第19話
市長の息子は運転席に座って煙草を吸っていた。仲間が戻らないうちは手を出す気はないようだ。意外と用心深いのかもしれない。美里は運手席のすぐ後ろまで行って、まるで甘えるみたいに両腕を息子の肩に回した。市長の息子が笑って、美里の腕をさすった。
そして自分語りを始めた。自分は権力のある一族の息子で、この街に敵はいない、と言うような事を自慢げに語り始めたので、美里は右手に持っていた黒い小袋から次の道具を取り出した。ちゃらと音がして、そいつが全貌を現す頃には市長の息子は不思議そうに美里を振り返った。
「男の自慢話はあんまり格好よくないわよ」
と言ってやってから美里は、そいつで市長の息子の首を絞めた。
息子は驚いてもがき始めた。だがこれはただの紐ではない。
新品のハンディチェーンソーだ。
市長の息子は運転席でもがいているが背後にいる美里には手も足も届かない。
ゆっくりとハンディチェーンソーを左右に動かしてやる。
あら、不思議、簡単に喉が切断されていく。大量の血がフロントガラスに吹き付けられていく。こいつは堅くて太い木の枝を女性でも簡単に切断できるという優れた代物だ。
人間の首や骨なんかあっという間だった。ぎちぎりぎりぎちぎちと音がしている。
喉の肉が食い込み、血糊や油でチェーンソーの動きも鈍くなる。
市長の息子はすでに暴れるのをやめたようだ。もがいていた腕も足もだらんと下がっている。美里は両手に皮の手袋をしていたが、それから血が床に滴るほどに濡れている。
あまりに手が重くなってきたのでもうやめようかと思った頃に、どすんという感じで市長の息子の首が膝の上に落ちた。息子の顔は驚いたようなままでこちらを見ていた。。
「あらあら」
美里は手にしていたチェーンソーを敷物で拭いてからまた小袋にしまった。
小袋をスーツケースにしまって、次の道具を取り出す。
柄を短く切ってあるが、先は五キロの重りのついたハンマーだ。
後部座席のドアの横に移動して、新井が戻るのを待つ。
「寒っ寒っ」と言いながら、新井が車のドアを開けて乗り込んで来た。
市長の息子の惨劇にも気がつかずのんきに、
「どうぞ」
とビールを手渡してくれた。
「ありがとう」
と言って受け取った。それから、
「ねえ、どうしてチョコレート・ハウスで働いてるの?」
と聞くと、新井は不思議そうな顔で美里を見た。
「え? だって、やっぱまずいっしょ。親も貧乏で金くんねえし」
「じゃあ、どうして市長の息子なんかとつるんでるの?」
新井君は運転席を見て、ぎょっとしたような顔をした。
「え…え…あの」
「市長の息子はもういないから悪口言っても大丈夫よ?」
「え…あの西条さんですよね?」
「ええ」
「あの……どうして?」
「聞いてるのはこっちよ。あなた、市長の馬鹿息子がオーナーの妹さんを襲った時、仲間にいたの?」
「い、いや、俺は」
新井は目玉をきょろきょろさせた。動揺っぷりが質問にイエスと答えていた。
「人間のクズね。まあ、人の事は言えないけど」
「あの、貴史さん、どうかしたんですか?」
と新井は間抜けな質問をした。異変は承知しているが、運転席をのぞき込む勇気はないらしい。のぞき込まなくても頭のない後ろ姿しかないのに、絶命しているのが認識できないらしい。市長の息子の死を脳が拒否しているのだろう。
「市長の息子、貴史さんて言うの?」
「は……い」
「どうしてオーナーの妹さんを襲ったりしたの? あなた、チョコレート・ハウスで働いててよくそんな真似ができたわね」
「……貴史さんが由美さんを……好きで、でも断られてて……自分の物にならないならって。俺……断ったんだけど」
「でも、最終的には協力したんでしょ」
「だって!! 協力しないと親父の働いてる工場に圧力かけてクビにするって……」
「ふん、クズの言いそうなことね。で、それに協力するあんたもクズよ」
新井君はむっとして、当然暴力的な表情になった。ここにいるのは男と女が一人ずつだ。 力関係では男の方が断然有利だと思いついたのだろう。
美里の方へ下卑た笑みを見せてから、腕を伸ばしてきたので、瞬間に振りかぶってハンマーで顔面を殴打してやった。うまい具合に目と目の間ハンマーがヒットして、目玉が両側からぞろりとこぼれた。笹本さんはあれを拾って使うのかしら? 水洗いして使うのかな。
新井の身体がもふもふの敷物の上に倒れた。
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