬼を見た。そして、甘えるような声でメアリーに注文をした。

 真っ赤なエプロンを脱いでさっぱりとした赤鬼が腕によりをかけて……何を作るのかは知らないが、店内から歓声が上がる。

 陽気なアメリカ人達は大きなビアジョッキで一斉に乾杯をした。

 やがて、ただ日本人観光客が珍しいのか、日本人なのに食人鬼の店へ来てるのが珍しいのか、やたらと周囲のテーブルから声がかかる。

「何言ってんのか、分かんねーよ」

 と美里は笑顔で返してみる。藤堂がぷっと笑った。

 酔いの回ってきた陽気なアメリカ人達はそれでも笑顔で何かをしゃべり続けてきていたのだが、赤鬼がじゅうじゅうと熱そうな音をしている鉄板を運んでくると、目の色が変わった。いっせいにナイフとフォークを手にして無言で食べ始めた。

 見た目は変わらないステーキのようだった。なるべく匂いは嗅ぎたくないので、ハンカチで鼻の辺りを押さえる。

「後ろの席は見ない方がいいよ」

 と藤堂が不吉な事を言う。

 だが見てはいけない、は、絶対見ろ、と言われているような物だ。

「見ないけど……何なの?」と、美里が言うと、

「ほぼレアだからさ」

 と藤堂が答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る