第23話 新婚旅行編

こんなに私を怒らせた男もいない、と美里は思った。

 昨年殺した、美里のチョコレートを盗み食いしたマリンブルーよりも腹が立った。

 この目の前の男は美里に「ケチデスネ-。日本人ケチデスネ-」と言ったのだ。

 よりによって、日本人にケチだと言ったのだ。

 普段は大人しい美里でも、こみ上げる怒りに目の前がくらくらとした。普通に忙しい日常が結婚というイベントの為に更に忙しくなり、しかも、わざわざ新婚旅行に選んで八時間もかけて来てやったこのハワイで、「日本人、ケチデスネー」と言われるとは思わなかった。

 生暖かい風が頬をなでていき、真っ青な空、照りつける太陽。

 半袖Tシャツ、短パン、ビーチサンダルを履いたいろんな人種が往来を行き来する中、いきなり声をかけてきて寄付をねだる、ぶしつけな現地人。そいつは日本のニュース番組に出ている下手くそな日本語の外国人キャスターにそっくりだった。


 「チョコレート・ハウス」の移転、新装オープンの前に忙しい時間をさいて藤堂と新婚旅行中だ。オープンは七月中旬で、新居への引っ越し、新店での準備に追われている藤堂が旅行を提案したのは、五月の連休後だった。美里は断ったのだが、パートさん達の黄色い声援にまた負けてしまった。美里は生まれてはじめてパスポートを取り、海外旅行というものに連れてきてもらったのだ。

 だが、初日でそれは粉々に踏みにじられた。怪しげなアメリカ人に。

 日本人がすべて金持ちで腐るほど金を持っているとでも思ってるのか。一生懸命働いて金を稼ぎ、そしてやりくりしてその金でハワイに来るのだ。もちろん論外な金持ちもいて、プライベートジェットで来たりもするだろう、ちょっとブランドを買いにハワイまで、という奥様もいるだろう。だが、たいていは一生懸命労働して得た金を使うのだ。それを、見ず知らずのアメリカ人に寄付をしろ、断ると、

「ケチですねー、日本人」と言われる筋合いはないではないか。

 日本人は世界一働き者で、正直者だ!

 美里は殺人鬼だが、一生懸命働いている。もらったお給料で生活している。趣味にいかす道具もちゃんとそこから捻出している。それを、ケチデスネ-、だと?

 だがここはハワイで、通りには日本人やら他国籍の外人がいっぱい歩いている。

 初夏のハワイは青空とぬるい風と、旅人の笑い声でいっぱいだった。

 使えるような道具は何一つ持ち込めなかったし、真っ昼間にこのアメリカ人を殴打するわけにもいかない。

 藤堂が能面のような顔になっている美里の腕をとり、

「失礼」

 と言って無礼で厚顔無恥なアメリカ人を簡単にスルーした。

 アメリカ人はまだ背後でなにやら叫んでいた。英語だったので、美里には分からない。

 だがどうせ、「日本人、ケチですねー」と悪口を言ってるのは想像がつく。

 美里はとぼとぼと藤堂の後ろをついて歩いた。

 せっかく藤堂が連れてきてくれたハワイ旅行が初日で台無しだ。美里はこの屈辱を忘れないだろうし、これから先に出会うアメリカ人を殺したくなるかもしれない。

「気にする事はないよ。騒がしくてずうずうしいアメリカ人はあんなもんさ」

 と藤堂が言った。

「ええ」

 と美里は言ったが、心についたどす黒い染みは消えなかった。

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