第51話

「トミー、頼みがある」

 とトードーが僕に言った。彼はもうあきらめたような顔をしていた。

「何?」

 トードーは傷だらけで、血まみれだった。そして酷く悲しそうな顔で、ポケットから小さな箱を出して僕に渡した。

「ミサトに食べさせてやってくれ。これが最後のチョコレートだ。彼女はもう、俺の作ったチョコレートを食べる事がないんだ」

 僕はその箱を受け取ったけど、どうしていいか分からなくて、テイラー教授を見た。

「いいとも。最後の願いだね? トミー、願いを叶えてやりたまえ」

 と言った。

「は、はい」

 僕はトードーから渡された小箱からチョコレートを一粒取り出した。

「ミサト、彼の最後のチョコレートを食べなさい。ゆっくりと味わってね」

 とテイラー教授が言うとミサトが口を開けたので、チョコレートを一粒放り込んだ。

 ミサトはゆっくりとチョコレートを噛んだ。唇が上下する度に溶けているだろうチョコレートを味わっているようだった。そういえばリズがトードーのチョコレートは世界一美味しいと言ってたっけ。日本からチョコレートを送る約束はなくなるって事か。トードーはここで死ぬんだから。残念だな。

 そしてごとっと大きな音がして、ミサトの手から釘打ち機が落ちた。 

 その瞬間だった。トードーの身体が機敏に動いたと思ったら、ミサトの身体の方へ手を伸ばし彼女の腕を引き寄せた。ウエディングドレスのミサトの身体はふらっとトードーの腕の中に落ちた。そのすぐ後にトードーはあろうことかミサトの顔を殴りつけたのだ。

「トードー!」

 びっくり仰天なんてもんじゃなかった。

「ミサト! しっかりしろ!」

 ミサトの身体を揺さぶりながら、トードーはミサトの名前を何度も呼んだ。


 カチャと音がした。トードーが身を固くして顔を上げた。目線はテイラー教授のいる方向だった。テイラー教授は細い長いナイフを手にしていた。

「往生際の悪い日本人だ」

 テイラー教授は不機嫌そうにそうつぶやいた。

「トミー、残りのチョコレートを全部ミサトに食べさせてくれ」

 とトードーが言った。

「え、う、うん」

 僕はテイラー教授を見たけど、教授は僕の方へ何の指示もしなかった。だから僕はトードーの腕からミサトの身体を受け取った。背中を支えて床に座らせる。トードーに殴られたミサトは相変わらずどこか遠くの方を見ていた。

 そのミサトの口へチョコレートを二粒入れる。チョコレートは全部で四粒しかなかったので残りはあと一個だ。

 ミサトはもぐもぐとチョコレートを食べた。ミサトの口からほのかにカカオのよい香りがした。

 僕はトードーを見た。テイラー教授とにらみ合っている。

 テイラー教授もトードーに意識を集中しているようだ。

 だから。

 最後の一個を自分の口の中に放り込んだ。

 なんておいしいんだ! 口の中に濃厚なカカオの香りが広がり、しっとりとしたチョコレートが少しづつ溶けていく。こんなにおいしいチョコレートは初めて食べた。アメリカ製の油っぽいチョコレートとは全然違うんだ。

 トードーの作ったチョコレートはまさしく世界一だ!


「え……」

 次の瞬間、ぎょっとなった。

 ミサトが僕を見ている。

「わ、たしの、チョコレート、ぬすんだ、コロス」

 ミサトが何を言ったのかは、分からなかった。

 だけど、ミサトの目は僕を……にらみ付けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る